ご指定のURLから始まるページへのブックマークは見つかりませんでした 条件を「すべて」にすることで、すべてのURLを対象に検索できます
これは『VOICE』の連載コラムのシリーズである。この雑誌は主に企業の経営者や男性社員を対象としており、同じコラムの書き手も早坂茂三を筆頭とする面々なので、あえてそういう読者にもわかりやすい形で文化の話題を紹介するスタイルをとっている。
今泉省彦 絵描き共の変てこりんなあれこれの前説1-5 今泉省彦 60年安保闘争後のなしくずしの情熱の中で何かが生まれつつあった (絵描き共の変てこりんなあれこれの前説1) 仁王立ち倶楽部@CHRIS 002(1985年6月発売) 1959年の春は、日米安全保障条約改定反対のデモの渦のなかにあった。60年になると、先走りして革命は目睫の間にあるど言いだす評論家もいた。政府・自民党の一部で、ひそかに自衛隊出動の計画が検討されているという噂も流れた。国会議事堂は連日数万のデモ隊にとり巻かれていた。 私は結核患者として病院にいた。そして59年の秋から手術後の患者であった。輸血による血精肝炎で衰弱しきっていた。デモ帰りの友人が見舞に来ては目撃した情景を昂奮した口調で報告していった。テレビはニュースのたびごとに反対闘争のたかまりを報道していた。どういうものか私は醒めていた。肉体の衰弱は精神の情動を許さ
村上隆の「DOB」シリーズの最も完成度の高い作品、例えば2001年に制作された『Melting DOB D』や『Melting DOB E』といった作品を観た時に、セザンヌやマティス、あるいはゴーキーやポロックといった画家の作品と共通する「感覚」を感じないとしたら、その人は絵画を「形式的」に観る能力に欠けているのだと思う。村上氏がそのことをどこまで意識しているのかは知らないが、これらの作品はたんにパロディとか観照とかを超えて「近代絵画」的に相当高度な作品だと思う。 このことを分り易く説明する時に有効なのが、コーリン・ロウによる「虚の透明性」と言う概念だろう。透明性とは《二つまたはそれ以上の像が重なり合い共通部分をゆずらないと、 見る人は隠れた部分の視覚上の存在を仮定せざるをえない。 このとき像に透明性が付与され、 像は互いに視覚上の矛盾や断絶なく相互貫入する》(ジョージ・ケベシュ)というこ
このページで紹介した書籍は、一部を除きAmazon.co.jpでご購入いただけます。なお、書名のリンクはすべてAmazon.co.jp内のページへ向けられています。 ピエール・ブルデュー+ハンス・ハーケ『自由‐交換――制度批判としての文化生産』(コリン・コバヤシ訳、藤原書店、1996) アラン・トラクテンバーグ『アメリカ写真を読む――歴史としてのイメージ』(生井英孝+石井康史訳、白水社、1996) 佐藤道信『〈日本美術〉誕生――近代日本のことばと戦略』(講談社、1996) 港千尋『記憶――「創造」と「想起」の力』(講談社、1996) 『アエラムック9 芸術学がわかる。』(朝日新聞社、1997) 八束はじめ+吉松秀樹『メタボリズム』(INAX出版、1997) カトリーヌ・グルー『都市空間の芸術――パブリック・アートの現在』(藤原えりみ訳、鹿島出版会、1997) 椹木野衣『日本・現代・美術』(
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く