大学でbe動詞教える授業、文科省が改善要求 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) こういう大学の授業のレベルの問題は時々話題になります。僕自身、以前も、twitterでとある大学のシラバスの件で議論になり、「あのシラバスの意味するもの」というまとめを作っていただいたこともあります。 いわゆる初等・中等レベルの内容が大学の授業で行われていることについて、あらためて考えてみたいと思います。こういう問題は、わりと議論が沸騰しがちなので、今回は話を整理したいと思います。 まず、大前提として、50%をこえる進学率と、推薦入試等による大学の青田買いの結果、低学力学生が大学に入学しているのは事実です。それは、大学の責任でもありますが、そういう学生が大学教育を必要としている、もっと言えば、大学進学以外の選択肢がない、というのも、これまた日本の現実なのです。別の角度から見れば、かつてだと大
ここで私が言いたいことは、一夫多妻制の是非の議論ではありません。大切なことは、「未知なる新体験で視野が広がる重要性」と、「違いを理解することは、絶対に正しい考えなどないと知ること」です。
国際競争力強化が日本の大学の課題とされているが、「リアル」と「想像上」の競争のギャップを認識しなければ、真の大学改革には効果がない。オックスフォード大学の苅谷剛彦教授が大学の「グローバル化戦略」の盲点を突く。 大学の国際競争力をテーマに、日本の大学について論じる場合、なぜ国際競争力が問題なのかを議論しておく必要がある。特に、英国と比較する場合、国際競争力が問題となるコンテクスト自体が大きく異なることに目を向けることが重要となる。そのことを明らかにしておかなければ、比較もできなければ、比較の結果に意味を持たせることもできない。 「リアル」と「想像上」の国際競争 はじめに「大学」の国際競争力がなぜ問題となるのかを、他の分野と比べることで明確にしておこう。例えば、ある国の企業群の生産性、政府の外交力・軍事力、あるいは一国の先端的な科学技術の水準といった領域において、その国の企業や政府、科学技術者
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