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三国志に見る新興宗教。英雄・曹操は「政治と宗教」を、どう考えたのか? | 歴史人
昨今、カルト教団や新興宗教という単語が、ニュースなどに飛び交っている。とかく権力者が特定の宗教に... 昨今、カルト教団や新興宗教という単語が、ニュースなどに飛び交っている。とかく権力者が特定の宗教に染まることや、教団の巨大化が危惧されるのは、それらが政治の方向性や国家運営すら左右するという考えからでもあろう。1800年ほども前の「三国志」の時代にも、やはり宗教が歴史の流れに大きく関与した例が見られる。歴史書(正史)をもとに紐解いてみよう。 黄巾の乱を起こした「太平道」の実態 一度でも三国志に触れた方は「黄巾(こうきん)の乱」をよくご存じかと思う。西暦184年、中国大陸で起きた民衆反乱は後漢王朝に大きな打撃を与え、のちの三国時代に繋がる群雄割拠の世を生んだ。乱に加わったのは「太平道(たいへいどう)」という宗教の信者たち。彼らは黄色い布を目印にしたため、黄巾党とも呼ばれた。信者の多くは困窮や病苦などから救われたい一心だったと考えられる。 太平道は現在の「道教」の原型といわれ、その教団の開祖は、
2022/08/02 リンク