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ブックマーク / www.rekishijin.com (5)

  • 朝ドラ『虎に翼』で寅子が法律を学び始めた昭和7年の日本では何が起きていた? テロ行為が横行する国内情勢と満州事変 | 歴史人

    朝ドラ『虎に翼』第2週「女三人寄ればかしましい?」は、主人公・猪爪寅子が明律大学女子部法科に入学するところからスタートした。昭和7年(1932)の春のことである。作中では女性の高等教育と社会進出に対して、想像以上の困難や世間からの好奇な視線に女子学生らが直面している。では、昭和7年とはどのような時代だったのだろう。 ■寅子が明大女子部に入学した頃の世界と日の状況は? 俯瞰してみれば、この時期は第1次世界大戦(1914~1919)と第2次世界大戦の狭間の戦間期にあたる。ちなみに、寅子のモデルである三淵嘉子さんが誕生したのが、ちょうど第1次世界大戦が勃発した大正3年(1914)の11月のことだった。 第1週のお見合いのシーンで世界経済が話題になったが、この背景には1929年、ニューヨークの株式市場が暴落したことに端を発する世界恐慌があった。これにより、植民地を有するイギリスやフランスは「ブロ

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    kechack 2024/04/11
  • 闇に葬られかけた昭和期の「性加害」 公然の秘密だった、学者・折口信夫のセクハラ | 歴史人

    連日、話題となっているジャニー喜多川氏の性加害問題。「公然の秘密」として黙認されてきたこともこの問題の異常性とされているが、同じように闇に葬られかけた性加害があった。それが、カリスマ的な学者であった折口信夫(おりくちしのぶ)による弟子たちへのセクハラである。「布団の中に潜り込んで襲っても、セクハラが暗黙の了解となっていて誰も騒がなかった」「折口の死後、被害者が事実を語ると批判を浴びた」など、ジャニーズ問題で報道されている内容と類似点も多い折口の事件について、経緯を見ていこう。 ■立場を利用して弟子に迫った学者・折口信夫 日中を騒がせている故・ジャニー喜多川氏による性加害問題。BBCで放送されたドキュメンタリー「J-POPの捕者 秘められたスキャンダル」では、かつてジャニー氏から性加害を受けながらも、今でも彼のことが大好きだという男性について、ジャーナリストが「グルーミングを受けた結果だ

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    kechack 2023/10/18
  • 「承久の乱」と鎌倉幕府の「その後」 | 歴史人 | 歴史の魅力を全力で伝えるエンタメマガジン

    元「大河」俳優や元「紅白」歌手も… 「過去の栄光」がうみだした“闇” 日で唯一「死刑判決」を受けた俳優とは【戦後犯罪史】

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    kechack 2022/12/11
  • 三国志に見る新興宗教。英雄・曹操は「政治と宗教」を、どう考えたのか? | 歴史人

    昨今、カルト教団や新興宗教という単語が、ニュースなどに飛び交っている。とかく権力者が特定の宗教に染まることや、教団の巨大化が危惧されるのは、それらが政治の方向性や国家運営すら左右するという考えからでもあろう。1800年ほども前の「三国志」の時代にも、やはり宗教が歴史の流れに大きく関与した例が見られる。歴史書(正史)をもとに紐解いてみよう。 黄巾の乱を起こした「太平道」の実態 一度でも三国志に触れた方は「黄巾(こうきん)の乱」をよくご存じかと思う。西暦184年、中国大陸で起きた民衆反乱は後漢王朝に大きな打撃を与え、のちの三国時代に繋がる群雄割拠の世を生んだ。乱に加わったのは「太平道(たいへいどう)」という宗教の信者たち。彼らは黄色い布を目印にしたため、黄巾党とも呼ばれた。信者の多くは困窮や病苦などから救われたい一心だったと考えられる。 太平道は現在の「道教」の原型といわれ、その教団の開祖は、

    三国志に見る新興宗教。英雄・曹操は「政治と宗教」を、どう考えたのか? | 歴史人
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    kechack 2022/08/02
    太平道は現在の「道教」の原型といわれ、その教団の開祖は、張角という人物だ。病人に過去の過ちを懺悔させ、符水を飲ませて治した。やがて、その信者は10年ほどで数十万人に達したという。
  • かつて源氏とともに戦った反骨の一族「上総氏」 | 歴史人

    2月20日(日)放送の『鎌倉殿の13人』第7回「敵か、あるいは」では、源頼朝(大泉洋)の再起に不可欠な勢力である上総介広常(佐藤浩市)の去就が描かれた。一筋縄ではいかない大豪族の頭目を相手に、北条義時(小栗旬)は損得ではなく、まっすぐな心での説得を試みていた。 平家打倒に強力な味方が加わる 坂東屈指の豪族である上総介広常を味方にすべく、義時は和田義盛(横田栄司)とともに広常の館へ向かった。 対面した広常によれば、すでに義時らの敵である大庭景親(國村隼)も使者として梶原景時(中村獅童)を派遣しており、交渉に訪れているという。 広常は両者に、味方になればどんな得があるのか、と尋ねてくる。景時は望みの官職に取り立てることができる、と答えた。一方、義時は平家の世を改め、我らのための坂東を作りたい、と訴える。そして、頼朝は担ぐに足る人物である、と説いた。 「あの方は天に守られています」 広常はすぐに

    かつて源氏とともに戦った反骨の一族「上総氏」 | 歴史人
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    kechack 2022/02/25
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