●多田野数人の再就職先/前 日本ハム⇒BCリーグ石川 選手兼任コーチ ◆「何度も解雇されたことでクビになる選手の気持ちがよくわかるようになりました」 日本球界に復帰した松坂大輔(ソフトバンク)を筆頭に、昭和55年生まれの選手は豊作だ。中でもアメリカで5年、日本で7年、日米通算で12シーズン活躍した多田野数人は“松坂世代”の中でもひと際異彩を放つアスリートだ。 立教大時代は右のエースとして活躍、’02年のドラフト会議では上位指名が確実視されていたが、右肩右肘の故障などが重なり指名は見送られた。 新たな活路を見いだすためクリーブランド・インディアンスにテスト入団した多田野は、’03年からマイナーリーガーとしてプロのキャリアをスタートさせた。 「もちろん通訳なんていませんでしたから、毎日が必死。常に100m走を全力で走っているような状態でした」とふり返るプロ1年目は、底辺の1Aから2A、3Aとト