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地域に関するken47のブックマーク (2)

  • 東北関東大震災で義心を感じる人へ 持続不可能な感情と継続可能なシステムについて - じゃがめブログ

    突然ですが、ほんの少しだけ私語りを。 今から16年前の1995年1月17日、私は阪神淡路大震災を経験しました。 当時の我が家は尼崎市にあり、最も損壊の大きかった地域からはやや遠かったのですが、それでも家は半壊しライフラインは完全に寸断されました。最も復旧が早かった電気でも数日、遅かった水道・ガスは数ヶ月間停止したままでした。 学校に行くために自転車で訪れた神戸の街は散々な様子で、倒れるところを想像したこともない高速道路が横転し、ビルが横倒しになる。当然のごとく交通網は完全に寸断され、大阪−神戸間を結んでいた阪急・JR・阪神は全て不通となりました。また、当時最寄り駅であった阪急伊丹駅駅舎のタミータウン(当時・現在は阪急伊丹リータ)は完全に壊滅し、目にしたときはショックで目眩がしたものです。 その交通網なのですが、これが復旧して開通するまでどれくらいの期間が掛かったか、覚えてる人はいるでしょう

    東北関東大震災で義心を感じる人へ 持続不可能な感情と継続可能なシステムについて - じゃがめブログ
  • 日本人が失ったのは「寛容」ではなく「身内」では? - シ口クマの屑籠(汎適所属)

    「最近日から寛容さが失われている」のは何故か - Togetterまとめ 新幹線の車内ではしゃいでいる子どもや、夜遅くまで騒いでいる大学生に対し、私達はどれだけ寛容な気持ちを保っていられるだろうか?次世代を担う子ども達の、年齢相応の振る舞いに対してさえも、寛容よりも非難が勝る人が増えているのではないだろうか? 寛容さとは正反対の、きわめて自己中心的な人達もよく見かけるようになった。自分の意に沿わない相手に攻撃的な人間や、他人に際限なく要求する人間が、モンスター○○などと呼ばれて問題視される時代でもある。*1 これらを踏まえて「昔の日人が寛容」で「現代の日人は寛容じゃなくなった」と結論づける人は多そうだ。少なくとも、見かけ上、日から寛容さが失われたように見えるのはその通りかもしれない。 「身内」には寛容でも「他所者」にはそうでもなかった日人 では昔の日人は、当に寛容だったのか?

    日本人が失ったのは「寛容」ではなく「身内」では? - シ口クマの屑籠(汎適所属)
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