故郷の波瀬では銃剣術のことを銃槍と言っていたが、昔から伝統的にこれが強い村であった。町の青年武道大会でも剣道はたいしたことはないが、銃剣術は毎年といってもよいくらい優勝していたのである。したがって村から陸軍に入隊した者たちは、皆良い成績で満期除隊している。この連中に仕込まれるのだから、村の若い衆は熱も入りしぜんと強くなる。 高等科二年生になると、村の決まりにしたがって青年会に入った。そして一月初めから町の武道大会が行われる三月末まで、毎日、早朝と夕方、集会所の庭において先輩たちから銃剣術や剣道を教わってきたが、私の銃剣術は村中で一番下手であった。 青年学校二年生になっても上達しない。村にいる五人の同級生に差をつけられ、いまいましいので剣道ばかりやっていたのである。私が海軍に入った後で、二人の同級生は銃剣術三段の免許をとり、愛知県代表として明治神宮の全国大会に出場したそうである。 陸軍