<国家安全法の導入で破綻への秒読みが始まった、自由都市・香港の繁栄と一国二制度──次のターゲットはどこか? 本誌「香港の挽歌」特集より> 今年の6月4日、香港のビクトリア公園にはほとんど人影がなかった。昨年とは大違い。一昨年やそれ以前にも、こんな光景はなかった。 30年という歳月のせいではない。1989年のこの日に北京の天安門広場で民主化を求める無数の人々が中国共産党の手で虐殺されて以来、香港市民は毎年、この公園に集まって抗議の意思を表してきた。 中国側は、あの事件を何としても歴史から抹殺したい。それでも従来は、特別行政区である香港とマカオでの追悼式典は黙認してきた。しかし今年は違った。新型コロナウイルスの感染防止を口実に、当局はビクトリア公園での集会を禁じた。 暗い時代のひそかな足音を、香港の民主活動家は感じ取っている。香港では昨年、犯罪容疑者の身柄を中国本土に引き渡せる「逃亡犯条例改正
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