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ブックマーク / freezing.blog62.fc2.com (61)

  • 坂のある非風景 波を消すために海を離れよう

    太陽は夜に存在できないゆいいつの星であると書かれていたはずツイッターの誰かのプロフィールを追って走ったがすぐに息が切れて見失った。私は前にむかって追ったが、それはすぐ背後に立っていたかもしれない。 大きな板ガラスを運ぶ軽トラックをときどき見かける。ガラスが割れる季節になったのである。その人も、けっきょく最後まで一枚のガラス越しに愛したにすぎないし、そのガラスが砕かれるような季節はついに私たちには訪れなかった。 波を消すために海を離れよう。 なぜ自分の内部の空を自由に飛び回っている鳥は、自分の外では地べたを這いずりまわっているのですかと問われた気がした。遠い昔だったら、なぜ自分が確信している観念の重さは、外から見ればただの軽石なのでしょうか、そういう問いだった。幻想は、私自身を生贄にすることによって軽さも重さも手に入れる。しかし外部には生贄がないのです。 ほんとうに私たちの願望を支えている基

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2013/07/13
    《幻想は、私自身を生贄にすることによって軽さも重さも手に入れる。しかし外部には生贄がないのです。》
  • 坂のある非風景 追悼 吉本隆明

    なにか書こうと思って、冬眠から春眠への境界を眠りのなかで越えながら、そこに吉隆明の訃報がとどき、これで戦後が終わったという、戦後がなにか考えもしない暢気な連中の大合唱を聞いたり聞かなかったりしていた。戦後は始まったばかりだし、どんな時代よりも長い戦後の終りへと道は延びている。 『共同幻想論』が私の書物だったことはないが、そこには、小林秀雄やマルクス・エンゲルスへの深い理解、柳田國男への敬愛も満々と湛えられていて、批判ではなく愛が一冊の書物に結ばれるという公理に私ははげしくうたれたのである。 しかし私の書物だったことはない、ということを告げてきたのは、書が国家論の見かけをとった観念論批判であり、じつは恋愛論だったということを認めたくないからだった。けっして愛が世界を救うと語らないことによって語られる愛を、私もまた見ないためだった。 まるで、ともに生きた人に愛していなかったと告げるように、

  • 坂のある非風景 ザ・インタビューズ(3)

    Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com ■死後、わたしたちはどこへ行くと思いますか? 古代インドの思想であった輪廻転生をいかにして破壊するか、 それが仏教の中心思想だったわけですが、そこで「死後」が生まれました。 死後は、死を生に繰り込むことで死を乗り越えようとする考え方ですし、また、 生きていることは死ぬことでは完結できないという「生きる」ことの欠落を物語っているように感じられます。 生物的な死がくる前に象徴的な死がやってくると、ひとは廃人となって生きつづけます。象徴的な死よりも先に肉体の死があったとき、ひとは亡霊となって行き別れたひとの心の中で生きつづけます。これが重なることのないふたつの死です。すべての死は遅すぎるか早すぎます。 そしてひとは、ひ

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/11/01
    《空を見上げてしまうのがうつむく青年の宿命ではないでしょうか》
  • 坂のある非風景 a rose is a rose is a rose

    ◇『なしくずしの死』L・F・セリーヌ 滝田文彦訳 集英社 元気を出せ、もうひとりぼっちなんだ! ■セリーヌ。ユダヤ人に対し「虫けらどもをひねりつぶせ」を書き、サルトルの反ユダヤ主義批判に対し「蛆虫にこたえる」を書いた。反戦主義者、反共産主義者、反資主義者、反ユダヤ主義者、人数集めの主義すべてとたたかい、すべてに敗北した。国賊とされ、レジスタンスの襲撃をうけ、ナチスに逮捕され(収容所にはいる)、どこかの国家の追跡を免れているときは別の国家に幽閉されていた、亡命に継ぐ亡命、闘争というより逃走の自由しか持たなかったセリーヌ。『なしくずしの死』は貧困と憎悪だけで生涯をついやしたセリーヌ第2作目にあたる。 ■まともな文章はどこにもない。まともな文章とは、主語の次に述語、述語の次に目的語といった文法のことで、これはぼくらの無意識の構造、社会イデオロギーそのもの、規範、儀式、制度、形式、最初の「法」で

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/10/25
    《元気を出せ、もうひとりぼっちなんだ!》 ぞくっとした!
  • 坂のある非風景 ザ・インタビューズ(2)

    Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com ■好きな花を教えて下さい。 花といえば展望台に立って、彼女がゆっくりとこの場所をめざして登ってくるのを見ていましたが、ふと道の曲がるところで屈むと野花を手に取った、それがシロツメクサでした。 けっきょく展望台は工事中で、私たちはその坂をふたりで下ったのですが、そのシーンはまったく覚えていません。 シロツメクサを摘んだ、それだけなのです。私が先に来ていて、登ってゆく姿を見られていることをもちろん彼女は知っていたのです。もちろんそのシロツメクサは、私にその姿を見せるために彼女に摘まれることを知っていたのです。 シロツメクサがいつ咲くのか知ってしまうと、私はそのデートがあった季節を知ってしまうでしょう。季節などがあった

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/10/11
    詩(を作り続けるコツ)とは習慣ではなく反復、というのが興味深い。/《わざとぐるぐると回って森を抜けだそうとする試み》プーさんもやってたな。
  • 坂のある非風景 ザ・インタビューズ(1)

    隆明を介して出会う吉隆明 JAP on the blog(09/06) その亡霊、その模倣 miya blog(08/22) 中上健次は語る 南無の日記(08/11) ブランショを月明かりにして歩く 愛と苦悩の日記(01/21) 作品は過大評価を求めつづける 青藍山研鑽通信(12/01) 十一月の白さは、その白さに尋ねなければならない M’s Library(11/09) 十一月の白さは、その白さに尋ねなければならない 僕等は人生における幾つかの事柄において祈ることしかできない(11/07) 停滞すべき現在さえ 斜向かいの巣箱(10/22) 東京旅行記 #4 azul sangriento(09/23) 東京旅行記 #1 南無の日記(09/21)

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/10/04
    《言葉は音楽の死後を生き始めました。》《歌は同時に生きられなかったふたりの夢の続きです。》
  • 坂のある非風景 忘れられない記憶のほとんどは思い出せない記憶でできている

    対岸には違う私と違う生活があるだろうか。でもそれは思い出せない過去とどこが違うだろう。 違う私は、けっきょくただの「違わない私」にすぎないことを私は知っている。おそらくそれが対岸に渡れない理由なのである。 昨日思った「あらゆるものはあるがままに見えない」が思い出せない。仮に「あらゆるものがあるがままに見えない」ならはたして嘘に意味があるだろうか。 だれかの「汚い嘘」という言葉に立ち止まるのは、まるで「美しい真実」があるかのように思えたからだ。実際は、汚い真実を隠そうとする美しい嘘があり、その当たり前な隠蔽工作が醜悪なだけである。 1940年代末のある日、ケージはハーバード大学の無響室を訪れた。ケージは「無音」を聴こうとして無響室に入ったが、彼が後に書いたものによれば、彼は『二つの音を聴いた。一つは高く、一つは低かった。エンジニアにそのことを話すと彼は、高いほうは神経系が働いている音で、低い

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/09/19
    《だれかの「汚い嘘」という言葉に立ち止まるのは、まるで「美しい真実」があるかのように思えたからだ。実際は、汚い真実を隠そうとする美しい嘘があり、その当たり前な隠蔽工作が醜悪なだけである。》
  • 坂のある非風景 言葉は信念が残す

    打ち明けると、愛すべき作家が別の愛すべき作家について語るのを聞きたい。トニオ・クレーゲルのように、私が愛する二人が私を忘れて愛し合うことを絶望とともに望んでいた。 しかし白状すると、フィリップ・ソレルスの『セリーヌ』はとても読み進むことができない。訳がソレルスにもセリーヌにも届いていない。ずっと同じ単調な音楽が流れていて、それが文体のことだと思っているわけだが、その音楽は騒がしいファストフード店で流れているBGMにしか聞こえない。つまりほとんど聞こえなかった。 セリーヌのエクリチュールを流れる小さな音楽は彼のグロテスクな言葉の背後に流れる主旋律だし、ソレルスには音楽しかないはずだった。それなのにこの翻訳には意味だけを伝えようとして言葉が並べられた。意味では語ることができないほど大きな愛をソレルスはセリーヌに、意味の手前で、絶えず捧げているのではないだろうか。 だから意味だけを伝える言葉はも

  • 坂のある非風景 時間のゆくえ

    「ほんとうのエクリチュールとは受精である」というソレルスの言葉は、セリーヌの手紙にあった「私は父なる精子である」にたいして投げ返されたものだったが、受精したものがそこで遺伝子を引き継ぐのねと、さらに投げ返される言葉を受け取った。言葉はそういう応酬のなかにしかないが、応酬というものさえ、受精の一種かもしれない。 そんなふうに、拒むことによって受け入れてしまい、引き継いでゆくエクリチュールについて思った。ふと思っただけで、長い間思ったわけではないが。 ほとんどの思いは、トランプのシャッフルと同じで三度以上繰り返しても意味はない。一度思って認識は逆転する。二度目で元に戻る。そして元に戻ったとは気づかない。それでシャッフルは終わる。 時間を失っている。私から奪われた私の時間はいったいどこに行ったのか。これも三度以上は問わないようにしよう。 わたしのテクストは小さい声で読んだとき、それを聞いている人

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    keiseiryoku 2011/08/07
    またセリーヌ読みたくなってきた。
  • 坂のある非風景 昼は明るい夜にすぎない

    表題の元ネタは「ぼくは夜明けなんて信じてないの。あるのは明るい夜だけ。」という@_tokeru_氏のツイートだが、たしかに春はあたたかい冬だし秋は涼しい冬にすぎない。では夏は暑苦しい冬だと言えるだろうかとすでに半日くらい考えているところだ。 希望にまみれた昼を拒否して〈その夜〉、どこからも去ってしまったひとを、もうここにしかいないと胸を指さした人と語り合った。〈その夜〉、愛はただ欲望によってたしかめられようとしていたし、〈その夜〉、足りない言葉がさらに足りない思いを作り出していた。 悪趣味は犯罪に通じると言ったのはスタンダールだったが、それを踏まえて戦争は悪趣味すぎると言ったのはセリーヌである。犯罪に通じる悪趣味はまだ犯罪ではない。それはいったいいつ犯罪となるのか。いつか犯罪になるようなものだろうか。原発事故は悪趣味である。 そのセリーヌは医者でもありこういうことを言っている。「現場では、

  • 坂のある非風景 手が先に動く

    起床しない朝は道路が濡れている。小鳥が舞い降りようかためらっているし風は吹こうかどうかためらっている。 昨日とまった時計が指しているのはもう昨日の時間ではない。別れも出会いのようにその境界をこえて遠い過去と未来にまで広がっている。とまった時計は危険である。明日も出会い明日も別れる。何年も経って過ぎてしまった雨に濡れて、道標をうしなった坂をこれからも永久に下りつづける。 同僚の、なんてことない胃カメラの話を聞きながら昼時間をすごした。喉と胃に麻酔がかけられて、やっと喉の麻酔が切れたと思ってべたらまだ胃が死んでいたらしい。切れる麻酔は危険である。胃カメラを飲む経験はいろいろな意味で生きることをあきらめる経験に近いと彼は言っていた。 講談社文芸文庫『柄谷行人中上健次全対話』を持ち歩いている理由に深い理由はなく、神経痛のため重たい単行を持つと歩けないからだった。対話はふたりのあいだに流れる沈黙

  • 坂のある非風景 愛のエピソード

    梶井基次郎のウィキペディアに以下のエピソードが紹介されている。 汽車内で同志社女専の女学生に一目惚れし、ブラウニングやキーツの詩集を破いて女学生の膝に叩き付け、後日『読んでくれましたか』と問うと『知りませんっ』と拒絶をされた事がある。 『知りませんっ』というセリフの最後についている「っ」がおおいに気になる。ブラウニングやキーツが似合うと見立てられた少女の自尊心からやってくるかたくなな憤りが、こんな「っ」で表現されていて、その口調をすぐそばで直接聞いていただれかが書き残したものだと思われた。そしてもちろんこれはウソではない。たんなる誇張である。 すぐそばにいたのが大宅壮一だったかどうか知らない。いっしょに汽車で通ったとされる大宅壮一のウィキペディアにはさらりと「大宅は梶井と仲良くなり文学や恋愛を語り合った」とだけ書かれているが、文学や恋愛を語り合う仲良しといったおそるべき平凡さにおどろいてみ

  • 坂のある非風景 カタロニアの光と影

    吹いていた風に吹かれている。私がもし音楽について語ったらそれは口を滑らせたからだ。忘れるために語ったわけではない。記憶に留まることを妨害する何かがこのときも口を滑らせる。 音楽についてはほとんど知らない。音楽に没頭しないために、あらゆることを試したと言いたくなってしまう。実際、バッハを聴きながら目を閉じると、涙が流れ続けた。この感じは「もう私には過去しかない、それなのに過去はない」という言葉が生まれるときの感じと似ている。バッハは神に至る道を示している、それゆえにわかる。引き裂かれる悲しみの根源にある過去の不在とは、おそらく神の不在である。 目を開かなければならない。ソプラノ歌手の美しい横顔に見惚れて、音楽に没頭してはならない。 止んでしまった雨にまだ降られている。カタロニア民謡はどれも「荒城の月」のように聴こえた。太田哲也氏の過激な編曲で「荒城の月」はぎしぎしと音をたてていた。民謡が民謡

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    keiseiryoku 2011/05/15
    《吹いていた風に吹かれている》/《止んでしまった雨にまだ降られている》
  • 坂のある非風景 連休あるいは、完結しない連休

    やってきた道と同じ道を帰る奇跡を毎日くりかえしていると、まるで奇跡には思えない。なぜ毎日、戻れる道があるのだろう。きっと何もしなくてもいいためである。何も残さないことが普通であるという奇跡を近代は日常化した。もはや私たちの感性には不自然な日常ではなく大型連休が奇跡のように映しだされている。 被災地で倒壊した自宅跡で捜し物をする番組を見て、母はおもしろくないという理由ですぐにチャンネルを変えようとした。時代劇チャンネルにするように私に呼ぶ。時代劇の予定調和的世界がいまどこにあるのか、母たちの老いた世界の過去にだけある。そして若かりし頃、母がどんな番組を好んでいたか私には思い出せない。 捜し物をする被災者は理解できる。しかしそれを物語として、まるでヤラセのように番組にする意図はまったく理解できない。忘れてはならないと告げているのだろうか。捜し物を捜すのは、そうして見つけることによって喪失を忘れ

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/05/15
    《老いた犬を老いた母が散歩に連れだすのを老いた猫が見守っている》 すべては老いて過去のものとなる。つまりは老いたものだけが思い出となり得る。思い出になることができないものたちは、これからどうしようか。
  • 坂のある非風景 何も待つまい、何も持つまい

    石原東京都知事が震災に関して「天罰」発言をしたことにしばらく立ち止まった。フーコーによれば18世紀、糧難に対する政治的態度は二種類の形式をとったという。ひとつは「不運」と呼ばれるギリシャ・ローマ的概念、もうひとつが「罰」だった。 「不運」は自然に対する人間の無能力を確認するための概念ではなく、自分の政治的失敗を受け容れるときの政治的権力者のためにあった概念だとされる。政策が失敗したときに自らの不運を嘆く責任放棄のための方便というより、権力が責務を負うときに必要な形式だった。ただしそこには幸運というものはない。 さて「罰」である。「罰」は人間を悪とみる、ひとつの道徳観からもたらされる。これこそが倫理的というより政治的な概念だった。なぜ人間を善か悪でとらえなければならなかったのか、そこには政治的な強大な権力を道徳によって抑制しようとする意図があったとされている。絶対的な政治的権力に「やっては

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    keiseiryoku 2011/04/12
    《いずれにせよ、幸運のない不運、善のない悪といった対義語をうしなった言葉が、厭世的な政治性だけをまとって現在にまで延命している。 》
  • 坂のある非風景 語るにあたいしないことは沈黙にもあたいしないか

    ふと、のびた爪が気になる。「切らなきゃ。」爪切りを取り出す。仕事柄、爪はいつも短め。どれくらいの時間が経過しているのかアタマが混乱したりするけれど、のびた爪を切りながら、相応の時間の経過と、生きていることを認識する。 爪を切るということは、過ぎた時間を測りながら、これから過ぎてゆく時間を思うことだった。それは時間に追い立てられることではなく時間を見失う経験を指している。時が無常に過ぎてゆくのではなく、時から無情にも振り落とされてしまう。だから時を見失うという言い方は正確ではない。時が私を見失ってゆく、そういう喪失がここにある。 喪失とは、私の乗らない列車がプラットホームから出てゆくことだ。私が去らないときは、去るものたちが私を忘れるだろう。私が去ってゆく時は、残されたものたちが私を忘れてしまうだろう。引越しの哀しさは、いつか私がこの土地を忘れてしまうからではなく、その土地が私を忘れてしまう

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/03/28
    相変わらずの手法が今回も炸裂。
  • 坂のある非風景 カッサンドラーの予言

    カッサンドラーはトロイア王、プリアモスの娘である。アポローンはカッサンドラーの美貌に懸想し、求愛する。自分の愛を受け入れれば「百発百中の予言能力」を授けるとカッサンドラーを誘惑する。カッサンドラーはそれを受け入れ「予言能力」を手に入れるが、その瞬間「アポローンに弄ばれたあげく、捨てられる自分の運命」を予言してしまう。 愛を受け容れる条件はその愛が愛ではないことを知ることだった。ついこれは残酷な愛の不可能を語っているのだろうと読んでしまうわけだが、待てよ、誰だって受け容れた後でそれが嘘だと気づく、そうじゃないのか。いつでも予言は疑いだけを真実に変え、知りたくないことだけを知らしめる。 避けることのできない運命とは、極端な言い方をすると過ぎ去ってしまったことである。過ぎ去ったのに気づかなかったことが遅れてやってくる。犯してもいない罪に罰がくだされるときは、知らない場所で知らない罪を犯していたこ

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/02/20
    《やがて信じられないものの中だけを捜す真理探究者というものが生まれるだろう。しかし彼は、そこで自分が発見するものをどうしても信じることができないだろう。 》
  • 坂のある非風景 辺境をゆく回送バス

    というわけで、何度立ち上がっても必ず倒れる(不屈の病人)としてここに復活したのである。 前回の心筋梗塞のステント治療がうまくいった時には、続けて、もう一箇所の細くなって閉じかけている血管の治療が行われる予定でカテーテル検査に臨んだ。検査結果は良好で、そのまま二箇所目の処置を行った。手首からカテーテルを挿入した。 術後、空気圧で手首を圧迫する透明な器具を見ながら、これはリストカット用に開発された器具ではないかと思っていた。かつて、風呂場で手首から血を流して倒れていた私の最初ののことが頭をよぎった。睡眠薬自殺未遂の際は、そののスニーカーを持って、同じ救急車に乗って、内側から聞くサイレンの音の小ささに驚きながら市内を走り抜けた。私はそのの手首の傷を見たことがなかったが、今目にしている自分の手首の傷が、それではないのかと思った。 新聞をめくる音を思い出すたびに祖母や母のことを懐かしく思い出す

  • 坂のある非風景 無と引き換える引換券を手に列に並ぶ

    とても雨とはいえない。雨じゃなくてここで降るのは雪だろう、そんな日にも同じ時間が流れているけれど、時計通りに進む平日は狂っているとしか思えない。平日というものがわからないが、もちろん休日もさっぱりわからない。 ばあちゃんはちょっとボケてるんじゃない。最初から最後までボケている、と直接母に言葉を投げつける子どもに母は笑いかけている。喜んでいるのだろうか、それともボケているのだろうか。それから母はやっと帰ってきた老に「どこに行ってたの」と問いかけていたが、その言葉も、ボケているものにボケていると語りかける言葉と同じだった。ほんとうは言葉は届かないものではないのだろうか。届かないという届き方をするときに言葉が生まれるとしたらどうだろう。 ニーチェが言っているように、真理とは語り手の立っている場所で手に入る真理にすぎない。場所さえ与えられればだれにでも真理は語れる。だからたぶんだれにでも語れる真

  • 坂のある非風景 冬はいつも同じ冬

    忘れられない死者の袖が秋風にひるがえる。雨がはじまると夜がはじまるのか、夜がはじまると雨がはじまるのか。あいまいな境界線に沿ってわたしの川がながれている。 橋が希望であるうちに渡らなければならない。毎年、それだけのことで来年を生きられそうな気がする。今年知ったのは、殺意を自分じしんに向けることによって世界が開かれることもあるが、そんな世界にさえともに連れ添おうとするひとの近しさがあり、それはあまりに悲しすぎるということだ。別の場所にいるのに共にいることはかなしい。共にいるのに別の場所にいる悲しさよりもかなしい。 死者とともに生きた数年がたしかにあった。私が思いを寄せていたひとが亡くなったことを知ったのはそれから何年も経ったあとだった。その遅れが現在の遅れを決定づけているような気がしている。その年月をどうやって取り返せばいいのか今でもわからない。でも取り戻す方法はあるという確信だけがあり、私