佐々木俊尚氏が提唱している「取材プロセスの開示」について考える。 個人的な価値観を言えば僕は取材プロセスの開示には肯定的だ。どのような仮説をもって取材を行い、それに対して取材対象者はどのように答え、最終的にどのような記事にするのかという一連のプロセスの開示には意味があろう。 だが取材を受けた側が取材プロセスを開示することを無条件には肯定しない。それは取材を受けた側が恣意的な編集をして開示しないとは言い切れず、そうしたことは記者に対して余計な負担をかけることになるからだ。 佐々木氏は自身が経験した、ロードオブザリングの字幕問題ということをあげている。しかしこのテーマは政治性が低すぎる。たとえば朝日新聞がネット右翼を取材したとするとどうなるのか。取材を受けたネット右翼側には「取材に来た朝日の記者を徹底的に論破した自分」を演出したいという気持ちが働くであろう。 近年、電凸(電話突撃)と称してマス