ソ連に関するkodai795のブックマーク (319)

  • 人気作家プリレーピン氏に聞く

    モスクワの南東400キロメートルの小さな村に暮らす、有名作家のザハール・プリレーピン氏が、文学賞の授賞式のためにモスクワを訪れた。著書、文学、ウクライナ情勢などについて、ロシアNOWが聞いた。 プリレーピン氏は国家ボリシェヴィキ党(ロシアでは禁じられている)の党員で、チェチェンの武力紛争に参加した特別警察隊(OMON)の元隊員である。長編小説「病理(Patologiya)」をもってロシアの文学の舞台にあらわれたのは2004年。著書はすでに10冊をこえ、多くの栄えある文学賞を受賞している。最近の長編小説は、ソロヴェツキー特別収容所に関する「僧院(Obitel')」。ロシアの「今年の散文」に選ばれ、さらに重要な文学賞「ボリシャヤ・クニーガ(大きな)」を受賞した。 -「今年の散文」の著者になった気分はいかがですか。 大人ですから、このようなことには落ち着いて反応します。毎年新しい「今年の作家」

    人気作家プリレーピン氏に聞く
  • ゲームに登場するおかしなロシア人

    外国の開発者のコンピューター・ゲームに登場するロシア人は、固定観念にもとづいたキャラクターが多く、現実とはかけ離れていることも多い。そんな強烈ロシア人が出てくるゲームを、ここに集めてみた。 グランド・セフト・オートに出てくるロシア人を、ここで挙げないわけにはいかない。第2作にはなぜか共産主義のシンボルである、赤い星をかかげたロシア・マフィアが 登場。マフィアらしからぬ「同志」という呼称も使われる。暗殺と兵器の販売を仕事とし、あらゆるゲームのなかで最も頑丈な車「ブルウォーク」に乗っている。この車はグレネードランチャー、手りゅう弾、火炎瓶の攻撃にも耐える。一味のカラーはやっぱり赤。このゲームに出てくるロシア人はみんな悪党だ。 第4作に出てくるラジオ局「ウラジオストクFM」では、ロシアのアーティストのキノー、ゼンフィーラ、BI-2、ヴャチェスラワ・ブトゥソワのヒット曲も流れる。 名セリフ「資

    ゲームに登場するおかしなロシア人
  • ソ連のラブコメ「運命の皮肉、あるいはいい湯を」が映画館で放映

    1976年の今日、8月16日に、ソ連の恋愛コメディーの傑作「運命の皮肉、あるいはいい湯を」が映画館で上映された。ロシア人は、毎年大晦日に必ず放送されるこの映画を見ないと年が越せない。 最初はテレビ映画として同年1月1日に放映された。監督はエリダル・リャザーノフ。 なさそうであり得る話 大晦日の夜、モスクワの独身男性4人組は、毎年サウナで年を越す習慣。外科医のジェーニャが恋人と結婚するというので乾杯すると、下戸のジェーニャは酔いつぶれ、うっかりレニングラード行きの飛行機に乗せられてしまう。 レニングラードについても酔いの醒めないジェーニャは、タクシーをつかまえて、自分の住所を告げると、着いた場所は、ジェーニャのアパートとまったく同じ外観、間取りで、なんと鍵まで同じだった。 (ソ連時代は、どの街にもレーニン通りやマルクス通りがあり、フルシチョフカと呼ばれる同じ規格のアパートがあり、鍵の種類も限

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  • チェブラーシカ、撮影前に「取り除かれた」体のある部分とは? アニメーション・スタジオの編集長が語る

  • 湖底の町キーテジ

    ニジニ・ノブゴロド近郊のスベトロヤール湖で、考古学者らがキーテジの町の痕跡を発見か? キーテジは、中世ロシアの伝説の町で、義人とともに湖底に消えたと伝えられる。古代ギリシャの哲学者プラトンの著作などに記されている、大西洋の海底に消えた幻の大陸アトランティスになぞらえて、「ロシアのアトランティス」とも呼ばれる。 湖で発見された集落 数千個の陶器の破片、折れた鉄剣、馬具の切れ端、石臼、火打金、――600年前にスベトロヤール湖畔に住んでいたロシア人が残した痕跡というのは、これがほぼすべてだ。もうひとつ、水深50センチのところに見つかった丸太小屋の跡らしきものもある。 「これはきっと、町と言うよりも集落だったろう」と、考古学調査団長エフゲニー・チェトベルタコフ氏は言う。 「つまりここにあったのは、いくつかの仕事場を備えた家屋一棟で、10人~15人が住んでいた。実際には、この集落は大規模なものだった

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  • すったもんだの「労働者とコルホーズの女性」像

    1937年パリ万博のために、社会主義リアリズムの彫刻の達人ヴェラ・ムヒナによって制作された「労働者とコルホーズの女性」像。 セルゲイ・フォミン撮影/Global Look Press 全身ムキムキの男性と、サンドレスを着た筋肉質の女性が、鎌と槌を持って一緒に立っている。労働者とコルホーズの女性像は、ソ連の労働者階級と農民の永遠の団結を象徴するために建立された。 ソ連の実際の労働者と農民と同様、この像はさまざまなことを経験してきた。 1.     古代ギリシャの彫刻にインスピレーション この像は、1937年パリ万博のために、社会主義リアリズムの彫刻の達人ヴェラ・ムヒナによって制作された。ソ連が建国されてからは初参加となるこの万博で、政府(ヨシフ・スターリン政権)は国威を示したいと考えていた。 ムヒナと建築家ボリス・イオファンは、労働者とコルホーズの女性像の設置先であるソ連パビリオンの準備作業

    すったもんだの「労働者とコルホーズの女性」像
  • キューバ経済が60年代からまったく進歩していないことがわかる36枚の写真

    キューバ経済は、これまで半世紀以上ほとんど微動だにしてこなかった。そのため、現在と数十年前の写真を比較しても、どちらがどちらか言い当てるのは難しい。キューバは、過ぎ去った時代の「タイムカプセル」のような存在になっていたのである。これらの写真から、1960年代以来キューバの経済がほとんど変化していないことがわかる。 SANTIAGO DE CUBA, CUBA - MARCH 24: People fill the street in a busy downtown neighborhood on March 24, 2012 in Santiago de Cuba. Fourteen years after Pope John Paul II visited Cuba, Pope Benedict will arrive into the communist country on Mond

    キューバ経済が60年代からまったく進歩していないことがわかる36枚の写真
  • 宮殿や貴族の大邸宅はソ連時代にどんな運命をたどったか?

    ソビエト政府は、宮殿や貴族の大邸宅を含むすべての私有財産を国有化し、時にはそれらを珍奇な目的に使った。 帝政ロシアの末期、さまざまなデータを総合すると、約4万の邸宅と数十の宮殿があった。しかし、1917年のロシア革命の後、多数の所有者が逃亡し、近隣の住民の荒らすがままにまかされた。今日まで残っている邸宅はわずか10分の1であり、しかもその多くは依然として破壊されたままだったり、打ち捨てられらままだったり。宮殿の運命は、邸宅よりはましだが、やはりソ連時代にいろんな試練にさらされたものが多い。 博物館 サンクトペテルブルクの宮殿や皇帝の離宮については、ソビエト政権はその多くを“大目に見た”。早くも1918年には、ツァールスコエ・セローのエカテリーナ宮殿、豪壮華麗な噴水群で名高いペテルゴフ、ガッチナ宮殿が博物館となった。 左:プーシキン市がソ連軍によって開放された後。アレクサンドル宮殿。 大祖国

    宮殿や貴族の大邸宅はソ連時代にどんな運命をたどったか?
  • 待望のテレビドラマ「ゾルゲ」、ロシアでスタート

    テレビ局「チャンネル1」で8日、セルゲイ・ギンズブルグ監督のドラマ「ゾルゲ」(全12話)がスタートする。ドラマの撮影は2年以上に渡った。ドラマは第2次世界大戦前と大戦中に日で活動した伝説的なソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲの人生仕事を描く。 2019年4月8日, Sputnik 日

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    kodai795
    kodai795 2019/04/09
    日本も特務としての杉原千畝を扱ったドラマを放送するしかないねえ。
  • ロシアの驚くべき砂漠

    チャラ砂漠は物の砂漠であるが、湖と川、そして雪をいただく山々に囲まれている。当に信じられない砂漠である。

    ロシアの驚くべき砂漠
  • 帝政ロシアを揺るがした5つの大反乱

    1917年、ロシア革命が世界地図からロシア帝国を消し去ったが、その前にも、大反乱が何度か起きて国を揺るがし、ツァーリの心胆を寒からしめている。 コサック、農奴らによる「ステンカ・ラージンの乱」は、ロシア史上最大の反乱の一つだ。ロシアにおける農奴制の強化と、ポーランド、スウェーデンとの長期戦による国の荒廃とがあいまって生じた。 ドン・コサックのアタマン(首領)、スチェパン(ステンカ)・ラージンはその旗の下に、何万ものコサックと農民を集結させた。彼らは、貴族に権利を圧迫されて怒り、貴族、官吏を攻撃対象とした。ラージンの軍隊が奪ったすべての都市で、貴族が血祭りに上げられた。 ラージンは、ロシア南部からモスクワに向けて進撃し、途上の都市を次々に陥落させていった。そして、麾下に加わった農民には自由を約束して、軍の勢力を拡大していく。しかし、1670年のシンビルスクの戦いで、反乱軍は敗北し、ラージンら

    帝政ロシアを揺るがした5つの大反乱
  • 冷戦時代のソビエトの反米ポスター15選

    ソ連の大衆にとって米国が「実際どのようなものか」を描くよう課題を与えられたソ連のプロパガンダ・アーティストたちは、アメリカ人を一括りに醜い年老いた資家「アンクル・サム」として描くことをためらわなかった。

    冷戦時代のソビエトの反米ポスター15選
  • 米国がソ連を爆撃したのはいつか

    1950年10月8日、第三次世界大戦の発端となりかねない事件が発生した。米国空軍がロシア極東にあるソビエト空軍基地を爆撃したのだ。 1950年10月8日、暖かったこの日、ソ連極東のスハヤ・レチカ空軍基地では特に異常事態は確認されていなかった。朝鮮戦争の凄まじい戦闘が数百キロメートル南で繰り広げられていたが、ここでは戦争の気配は感じられなかった。 米国と同様、ソ連も朝鮮戦争に関与していたが、ソ連は北朝鮮に武器を供与し、軍事顧問を派遣するにとどめていた。朝鮮半島上空でのソ連のMiG-15戦闘機と米国のF-86戦闘機の戦闘はまだ始まっていなかった。 スハヤ・レチカに駐屯していた第821戦闘機航空連隊の兵士らは何も心配する必要がないかに思われた。だがそれは違った。戦争はまさに青天の霹靂のごとくやって来た。 ソ連領空を100キロメートル以上侵犯した2機の米軍機(ロッキードP-80戦闘機「シューティン

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  • ロシア人が絶望シミュレーションゲームを開発

    ロシアの詩人イリヤ・マゾのプロジェクト「WINTER」が、あなたを田舎町の終わりなき「グラウンドホッグ・ナイト」に引きずり込む。平均的なロシア人の生活を如実に再現したシミュレーションは最適とは言えず、馬鹿げてさえいる。 夜、あなたは気付くとロシアのとある町のアパートの一室にいる。あなたは貧しい。コンピューターはなく、台所にラジオがあるだけだ。冷蔵庫を開けてべ物を見てみよう。驚くべきことに、トマトと卵、ソーセージがある。机の上の電子レンジは動く。しかしやかんはだめだ。したがってこのゲームでは茶は飲めない。居間の窓辺には寂しげな花が2飾ってある。絨毯が壁に掛かっている。窓の向こうでは雪が降りしきっている。冬だ。 ゲームIt’s Winter」は、ロシアの無名のアーティストの作品を愛するすべての人のために、モスクワの詩人イリヤ・マゾのプロジェクト「WINTER」の一部として作られた。生みの

    ロシア人が絶望シミュレーションゲームを開発
  • ブレジネフ書記長の熱いキスから逃れるため必死になった首脳たち(写真特集)

    ドミトリー・ヴルーベリによってベルリンの壁に描かれた東ドイツ指導者ホーネッカーとのキス。 Global Look Press ソ連の元レオニード・ブレジネフ書記長は、数世紀にわたる歴史を持つロシアの伝統的な挨拶である「トリプルキス(3度のキス)」で世界の首脳たちを迎えることが度々あった。しかし誰もがこの挨拶を歓迎したわけではなく、中にはなんとかしてこの「キス」から逃れようと最善を尽くした者もいた。

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  • 注目すべきソビエトの身体障碍者向け自動車6選

    ソ連に身体障碍者向けの自動車が登場したのは1947年で、四肢のいずれかを失って故郷へ帰還した多くの退役軍人にとっては、新鮮な空気を吸い込む心地のする出来事だった。 とはいえ、KMZ K-1Vは理想的な車と言うには程遠かった。かなり脆弱で、たびたび壊れては大修理を必要とした。その上運転が難しく、ついにはドライバーから「ヒトラーに感謝」という不名誉なあだ名を付けられた。 ② SMZ S-1L

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  • あなたの知らないエリツィン:25枚の珍しい写真

    今年2月1日、ボリス・エリツィンは(もし存命なら)88歳の誕生日を迎えるはずだった。彼は評価が真っ二つに分かれる人物で、今日我々が知るロシアの形成に良くも悪くも大きな影響を与えた。 1. 1986年にキューバのフィデル・カストロ議長がソ連を訪問した際の様子。当時モスクワ市の党第一書記だったボリス・エリツィンがカストロに話しかけている。

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  • ソ連ではどんなアメリカ食品が根づいたか

    農産物加工工場で生産された缶詰の料品を紹介している女性。 ユーリイ・ヴェンデリン、ヴィクトル・ルドコ撮影/TASS ハンバーガーを炭酸飲料とべることが考え出されたのはソ連だったとご存じ?アメリカでこの習慣がお目見えしたのは、マクドナルド1号店が開店してから数年後のこと! 1936年にソ連の糧産業人民委員アナスタス・ミコヤンは、品の大量生産システムを導入するためアメリカへ向かった。ミコヤンが自身の回想に書いているように、帝政崩壊後の若い国には、体系化された料生産システムはなく、手工業だけだった。米国ではすでに品の工業生産システムが整っており、全員が一定の品質規格に基づいて仕事をしていた。 海の向こうで人民委員は二カ月間を過ごし、おもに、工場用の設備を持ち帰った:冷蔵設備、機械によるパン焼き技術、乳牛の搾乳装置やその他の興味深い物があった。設備以外にも、ミコヤンは新しい品と新しい

    ソ連ではどんなアメリカ食品が根づいたか
  • 第二次大戦中ソ連兵はドイツ軍と戦う以外に何をしていたか

    開戦後の悲惨な数年間、ソ連兵には僅かな喜びを得る時間や機会さえなかった。空腹で疲労困憊した兵士らにとって、入浴と温かい事だけが喜びの種ということもしばしばだった。

    第二次大戦中ソ連兵はドイツ軍と戦う以外に何をしていたか
  • アラスカでロシア語の方言発見

    ロシア言語学者がアメリカ・アラスカ州の調査を行い、標準語のロシア語から完全に隔離された状態で約100年に渡り独自の発達を遂げてきたロシア語の方言を、オーディオとビデオに記録して持ち帰った。 モスクワ大学外国語学部言語学・情報技術学科のミラ・ベルゲリソン教授と、ロシア科学アカデミー言語学研究所の研究者であるアンドレイ・キブリク氏は昨 年10月、アラスカ州ニニリチク村を訪れた。1847年に現れたこの村にはロシア人が住み、その後定住して現地の人々と融合していった。アメリカがアラス カを1867年に買収して以降、ニニリチク村のロシアとの接触は減少し、1960年まで他のロシア語話者と会話することはなくなった。 「このような辺境の地で、これほど長い期間、多くの人々の母国語としてロシア語が存在していた例は他に知らない」とベルゲリソン教授は述べた。 20世紀後半に起こったロシア系住民とのまれな出会いは、

    アラスカでロシア語の方言発見