著者赤坂は、ひたすら柳田国男を跡づけて、批判的論考を繰り広げる気鋭の民俗学者である。赤坂は足かけ3年で、東北の僻遠の地、過疎の中の過疎と思われる地域を4WDで4万キロメートルほど経巡った。赤坂の手には柳田国男の『雪国の春』がしっかと握られていた。 東北は、かつて蝦夷の地と呼ばれていた。そこに住む北海道から南下してきたアイヌ民族の地だった。 しかし、柳田は稲作文化によって、東北地方は日本と一体だという、学説を披露した。赤坂は東北には特有の「稗・粟」を作る雑穀文化があり、大和の米穀文化とは一線を画していたのではないか、と柳田に異を唱え、過疎地から過疎地へと苦労の絶えないドライブを続けた。 赤坂の立場を簡単に説明すれば、柳田のように「ひとつの日本」ではなく、「いくつもの日本」があるに違いない。だったら、東北でもうひとつの日本を見つけてやろう、という思いが4WDのハンドルをしっかと握らせたのである