「専門知および公共知」について、 2010-06-12(Sat): 第十回Wikiばな「知の越境、そして、すばらしきムダ知識へ」 (於・東京都/IIJ) http://wikibana.socoda.net/wiki.cgi?%c2%e8%bd%bd%b2%f3Wiki%a4%d0%a4%ca が開催されるのだが、ありがたいことにお声掛けいただき、私も話すことになった。当日は、最近新著を出したばかりの内田麻理香さん、長神風二さんと一緒に以下の演題で少々話す予定。 ・「畏友の単著が相次いで刊行−内田麻理香著『科学との正しい付き合い方』、長神風二著『予定不調和』」(編集日誌、2010-04-17) http://d.hatena.ne.jp/arg/20100420/1271718749 内田麻理香「科学との正しいゆるい付き合い方」 長神風二「ひらけ、専"門"知−つくる・つなげる・つかう」 岡
■ 第十回Wikiばなの宣伝をしてもらいました :D 第十回Wikiばなで発表してくださる内田麻理香さんのブログで、Wikiばなの宣伝をしてもらいました♪ 第十回Wikiばな、出ます|内田麻理香オフィシャルブログ「カソウケンの科学どき技術どき」Powered by Ameba が。ぎょぎょっ。おそろしい文言が並んでいるではありませんか!コメント欄にコメントしたのですが、そこまで読まない方も多いかと思うので、こちらの日記にコメントを転載いたします。*1*2 >「サイエンスコミュニケーションでやってあげてもよくってよ♪」 とんでもないです。 (上記の台詞は内田マジックで 大幅に?!誇張されております~・涙)。 内田さんの著書が出る前から予感して、 そして、読んでみたらやっぱりおもしろい! ぜひぜひ、Wikiばなでもお願いしますということで、 実現の運びとなりました。 Wikiというツールはブロ
第十回Wikiばなは、前回のテーマ「集合知」に引き続き、「知」シリーズとして、専門知および公共知についてとりあげます。今回は、内田 麻理香さん(近著『科学との正しい付き合い方』)、長神 風二さん(近著『予定不調和』)、岡本真さんに、みなさまのご専門分野の経験などから、専門知や公共知に対する挑戦について発表およびパネルディスカッションを行ってもらいます。ご期待ください。 また、来場くださる方からライトニングトークの発表を募集します。こちらは、内田さんの近著『科学との正しい付き合い方』または長神さんの近著『予定不調和』を読んだ上で、自分が興味ある話をお願いします。(応募方法などはライトニングトーク発表者募集をご覧ください)。 日時:2010年6月12日(土) 13:30-17:00(13:00開場) Twitter:#wikibana Ustream:http://ustre.am/i5UF
This is the home page for the MakioTsukamoto space. WikiPatternの和訳について(About translating WikiPatterns.com into Japanese) WikiPatterns.comのパターンの和訳を始めました。以下のパターンを訳しています。誰でもこれらのページとこのスペースを編集できます。 I started to translate pattern in WikiPatterns.com into Japanese. I had transleted below patterns. Anyone can edit both these pages and this space. 90-9-1 Theory.jp (editable!) WikiGnome.jp (editable!) 他にも同
重要な点を最初に 詳細は重要でない スライドを用意する 一言自己紹介 つかみ三秒 文字より画像 5分2秒の動画 感謝で〆る 続きは懇親会で 銅鑼と一緒に終わる よく見えるタイマー 時を告げるドラ 公式タグ ltpatterns あわせて読みたい http://www.perl.com/pub/a/2004/07/30/lightningtalk.html http://www.rubyist.net/~matz/20040802.html#p02 http://giantech.jp/wiki/LTHistoryForEM Powered by YukiWiki 2.1.4 Modified by Hiroshi Yuki.
■ 2008年はじまりはじまり。 2007年は、少し日記を控えていましたが(控えたまま、アウトプットの方法を忘れかけていましたが)、今年はまた少し、ぼちぼち日記を書いて行きたいと思います。 さて、年間聖句というのをなんとなく毎年、決めています。 今年は、ちょっと血なまぐさい箇所です。 わたしは血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言った。血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言ったのだ。(エゼキエル書16:6 新共同訳) わたし、というのは、神様です。血まみれのお前というのは、生まれたばかりで捨てられた赤ん坊です。文脈を読むと、これはエルサレムの町を、比ゆしたものであることがわかります。 生まれたばかりで血まみれのまま捨てられた赤ん坊を、拾い、養い、育てた神様。けれど、その赤ん坊は美しい娘に成長し、そして、堕落します。エルサレムのその堕落ぶり、神様に対する背きの行為を16章を通して読むと、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く