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ブックマーク / www.mishimaga.com (24)

  • 第55回 敗れざる者|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    2016.10.10更新 50秒...、1、2、3、4...。 対局室から記録係の秒読みの声が聞こえてくる。 二人の一分将棋は続いている。 将棋会館4階エレベーターホール。夜の静謐の底には、まだ勝負の熱が蠢いている。 窓際のベンチに腰掛け、壁に架けられたデジタル時計を眺め続けていると、ついに液晶の表示は「2:00」を示した。 夜更かしをする人さえ眠りに就くような時間に、棋士と棋士は殺すか殺されるかの勝負を続けるのである。信じる道で光り輝くため、生き残るため、報酬を得るため、誰かを守るため、己の誇りのために。 10月6日、正確には10月6日朝から7日未明まで続いた順位戦B級1組・木村一基八段対丸山忠久九段戦は死闘となった。午前10時に始まった一局は、午後3時46分に千日手となり、先後を替えた指し直し局は、日付の境界を越えてなお終わりの見えない長い将棋になった。 他の対局は全て終わっている。特

    第55回 敗れざる者|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン
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    kits 2016/10/10
  • 第48回 昇級を捧げる|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    2016.03.11更新 3月10日午前2時半。 第74期順位戦B級2組最終一斉対局の結果、彼がB級1組への逆転昇級を果たしたことを知った。 直後のインタビューには「名人」という文字があった。 棋士の言葉だった。 3月10日午後11時半。 電話越しの彼は、いつもの彼だった。 でも、微かな高揚の体温を声の中に感じ取った。 いや...まだちょっと信じられないです。 聞いた時は驚き以外になかった。 正直、上がれるとは思っていませんでした。 父を1月に突然亡くして、気持ちが沈んだ中で将棋を指してしまっていました。 俺はプロなんだから、なんとかしろよ、と思っていましたけど...。 普通の心ではいられなかった。 心にポカンと穴が空いてしまっていました。 だから、父が導いてくれたとしか思えない。 名人を諦めるな、と言ってくれている気がします。 僕は父に将棋を教わったんです。 6歳の時、保育園で女性の先生

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    kits 2016/03/11
    「名人を諦めるな、と言ってくれている気がします」おお。
  • 第44回 あのー、ご趣味は|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    壇上にいるノーベル物理学賞受賞者に私は尋ねた。「あのー...ご趣味は...」と。 秋。スポーツ、芸術、欲、日シリーズの季節である。ところが、スポーツ新聞の社会面の記事を担当する私にとって、近年はノーベルウィークの到来あるいは襲来を意味する色彩が強くなっている。 何しろ日人が獲りまくるのだ。過去の全受賞者は24人だが、2008年以降に半数の12人が集中している。「毎年誰かが獲る」という恐るべき単純計算が成り立つことになる。さらに毎年忙殺されるのは、あの方の文学賞受賞時の準備である。来年こそ...。 案の定、今年もオープニングの医学生理学賞で北里大特別栄誉教授の大村智さんが受賞。さすがに2夜連続は...などと言っていると御家芸の物理学賞で東大宇宙線(宇宙船じゃありません)研究所長の梶田隆章さんがノーベルウィナーとなった。候補に名前が挙がっている時点でバタバタバタ! カウントダウンでドキ

    第44回 あのー、ご趣味は|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン
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    kits 2015/10/19
    北野記者の将棋関係の記事は本当に面白い(バックナンバー参照)だけに、この書き方は残念。
  • 第42回 交錯する部屋|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    戦い終えた右手をそっと将棋盤の端に添え、高浜愛子は投了の意思を示した。 至近距離でテーブルを取り囲む20人ほどのギャラリーからは、緊張の弛緩による吐息が漏れた。 皆、目の前の勝負の重さを知っていた。 感想戦が静かに始まった。 聞き取れないほど小さな声で盤上に対する意見が交わされていく。 ふと気が付くと、勝利した飯野愛の瞳に涙が浮かんでいた。 嬉しくて泣いているわけではない。もちろん悔しくて、悲しくて泣いているわけでもない。 将棋盤の先にいる同志のことを想って泣いていた。あるいは、将棋という勝負事が人に強いる厳しさについて泣いていた。 人が棋士になるには養成機関「奨励会」に入り、昇級昇段を重ね、年齢制限を迎える前に三段リーグを突破して四段にならなくてはならない。 一方、女性が女流棋士になるには養成機関「研修会」に入り、昇級を重ね、年齢制限を迎える前に規定の成績を残して女流3級に

    第42回 交錯する部屋|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン
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    kits 2015/08/17
    米長哲学があるからこそ「常に全力を尽くす」ことが徹底されているのではないかと思う。/ 高浜さんがんばってほしい。
  • 第41回 台風下の棋士|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    夜は深くなり、雨は激しくなった。 台風6号は勢力を弱めて温帯低気圧に変わりましたと、さっき会社で観たばかりのニュースは伝えていたはずだが、改札口を抜けると22時の千駄ヶ谷は豪雨の街だった。品川で山手線に乗った時より格段に雨脚が強くなっている。駅前は家路を急ぐ人々ばかりで、これから街へ出ていこうという物好きは私くらいのものだった。 川と化した横断歩道を渡る。向こう岸に着いた時には下の中まで水浸しになっていた。横殴りの雨が襲えば、小さな折り畳み傘など形だけの代物だった。決死の覚悟で歩道を進むものの、五叉路を折れて鳩森八幡神社を回り込む頃にはシャツもファイブポケットパンツもズブ濡れになっていた。珍しく早い時間に仕事が終わった夜だ。おとなしく帰宅するのが最善だったか、と少し思った。 闇に包まれた坂を見下ろす。電灯看板には「将棋会館」の4文字が浮かんでいる。守衛に挨拶をして、誰もいない記者会室

    第41回 台風下の棋士|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン
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    kits 2015/07/10
    「勝つための最高の選択であることを放棄した上での美しい一手など、あり得ないのである」
  • 第19回 文字兄弟/タミル文字|究極の文字をめざして|みんなのミシマガジン

    語はどこから来たのかという「日語系統論」は、多くの人が若いころにだいたい一度ははまるテーマです。 私も高校時代をこれでつぶし、おかげでスポーツも恋愛も友情も、まったく無縁の青春を送る羽目になりました。 いや、それが原因だということにしておいてください、後生ですから。 学生時代、「日語はウラル・アルタイ語族に属している」ということを習った人もいると思います。 ただ、この説は現在ではほぼ否定されていて、というか、そもそも「ウラル・アルタイ語族なんてものはない」という話になっています。ドラスティックにもほどがあります。 一方で、「ぽたぽた」とか「てくてく」とか音を繰り返す特徴など、南方系の言語との共通点が多く指摘されていますが、だからといってどこか特定の言語とのつながりが実証されているわけでもありません。 今ではなんとなく、「南方系の言語がベースにあったところに、北方系の言語が

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    kits 2014/12/18
  • 第20回 思いのままにピックアップ/チェロキー文字|究極の文字をめざして|みんなのミシマガジン

    中学生の頃「自分文字」というものを開発したことがあります。 一時期は学校の授業のノートをこの文字で取るなど自在に操っていたのですが、そのせいで成績が悪くなったのは言うまでもありません。 今ではさっぱり読めなくなってしまったこの文字ですが、唯一覚えているのは、「あ」を表わす文字が「す」を左右反転させた形だったこと。 つまり、「す」のくるっと回転させる部分が左ではなく右についていたわけです。 なぜかと言われても困りますが、一から自分で文字を作るより、ある文字を適当に借用してしまえ、という省エネ発想だったのかと思います。 この省エネを地で行った文字があります。アメリカ先住民の一つであるチェロキー族の使う「チェロキー文字」です。 この文字を作り出したのは、チェロキー族のシクウォイア(Sequoyah)という人物で、19世紀初頭のことです。 当時のチェロキー族は文字を持たず、彼もまた文字は

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    kits 2014/12/18
    文字を借用して独自の音を当てている。
  • 第36回 彼の中の失われない部分|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    8×8マスの盤上中央、中心から点対称の位置で2つのビショップが睨み合っている。 羽生、そしてカスパロフの指先によって操られた駒と駒は、互いを牽制するように小刻みなステップを踏んでいく。 カスパロフ、羽生、カスパロフ、羽生...。 手が進むにつれ、大盤解説会場の空気は緩んでいった。解説担当で、いずれもチェス元日王者の塩見亮と小島慎也が「スリーフォールド・リピティション」となることを確信し、局面を語り始めたからだ。つまり、将棋で言う千日手模様だ。両者が同一局面を指し続け、ドローになると結論付けたことで、直前まで保たれていた緊張は一気に弛緩した。 選択権を持つカスパロフにとって、ドローは異存のない結果だったはずだ。白(先手)での第1局では羽生に圧勝しており、第2局をドローとしても1勝1分で「羽生に勝った」ということになる。チェスは引き分けの割合が多いゲームで、国際的プレイヤー同士の対局

    第36回 彼の中の失われない部分|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン
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    kits 2014/12/12
    現役を退いても王者であり続けるカスパロフさん。
  • 第33回 宿命を生きる|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    15歳の少女は言った。 「囲碁が無くなったら死ぬしかないです」 ティーンエイジャーには縁遠いはずの「死ぬ」という言葉を、柔らかい笑顔のまま口にする。まるで放課後の予定をクラスメイトに告げるように。何の外連味も衒いもなく。 「私から囲碁を取ったら何も残らないです。辞めたいと思ったことはないですし、挫折したと思ったことも正直に言うとないんです。囲碁は人生そのものだと思っています」 未成年という意味では、まだ少女かもしれない。しかし、人格から言えば彼女はもう大人だ。そして、生きている世界を語れば、勝負師ということになる。 「もうすぐ16歳になる15歳」を世間のスタンダードで考えてみると「高校に通い始めたばっかりだから、まだ進路のことを深く考える必要もないよね。とりあえず部活がんばろ、あとは友達といっぱい遊ぼ」といった年頃のはずだ。差し当たってのリアルな不安は迫っておらず、茫漠とした希望を

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    kits 2014/11/06
    藤沢里菜二段
  • 第34回 羽生の一分、鳴り響く歌|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    あの時、羽生は何を見ていたのだろう。何を思っていたのだろう。 一分将棋の死線の上で。 秒読みの焦燥、確信した勝利、敗北の恐怖、恍惚、不安。 何も分からない。分からない。誰にも分からない。 午後10時29分、134手目。劣勢の豊島は△8二銀を着手する。終盤のセオリーをかなぐり捨てる執念の受けだ。揺らめき、くぐもっていた控室の熱は突然、大きな声になって発露された。 一分後、羽生の右手の指先は8二の地点へと伸び、豊島の銀を奪い上げる。9三にいた竜を切る驚愕の手順で踏み込んでいったのだ。 「うわああああ」 一目見て危険すぎる一手の出現に、検討陣は再び歓声とも悲鳴ともつかない声を上げた。 継ぎ盤を囲む棋士、報道陣、関係者の多くは口元を緩ませている。もちろん嘲笑ではない。苦笑でもない。ゾクゾクする高揚を得た時に人が見せる笑みだった。 まだ羽生の駒台には飛、銀2枚、香、歩5枚が乗っている

    第34回 羽生の一分、鳴り響く歌|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン
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    kits 2014/10/30
    (中村太地六段)「あと一歩まで来ながら、最後の最後に足りないものは何なのかが若手に突き付けられている気がします」
  • 第29回 真っ白な灰に|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    デッドライン上を彷徨う夜は長く、そして苦しい。 昭和48年4月、漫画家ちばてつやはペンを握り、机に向かいながら苦闘していた。どうしてもアイデアが浮かばない。描くべきものが分からない。どうしたらいいのだろう・・・。 それでも、締切に間に合わせるための妥協など出来るわけもなかった。目の前にある空白のページが待っているのは「あしたのジョー」のラストシーンだったからだ。 今、この瞬間も日中の若者が夢想しているに違いないのだ。それぞれのエンディングを。ジョーが向かう運命の行方を。 思わずアシスタントたちに告げた。 「懸賞金を出すよ。いいシーンを思いついてくれたら採用するからね」 半分はジョーク、半分は気だった。 そんな様子を見つめていた担当編集者は意を決して言った。 「ちば先生、ジョーと紀子が公園で会うシーンを読み返してみて下さい。僕にはあの場面にストーリーの核があるように思えるん

  • 第27回 奪還 震える夜|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    極限の一刻に震えたのは指先ではなかった。 夜、8時2分。控室のモニターは対局室の2人を映している。自らの手番で考慮に入り、ゆらゆらと前後に揺れていた羽生の体が突然ビクッと震えた。続いて右手で頭を掻くと、前後への揺れはピタリと止まった。大きく息を吸い込むスゥーッという音が響く。そして、盤上を走らせていた視線はある一点から動かなくなった。 あの瞬間、羽生は発見したのかもしれない。名人を奪還する一手を。 21日、成田山新勝寺奥殿で指し継がれた第72期名人戦7番勝負第4局は形勢不明のまま最終盤に突入した。開幕から3連勝している挑戦者・羽生善治三冠、もう後のない森内俊之名人・竜王が盤を挟んでいる。両者が2階の対局室で放つ決戦の空気が下階まで流れ来たかのように、控室は奇妙な静寂に包まれていた。 羽生の放った勝負手▲4一金により、局面はさらに難解を極めた。部屋の中央では立会人の佐藤康光九段、木村一基

    第27回 奪還 震える夜|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン
  • 第26回 先駆者の訪問|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    前夜遅くまで続いた高熱のせいで、私の意識は朦朧としていた。 早朝、マスクを二重にして現場に向かう。無事に明治記念館まで辿り着いたが、頭はボーッとしたままだ。足元はふらついている。そんな状態だったから、羽生善治の姿が視界に入ったときは冗談抜きで幻覚ではなかろうかと思った。 いるはずのない人が目の前にいる不思議、そして緊張が私の感覚を少しずつ現実の世界へと呼び戻していった。 3月24日、第40期女流名人位戦の就位式が行われた。報知新聞主催の女流タイトル戦で5連覇を飾った里見香奈女流名人の戴冠を祝うパーティーである。主催社の担当記者としては、さすがに病欠というわけにはいかない一大行事だ。 棋戦ごとに開催される就位式は、将棋界で最も幸福なイベントと言っていい。棋士、女流棋士、関係者、報道陣らが集い、壇上のタイトル獲得者を祝福する。乾杯の声、女流棋士の華やかな和服姿、久しぶりの再会と談笑・・・

    第26回 先駆者の訪問|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン
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    kits 2014/05/02
    「羽生は、ただ単純に里見と直接会って励まそうとしたのである」
  • 第12回 ゴマ粒ほどの違い/キリル文字(ウクライナ語)|究極の文字をめざして|みんなのミシマガジン

    エロシェンコという、20世紀初頭に活躍した盲目の作家がいます。 ・・・あ、いえ、違います。 今回のテーマは佐〇河内氏ではありません。 タイミング的にアレですが、まったく他意はありません。 今、問題になっているウクライナおよびウクライナで使われているキリル文字の話です。 このエロシェンコ氏、日に生まれたら確実にいじめられそうな名前ですが、幸いウクライナ生まれ(当時はロシア帝国領)でした。 病気によって幼いころに失明し、一時は荒れた生活を送っていましたが、当時、世界共通言語として流行していたエスペラント語を学ぶなどして徐々に更生。 そのうち、「盲人が按摩の仕事などをしてきちんと自立している素晴らしい国がある」ということを聞き、憧れるように。 実は、その国こそが日でした。 「いや君、その名前だとちょっと・・・」という知人の制止(推定)も聞かず、1914年に日を訪れます。 まぁ

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    kits 2014/04/16
    「ロシアっぽい文字にゴマ粒が振ってあればウクライナ語」
  • 第4回 インド棒/デーヴァナーガリー文字|究極の文字をめざして|みんなのミシマガジン

    先日、この愚にもつかない連載を掲載していただいている「みんなのミシマガジン」の紙版の最新号(6月号)が送られてきました。 「相変わらず奇抜な表紙だなぁ。素晴らしい」 などとニヤニヤしながら改めて見て、驚きました。 なんとカバーにヒンディー語(デーヴァナーガリー文字)が書いてあるではないですか! ついに文字ブームが来たか! ・・・と思ったら、別に文字うんぬんの話ではなく、単にこの号がインド特集だからでした。 私が告知するのもどうかと思いますが、8月18日には城陽で、「みんなのミシマツリ――城陽に インドがやってきた!」というイベントも開かれるようです。 インド人がよくやっている「ペットボトルに口をつけずに中身を飲む方法」を教えるワークショップなども開催されるそうで、他人事ながらちと斜め上を行き過ぎではないかと心配になりますが、近くに住んでいたら絶対に行きます。 というわけで、今さら

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    kits 2014/04/16
    文字の上の方を棒で繋げるとインドっぽくなる。/ この連載面白いなー。
  • 第25回 羽生について語るときに森内の語ること|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    あの日、森内俊之は思っていた。 勝負の熱の中で、誰にも知られず、1人きりで。 「対戦相手と戦いながら自分とも戦っていました。非常に重いものを背負いながら...。自分が先になってしまっていいものなのかと」 2007年6月29日。第65期名人戦7番勝負最終局。挑戦者・郷田真隆九段との最後の戦いの終盤、勝利を確信した。勝てば名人通算5期となり永世名人の資格を得る。通算4期で並ぶ羽生善治より先に将棋歴史に自らの名を刻むことになるのだ。「木村(義雄14世名人)、大山(康晴15世名人)、中原(誠16世名人)、谷川(浩司17世名人)と来て、次の永世名人は羽生さんがなるんだろうなーと誰もが思っていて、私も思っていたんですけど、自分が先に5期目を取りそうになった時、なんて言うんでしょうか...葛藤がありました」  将棋界について知らない人に「将棋界にはとんでもないものがある」と声を大にして伝えたくな

    第25回 羽生について語るときに森内の語ること|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン
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    kits 2014/03/30
    「羽生さんは将棋界に自分自身で新しい道を生み出して切り拓いて来た人。私は付いていっただけ」「相手が7冠だろうが何だろうが勝つ時は勝ちますので」謙虚さとプライド。
  • 第23回 神々の集う場所|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    2014.02.20更新 三浦弘行の指先は震えていた。 2月6日午前1時過ぎ、将棋会館特別対局室。 感想戦で指し手を再現していく右手の人さし指、中指、薬指が小刻みに揺れている。羽生善治が勝利を確信した一手を指すときの、あの激しい震えとは違った。凍りつく寒さに震えるような微動だった。 両目は充血し、真っ赤に染まっている。 枯れた声で言葉を発する。 「こっちも覚悟を決めないといけなかったので」 勝ったのは三浦だった。指先だけでなく、魂を震わせる1勝を手にしたのである。 渡辺明の声は明瞭だった。 午前10時からほぼ15時間に及んだ勝負の疲れや、名人挑戦の目がなくなった落胆など微塵も感じさせなかった。通常、感想戦とは極めて難解なことが極めて理解し難い言語によって語られるという極めて厄介な行為である。主語述語が無慈悲に割愛され、精巧な技術がファジーなフィーリングのような雰囲気の中で語ら

    第23回 神々の集う場所|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン
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    kits 2014/02/21
    十柱の神々、最後の戦いへ。
  • 第6回 羽生善治流カレーライスの食べ方|実録! ブンヤ日誌|平日開店ミシマガジン

    4月から担当に将棋が加わりました。これで現在、政治・社会・事件・人物・書評・街ネタ・将棋etc・・・を担当していることになります。逆説を説けば、担当などない、ということですね。ちなみに囲碁担当なるものは存在しません。 将棋と言えばハブさん。羽生善治名人(厳密に言うと、現在は名人・王座・棋聖のタイトル3冠を保持)です。誰もが知っている唯一の棋士でしょう。 16日、東京は千駄ヶ谷の将棋会館で昨年度の将棋大賞表彰式がありました。羽生名人は3年連続17回目(!)の最優秀棋士賞を受賞です。式が終わった後、スキを見て名刺を渡し、挨拶しました。 「はぶ先生、ホーチの北野といいます。新しく記者会に入りました」 「あ、どーもー。それはそれは。よろしくどーもお願いします」 スッとフトコロから名刺を出し、頭を下げる名人。1秒の沈黙の後、恐れていた問い掛けがやってきました。 「ちなみに将棋の方は・・・やられる

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    kits 2014/01/31
    カレーを箸で食べる話の出所はこれか。2010年4月の記事
  • 第21回 闘志について語るときに渡辺の語ること|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    年季が入りすぎて暖房が故障してしまったのか、喫茶店の店内はヒンヤリと底冷えがした。外にいるときとほとんど変わらないくらいだった。スラックスにドレス・シャツ一枚の渡辺明は「ちょっと寒いですね。着ていいですか?」と言って、例のウィンドブレーカーに袖をとおした。 ブルーマウンテンの香りに満ちていたはずのコーヒーカップは必然的に2つともカラになっている。「お代わり頼みます?」と提案すると、彼は「大丈夫です」と小さく言った。正直、遠慮は無用だった。私は熱いコーヒーを胃に流し込む欲求に駆られたが、忍耐の局面だ。話の続きを聞こう。 「ちょっと伺いにくいんですけど、やっぱり竜王位というのは特別なものだったんでしょうか」 過去9年間、彼が最も多く耳にした単語のひとつだろう。「竜王」という言葉の勇壮な響きを聞いて、渡辺は少し淋しそうな顔をした。私の問いかけが「・・・だった」と過去形だったせいかもしれない。迂

  • 第20回 羽生について語るときに渡辺の語ること|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    マンチェスター・ユナイテッドのエンブレムが左胸に入ったウィンドブレーカーを羽織って、渡辺明は改札口に現れた。欧州サッカーフリークの彼らしいな、と思った。狙い澄ましたように待ち合わせ時間の3分前だった。 「お待たせしました。すいません」 黒地に赤のパイピングという洒落たカラーリングは、当たり前だが、対局室の彼からは遠く、新鮮に映った。 年の瀬の12月28日。駅前の小さな商店街は正月休みに入った店もあり、静かだった。 クリスマスはご家族でお祝いを? などと歩きながら尋ねると「いや、自分はイブに対局があったので、終わった後に棋士何人かと観戦記者の方と飲みに行きました。男だけで」と笑った。 古い喫茶店に招き入れられた。「ここ前に取材で使ったことがあるんで、いいかなと」。 おそらく開店から40年は経っているであろう店内は、床から天井まで全て木で造られ、宿命的なコーヒー色に染まっている。初老の女主

    第20回 羽生について語るときに渡辺の語ること|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン