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思想に関するkenjeenのブックマーク (28)

  • 『優生学と人間社会』を読んで - Arisanのノート

    優生学と人間社会 (講談社現代新書) 作者: 米昌平,ぬで島次郎,松原洋子,市野川容孝出版社/メーカー: 講談社発売日: 2000/07/19メディア: 新書購入: 2人 クリック: 60回この商品を含むブログ (46件) を見る 優生学という言葉をはじめて意識して聞いたのは、数年前のことだと思う。 もちろんこの語自体はもとから知ってはいたが、「戦前のこと」であり、おぞましいことだが過去の話であると思っていて、それが現代に復活しつつあると聞いて(実情は、それどころではないわけだが)、奇異の感を抱いたことを覚えている。 このを読むと、「優生学」の過去と現在についてのそうした思い込みは、まったく誤っていたことが分かる。戦後の日社会においても、ずっと「優生保護法」という名の法律が存在してきただけでなく、優生思想は、根的に否定されることのない考えであり続けてきた。 だが、そればかりではない

    『優生学と人間社会』を読んで - Arisanのノート
  • GLOCOM 「地球智場の時代へ-情報社会学シリーズ- 」(情報通信ジャーナル連載): 第9回 : ポストモダン 情報社会の二層構造

    GLOCOM 「地球智場の時代へ-情報社会学シリーズ- 」(情報通信ジャーナル連載) Center for Global Communications,International University of Japan 国際大学GLOCOMの研究員が『情報通信ジャーナル』誌で行ったリレー連載 「地球智場の時代へ-情報社会学シリーズ- 」の各論文を、電気通信振興会様のご好意により1月遅れで転載・公開するものです。 top about philosophy history organization access sitemap 国際大学グローコム 教授・主幹研究員 東 浩紀 ご好評いただいている連載も第9回目。今回は東浩紀教授・主幹研究員に、情報社会を「ポストモダン」という観点から分析していただいた。東教授 によると、ポストモダンの現代は、近代国家を特徴づけていた「全体性」への信頼が失われた

  • 『ヒストリエ』 岩明均

    フェロモンボディのボディソープを買いました。  スリミング・セルライト対策のソルト系のボディソープとしてクチコミでも割と評価... 「美白フリークの愛用する6つの日焼け止め」で触れたイプサのプロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンをまた買いました。 ...

  • 彎曲していく日常 - 〈世界を変える〉 幸福としての政治

    とくに一八世紀において、フランス人なら「公的自由」というところを、アメリカでは「公的幸福(パブリック・ハッピネス)」という言葉がもちいられたことはこの相違をまったく適切に表現している。 要点は、アメリカ人が、公的自由は公務に参加することにあり、この公務と結びついている活動はけっして重荷になるのではなく、それを公的な場で遂行する人びとにほかでは味わえない幸福感を与えるということを知っていた点にある。後になって代表たちが有名な代議会議(コンヴェンションズ)に出かけてゆくことになるように、人びとが町の集会に出かけてゆくのは、義務のためではなく、ましてや、自分自身の利害に奉仕するためでもなく、もっぱら討論や審議や決議を楽しむためであったということは、アメリカ人たちには非常によく知られていたし、ジョン・アダムスはそのことを大胆にもたびたび定式化したほどである。彼らを団結させたのは「自由の世界と自由の

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  • 東浩紀×萱野稔人―暴力のエコノミーと環境管理 - ニート☆ポップ教NEO

    今さらなのか分からないが萱野稔人にハマっている。 彼のブログ(萱野稔人「交差する領域」)などを読んでてなんとなく最近の東浩紀と近いものを感じていた。それは、いつかの東氏のトークイベントで福嶋亮大に指摘された「身も蓋もない話」から始めるという点においてだ。 例えば東浩紀なら「動物」「認知限界」「生殖」、萱野なら「暴力」「カネ」から考えるように。それら二人の出発点は萱野氏がまとめるように「生存」というキーワードで結び付けることもできるだろう。萱野のを読むことで東浩紀が最近問題にしている話がまた見えやすくなった。 立ち位置や見た目では対照的にも見えるかもしれない二人だが、互いに1970年、1971年生まれと世代においてもかなり近い。萱野氏は『東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)』で東が言及したような愛知県の「荒々しい郊外」で生まれ育ったという。それらのことが二人の感性

    東浩紀×萱野稔人―暴力のエコノミーと環境管理 - ニート☆ポップ教NEO
  • 革命家は制止を振り切ってゴミを拾え

    しあわせのかたちさんに個人主義者は「公園のゴミ」を拾えるか?というエントリがあります。「公園に落ちているゴミを拾うか否か」を素材に、「個人主義」の立場とそこで見落とされている視点を整理したものです。 「公園をキレイにしたい人もいれば汚くても構わないという人もいる。キレイにしたい人が多数派なら、議会等で決めて清掃員を雇えばよい」という「個人主義者」の論理には「人が社会を作る以前に社会が人を作るという視点」、つまり広義の教育的見方が欠落している、という論旨です。 「見落とされている」視点にツッコむ、というテクストですが、そこでさらに見落とされている重要なポイントをツッコませて頂きます。 といっても、別段反論でもなければ、個人主義を巡る議論を発展させるものでもありません。 テクストの題とは全然関係ない、細部への混ぜっ返し、「ゴミを拾う」こと自体の意味についてです。 このテクストでは、「ゴミを拾

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    【自分語り】1推しの卒業によせて . 私の1推し、ゆきりんこと柏木由紀ちゃんが、17年に渡り在籍したAKB48を卒業することになった。 この機会に、ゆきりん推し(48ファン)としての自分自身のことをすべては不可能であるものの振り返ろうと思う。 内容からして世代がわかることも仕方ないし、限りなくゼ…

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

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  • 汎用のブログ間対話プロトコルとしての「関心相関性」 - アンカテ(Uncategorizable Blog)

    構造構成主義とは何か―次世代人間科学の原理 この考え方をブログの対話に適用するとどうなるかという話。 専制君主としての「客観性」 「君の(あいつの)意見は客観的ではない」という悪口は、私が若い頃にはよく聞いたが、最近はほとんど聞かない。 日常会話の中でそういうことを言う人が客観的であったことの方が稀であるような気もするが、ともかく「客観的」であることが何らかの権威に通じていた時代の端っこに私は生まれている。だから、その失墜には多少の生活史的な実感がある。 日常会話の中と同様、学問の世界でも「客観的」という価値基準の権威は激しく失墜している。 こので主張されている「構造構成主義」とその中のキーワードの一つである「関心相関性」という概念。どちらも、質的に多義性を含んでいて、いろいろな説明の仕方があるが、私としては「客観性という価値からの戦略的撤退」と位置づけたい。 「構造構成主義」は、現代

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  • スラヴォイ・ジジェク『人権と国家』、寛容と自由

    『人権と国家―世界の質をめぐる考祭』 スラヴォイ・ジジェク 岡崎玲子 ジジェクの試論二篇とロング・インタビュー。二目の試論「人権の概念とその変遷」は必読。短いからサクサク読めます(笑)。 インタビューについては色々批判もあるようですし、実際、日語がヘン、ジジェクの言葉を受け止められていない箇所が多々見られる、などの難はあるのですが、岡崎氏の若さと根性、兎にも角にもジジェクのを新書で出した、という功績を考えればお釣りが来るでしょう。 注目すべき点は多すぎるのですが、まずは「寛容さと共存の何が問題なのか」で話題にしたばかりの「寛容」と自由について。 例えば、「共同体により思想や宗教が強制されることは暴力であるが、信仰自体は自由である」といった論があります。わたしたちが暮らしている世界は、建前としてはこうした西洋的多元主義を是とするもので、少なくとも「思想・信条に対する寛容さ」を示すこと

  • 労働力(商品)になること - heuristic ways

    谷有希子さん*1の小説『生きてるだけで、愛』を読んで、人が「労働力(商品)になる」ということは、決して当たり前のことではなくて、実はさまざまな条件をクリアしないと、自分を「労働力(商品)」として実現・維持することは困難な事柄なのではないか、というようなことを考えた。 この小説は、25歳の「メンヘル」(・過眠症)の女性の「精神的に浮き沈みの激しい毎日」を一人称で描いたもので、自分自身が制御しがたい衝動と無気力の束であるような脱社会的な主観性を内側から描こうとした試みだといえるかもしれない。「あたし」(板垣寧子)は、32歳の雑誌編集長・津奈木と3年前から同棲しているが、1ヶ月前に職場のトラブルで「時給九百円のスーパー」のバイトを辞め、部屋に閉じこもって、だらだら寝たり、過眠症の人間が集うネットの掲示板に書き込みしたり、時々料を買いに出かけたりして過ごしている。津奈木は半年前に編集長をまか

  • 自由意志、自己決定、「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」

    『倫理21』 柄谷行人 柄谷行人「オールドファン」にとってはおなじみのテーマ、というか前にも読んだ気がするのですが、書店でブラブラしていたら文庫になっていたので買ってしまいました。柄谷行人を読む快楽は何と言っても「美文を愉しむ」ところにあるので、何度でも読んだら良いのです。柄谷さんの著書の中でもとりわけ入りやすいトーンなので、大学一年生にもお勧め。 ここでは「ムッソリーニ、人種、自由」で「人種を選ぶ」という形で取り上げた「自由」と「自己決定」について、柄谷さんのお力を借りて再度整理してみたいです。 英米系の倫理学では、自由とは、他人に危害さえ与えなければ何をしてもよいということです。カントがそれに反対したのは、伝統的規範を重視したからではなく、そのことが別に「自由」ではないという理由によってです。自由な選択と見えるものは、実は内的・外的な、様々な原因にもとづいている。つまり、他律的である。

  • 『私的所有論』 - Arisanのノート

    形容する言葉が見つからないようなである。 好きの人には、「まずこれを読め」とすすめたい。そう言っても、おいそれと読み通せるような代物ではないのだが、とりあえず当たってみろとも言いたい。 を読む習慣があまりない人や、何かの事情で読めない、読みにくい人には、このに書いてあること、またこのを読んだことの意味をどう伝えればいいものか、かんがえてしまう。 そんなである。 私的所有論 作者: 立岩真也出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 1997/09/01メディア: 単行購入: 3人 クリック: 33回この商品を含むブログ (42件) を見る以下は、ひとつの角度から、書のごく限定された部分、側面だけを紹介する文章。 導入 1997年に出版された書から7年後に出された『自由の平等』というの冒頭で、立岩真也は自分の分配についての主張を『働ける人が働き、必要な人がとる』と簡潔に要約して

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  • 「好運にめぐりあえなかった金持」のためのエチュード - たいしゅううんどう

    「好運にめぐりあえなかった金持」。確かにそうだ。世界を来自分のものだと信じ込んだ人間、ところが世界は他人たちのもので、自尊心が傷つけられるものだから、世界を粉々にしてやろうと思いたつ人間、「好運にめぐりあえなかった金持」こそが、ラディカルに観念を疎外するのである。「好運にめぐりあえなかった金持」が地下室の住人の質だ。地下室の住人は、なにもかもが愚劣で無意味だと地上の世界を非難する。しかし同時に地上に対して卑劣なあこがれを抱き、この感情をもてあましているのが地下室の住人なのである。彼は考える。どうせ地上に出られないものならば、地上などは炎のなかで滅びてしまうがいい……。(『テロルの現象学』,笠井潔,1993,ちくま学芸文庫,p071-072)ぼくときみとヘーゲル笠井潔氏が、いわば既に「終わりつつ議論」――だが幽霊的に回帰してくる議論として――セカイ系を如何にして議論しているのか、私は知る

  • 『ナショナリズムという迷宮』 - Arisanのノート

    ナショナリズムという迷宮―ラスプーチンかく語りき 作者: 佐藤優,魚住昭出版社/メーカー: 朝日新聞社発売日: 2006/12メディア: 単行 クリック: 11回この商品を含むブログ (33件) を見る このは、魚住による佐藤へのインタビュー、もしくは問答のような形をとっている。 「歎異抄」とか古い哲学書、宗教書みたいな感じである。 クリスチャン、神学徒でもある佐藤の基的なスタンスは、次のイエスについての言及によく示されているといえるだろう。 国家や貨幣という人ならぬものに人間が押さえつけられることを彼は嫌いました。ユダヤ教の来の伝統でいう偶像だと。人間が人間のつくったものに仕えるというのは偶像崇拝で、最も悪いことだと。だから国家に究極価値をおいてはいけないんだと考えたんですね。何より大事なのは個々の関係性の積み重ねです。そのなかには神との関係もあります。関係性が「すべて」だという

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  • 仮想化と欲求 - かえるの開発工房

    どこかより転載。ちょっと、トラックバックを送りたくないので。ご勘弁。 考えていたことだったのでメモメモ。 これは誰か。 性衝動が男性を突き動かす原動力だとすると、ファイル交換ソフトで無尽蔵に手に入る猥褻動画は人類の活力全体に悪影響を及ぼしているのではないか。 自慰行為に必要な手間が減れば減るほど、自慰のほうが楽という状態に陥り、少子化も進むのではないか。 猥褻物の流通は過度気味に取り締まっておいたほうが、男女はより多く結ばれ、その為の努力の全体量は増し、その分経済活動は活発になるのではないか。 同時に性犯罪に対する罰則も高めることは、いっそう正当な男女関係を結ぶための努力の増加を促進するとは考えられないか。 例えるなら、マタタビを与えたのように使い物にならない男性が増えてはいないか。 この考察について、あなたはいかが思うか、ご意見をお聞かせ願いたい。 自分。 仮想世界が現実世界を上回る時

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  • ネットはネオリベラルなグローバリズムを欲望するか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    主義的な金銭経済とネット上の非金銭経済の対立 ボクは、ネットのラディカルさは、無法地帯にあるのではなく、贈与を中心に経済が形成されて、非資主義的な力、資主義的経済に対する「神的暴力」を持つことだといった。ここには、資主義的な金銭経済とネット上の非金銭経済の対立がある。確かに著作権も問題などで、このような問題が顕在化しているが、質的な問題を忘れているのかもしれない。 2ちゃんは匿名だから、実社会よりも、社会的な拘束から解放されやすいのは確かですね。社会的な関係(象徴的関係)の抑圧が弱まる。その結果として重要なことは、好き勝手できるというよりも、想像関係(愛憎)が表出しやすいということでしょう。・・・より簡単にいえば、誰かのためになにかをしたいということが加速されてしまう。 Winnyなどでコピーが出回るのは、だれも資主義的な秩序としての著作権システムを解体させる反(資主義)社

    ネットはネオリベラルなグローバリズムを欲望するか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • ■ - for dust you are and to dust you will return

    の高校生や大学生に、「なぜ人々を平等にしようとした社会主義は結局失敗してしまったのか」という問いを行うと、おそらく圧倒的に多い回答が次のものだろう。「社会主義では、お金が平等に分けられるので、人々は努力をしなくなった。だからみんな怠けてダメになった」この見解は、日では通俗化されたもので、「だから競争の中で努力しなければいけないんだ」という日人の勤勉な意識が透けて見える。 同じ質問をヨーロッパ人にすれば、どう回答するだろうか。 私は留学中に「ソ連などの社会主義国が失敗した原因は何か」という問いをヨーロッパ人に対して3回ほど行ったが、各人に差はあれど、「失敗した社会主義国」の代表格であるソ連が結局は独裁の横行する危険な国家になってしまったことに言及した。結局は、社会主義はスターリンの粛清を生み出してしまった。それは社会主義者の一部が(もしくは社会主義者の多く)が暴力的で革命や暴動を好む

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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  • まなざしの快楽 - ネットは市場主義的「コンビニエンスな解決」以外のものを生み出せ

    ①「モンスターハンター」はなぜおもしろいのか 「モンスターハンターポータブル 2nd」(ASIN:B000GWKY9Y)にはまっている。リアリティあるグラフィックのモンスターと格闘し狩るというこの興奮はなんだろう。モンハンはアクション性が強いゲームであり、RPGのように続けるうちにキャラクターの経験値が上がり強くなるのではなく、経験はプレイヤーの操作の熟練に求められる面が大きい。キーの操作やアイテム使いのタイミングなど、プレイヤー自身の条件反射的な上達が求められる。だから格闘中はまわりが見えなくなるほど画面に集中し、体が緊張し、興奮する。 しかしこのような「身体的な没入」とは別に、人はかならずこの状況を俯瞰するメタ視線がある。鏡をみてそれが自分であると認識できるように、どんなにヴァーチャルなリアリティが向上しても、これがゲームという「劇」であることを忘れることはない。そしてゲーム機の中の「

    まなざしの快楽 - ネットは市場主義的「コンビニエンスな解決」以外のものを生み出せ
    kenjeen
    kenjeen 2007/03/04
    予測可能性の壁」へ引きこもる退屈な日常の解放を、「安全な危険」に求める。