ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 The Red Diptych
ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 The Red Diptych
近頃私は死といふものをそんなに恐しく思はなくなつた。年齡のせゐであらう。以前はあんなに死の恐怖について考へ、また書いた私ではあるが。 思ひがけなく來る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齡に私も達したのである。この數年の間に私は一度ならず近親の死に會つた。そして私はどんなに苦しんでゐる病人にも死の瞬間には平和が來ることを目撃した。墓に詣でても、昔のやうに陰慘な氣持になることがなくなり、墓場をフリードホーフ(平和の庭――但し語原學には關係がない)と呼ぶことが感覺的な實感をぴつたり言ひ表はしてゐることを思ふやうになつた。 私はあまり病氣をしないのであるが、病床に横になつた時には、不思議に心の落着きを覺えるのである。病氣の場合のほか眞實に心の落着きを感じることができないといふのは、現代人の一つの顯著な特徴、すでに現代人に極めて特徴的な病氣の一つである。 實際、今日の人間の多くはコンヴァレサンス(病
冴えない田舎医師ボヴァリーと結婚した美しき女性エンマは、小説のような恋に憧れ、平凡な暮らしから逃れるために不倫を重ねる。甘美な欲望の充足と幻滅、木曜日ごとの出会い。本気の遊びはやがて莫大な借金となってエンマを苦しめていく。 たいへん身につまされる小説でした。深みにはまる不倫の恋や莫大な借金っておそろしいね、というのももちろんあるけど、それよりなにより、日ごろ好んで小説なんか読んでるような、夢見がちな人間の救いがたさが描かれているところが一番こわい。現実を物語との二重写しでしか見られず、そこここに運命の恋を見出そうとするエンマは、風車を巨人に見立てて突撃する女版ドン・キホーテのようです。 作者のフローベールが「ボヴァリー夫人は私だ」と言ったの言わないのというのは有名な話ですが、それを言ったら、小説や映画、その他フィクションのたぐいが三度のご飯よりも好きなあなたや私は、みんなボヴァリー夫人にな
Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com ◇『アンナ・カレーニナ』トルストイ 中村白葉訳 岩波文庫 ■ぼくはトルストイの良い読者ではない。ドストエフスキーにかたむくぼくの嗜好が反トルストイを形成しているのかもしれない。繊細で緻密、構成力からなにから小説としての完成度はトルストイにいつも軍配があがって、それどころか、『アンナ・カレーニナ』は世界の文学の中では、完成度としてはダントツの第一位だというのだ。だれがそんなことを言うのかって?文学者たちである。文学者って何をしているのかって?『アンナ・カレーニナ』を評価しているのである。 ■小説としての完成度で本を読む、というのはどういうことなのか、そんな疑問に出会う。作家はことばを駆使し、想像力をつかって書いてゆ
「死ぬまでに読みたい」シリーズ。 ひたすら面白い+泣ける+ハラハラしながら読む。いわゆる「ジュニア版」で筋は知っていたのだが、前編だけだったことが分かった。後編とあわせると、こんなにも芳醇な物語になっていたなんて! あまりにも有名な「風車に突撃」は、可笑しいというより痛々しい。ほら、仁侠映画を見たら肩で風切りたくなるのと同じで、厨二病をこじらせて邪気眼が開いたと喜んでいるようなもの。ちょっと痛いか、かなり気の毒かだ。 ドン・キホーテの場合は、騎士道物語(今でいうならライトノベル)に熱中するあまり、ついに自分を伝説の騎士だと思い込んでしまう。都合のいい/悪いことに、その場その場の思いつきで「なりきる」人物をキャラチェンジするので、周りを混乱させたり自分が酷い目にあったり。このネタは魅力的だ。「ライトノベル」というジャンルが確立し、伝説級のキャラクターもいるから、このプロットは使いまわせるぞw
こちらのブログには認証がかかっています。 ユーザー名 パスワード Powered by Seesaa
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く