さらに、「自由からの逃走」からネタを仕入れますにゃ。 疑似科学というものを考えるうえで示唆的な視点を紹介いたしますにゃ。 いま、ある島にいると仮定しよう。そこには、漁師や都会から避暑にきたひとたちがいる。天気がどうなるか知ろうと思って、一人の漁師と二人の都会人に尋ねてみる。かれらはみな、ラジオの天気予報をすでに聞いている。 漁師は、われわれが尋ねるまではまだその意見をきめていなかったとすれば、天気についての長年の経験と交渉をとをもとにして、考えはじめるであろう。かれは風向きや温度や湿気などが、天気予報のためにどんな意味をもっているかを知っている。そこでさまざまの要因をそれぞれの意味にしたがってはかり、はっきりとした判断に到達するであろう。 かれはおそらくラジオの天気予報を思い出し、それを引きあいに出すであろう。しかしそれにしても、まず自分自身の意見が先にあり、それにラジオの天気予報が一致す
TVアニメ版『天元突破グレンラガン』 今頃になって『天元突破グレンラガン』(TVアニメ版)を見た。 面白い。と同時に、「でもいいの? 本当にそれで?」とも思う。 ここは私の日記帳なので、この違和感について書き留めておく。 面白さについて: ・登場人物の造形 ニアの瞳。ヨーコの奇妙な立ち位置と演技。カミナの勢いと無能さ。 カミナの勢いについては説明を要さないだろうが、無能さについて少し述べる。 第1部の戦いを通して、「カミナの虚勢にシモンが内実を与える」という構図が描かれている、と私は理解した。が、よく思い起こしてみると、カミナの死の直前の戦いはこの構図に収まらない。カミナを単なる英雄とみなす読解にも説得力がある、と言わざるをえない。 が、最終回直前の、多元宇宙の罠の世界で描かれた盗賊カミナの姿は、カミナの無能さを裏付けるものだと読める。また、カミナの父親が地上に出てほどなくして死んでいた、
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