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祖父に関するkokogikoのブックマーク (4)

  • たつの市立神岡小学校−校章・校訓・校歌−

    旧龍野市の「龍」をタツノオトシゴで表し、その中に神岡町の「神」を左右に配し、中心には小学校の「小」を記したものである。 そして、梛の宮居にちなみ、「一切の願いを叶える」と言われる宝珠の玉をいただきに掲げたものである。職員の子どもに対する願いが、今も感じ取れる校章である。

  • http://www005.upp.so-net.ne.jp/tsukakoshi/kayoudaizenn/kayou062.html

  • 笹尾誠一

    初代事務局長 笹尾 誠一 1901(明治34)~1981(昭和56) 鳥取市の出身。鳥取一中を卒業後、因伯時報社に入社したが、翌’19年(大正8)、毎日新聞鳥取支局に移った。 記者生活のかたわら詩人として活躍、ザーザ誠一の名で町のモダンボーイとして、はなやかな青春舞台に登場。鳥取文芸連盟結成の一端をにない、いくつもの同人誌とかかわりを持って作品を発表した。 毎日新聞堺支局長時代に小野十三郎、安西冬衛らと親交を結ぶ。のち姫路支局長として転任すると、阿部知二を盟主とする城ペンクラブ結成に参加。内海繁、黒川録朗、初井しづ枝、大塚徹などと文学だけでなく、市の文化振興策についても日夜議論し、紙面にも反映させた。また姫路在住の鳥取県人をまとめ、その世話をやいた。それらは姫路・鳥取両市が姉妹都市として提携されていく先導となったのである。 一新聞支局長が退職するのに全く例のない市民集会が姫路市公会堂ホール

  • 安藤礼二郎

    名 柳井秀一(やない ひでいち) 姫路市北平野の出身。 戦時中友人達と同人雑誌発行などしていた。 大谷大学在学中に学徒出陣による徴兵で、中国戦線に派遣される。 復員後、大塚徹を中心に出した「新涛」に参加。同じ大塚門下にいた向井孝や大阪の山口英と共に詩人集団IOM同盟を結成、歌う詩と決別、主観的叙情を排して、徹底した客観的描写手法による詩の確立にめざした。即物形象主義をかかげたIOMは、戦争と平和を柱にした作品化に挑み、国内だけでなく海外でも高い評価を受け紹介された。 『平和』『戦争』『イオム同盟詩集』など同盟員の共同詩集があるほか、個人詩集に『どびんご』『定柳井秀詩集』がある。また、一方で西播磨の民衆を対象にした『西播民衆運動史』(近代編・現代編二冊)の労作を上梓し、反響をよんだ。これはアメリカの学者からも研究資料として注文が相次いだ。 記 市川宏三

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