ある人が、ある組織に関わっていることが、その人が未踏の境地に挑戦する上での「安全基地」になることは、ある程度はあるかもしれない。しかし、それはあくまでもその人がその組織とつながる人と共同作業をしたり、資金、資源的な支援を受けたり、「のれん」や「ブランド」を用いることができたりといった、具体的な行動と結びつくプロセスを通してでなければならない。 ある人が、ある組織と関わっていること自体が、その人のプライドになったり、あるいは劣等感につながったりするようなことがあると、それは一つの病理学へとつながる。何よりも、それは、科学的な態度とは言えない。何よりも、そのような態度は、その人の「安全基地」の構築にはつながらないのである。 日本では、大学がその「偏差値」によって「輪切り」され、そのことによって「序列」があると思い込んでいる人が多い。このことが、いかに非科学的な態度であるかを認識することは、日本