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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/ced (43)

  • はてなスターは民主主義の敵か - 雑記帳

    別に思想的意味はあまりないのだが、ここに書いてあった方法ではてなスターは消す方向で*1。 h3 span img{ display: none; } はてなスターリリース直後からコメント欄にて様々なご意見を頂きありがとうございます。 コメントの中に、☆を消したい、というご要望を多く頂いておりますが、当面☆を削除する機能はつけずにいこうかと思っています。 ブログのエントリーは次々に流れていきますし、挨拶のようなものであるとお考え頂ければ幸いです。 http://d.hatena.ne.jp/hatenastar/20070711/1184152733 とあるように、削除する機能も無いし、機能それ自体を無効化する選択肢も与えられていないようなサービスを使う気にはなれない。これを機にはてなダイアリーから他のサービスに移行するか、自分でサーバーを立てることを検討してしまうかも、な。 はてなブックマ

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    kozai 2008/12/18
  • 「下流」という言葉 - 雑記帳

    肝心の『下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)』が部屋の書棚から見つからないので、今書いてしまうのもどうかと思うが、Spiegelさんが昨日のエントリについて言及して下さったので、ちょっとメモ。Spiegelさんの記事のなかで、下流という言葉について指摘している部分がある。 ……『下流社会』が与えたもっとも大きなインパクトは「下流」という階層意識を社会的に認知させたことにあるようだ。今の日は格差社会と言われるが,格差そのものは昔からある。しかし「一億総中流」といわれる中,「下流」であることは認めたくないタブーであったように思える。 それが『下流社会』の登場によって「下流」階層の存在を知り「下流でいいんだ」と開き直れる根拠を与えてしまったのかもしれない。もう「中流」に必死にしがみかなくてもいいのである。まさに「下流でも、みんなで流されれば怖くない」である。 この手のが流行ってるの

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    kozai 2007/05/13
  • mixi vs. twitter - 雑記帳

    ここ数日twitterで投稿することが増えていて、mixiをあまり見なくなっている自分に気が付いたので、alexaで調べてみた。青がmixi、茶色がtwitter。定点観測してみると面白いかも。 (alexa.comでのこの1年間のアクセス推移表示結果より。上がリーチ、中がトラフィックランク、下がページビューの推移)

    mixi vs. twitter - 雑記帳
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    kozai 2007/04/28
  • 「茶会の100冊」ブックリスト - 雑記帳

    確か去年の夏休みあたりに、ロージナ茶会のブックリスト*1を作ろうと自分が言い出したのだが、リストだけ作ってそのまま放置状態になってしまっていた。ちなみにリストはhttp://grigori.jp/ref.htmlにある。ブックリストの作成だけではなく、それぞれの書籍について簡単な紹介文を付けるはずだったし、ブックリストの精査も結局手つかずのままになってしまっているので、何とかしたい今日この頃。 id:inflorescenciaさんが以前にこのリストについてのエントリを作成されているので、同様に私が以前作成したエントリや読書録にもリンクしておきます。 id:ced:20060513:1147570217で言及してます。 id:ced:20070120:1169252187で言及してます。 id:ced:20061104:1163205933に読書録があります。 id:ced:2006082

    「茶会の100冊」ブックリスト - 雑記帳
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    kozai 2007/04/07
  • Web 2.0、或いは「イノベーション」の悪意なき嘘について - 雑記帳

    Boing Boingでちょっと前に紹介されてた動画。Web 2.0について5分ほどの短い動画で説明している。解像度の高いバージョンをこのサイトからダウンロードすることもできる。Long TailのChris Andersonも、Lessig先生もお勧めしている。確かにTim O'Reillyが書いたWeb 2.0の記事より分かりやすい、気もするけど、どうなんだろう。 名和小太郎の新著、『イノベーション 悪意なき嘘 (双書 時代のカルテ)』を今日読み始めて、今日読み終わった。全112ページ、価格も1,115円、お手頃である。サラリーマンや大学生の通勤・通学電車の往復時間1日分で読み終えることのできる分量だろう。でも、このの意図するところを考えると、その重みは凄まじい。ちょうど上記のYoutubeの動画を見て、筆者の主張の重要性について考え込んでしまった。そして、それは昨今流行りのWeb

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    kozai 2007/02/11
  • 残していく、ということ - 雑記帳

    3年前に書いた記事のリサイクル。この状況は今も変わっていない、と思う。 ネット上の議論が半永久的に残ることの価値(FPN)を読んでいて以前から「情報」という言葉についてずっと考えていることをまた書いてみようと思った。あくまで状況の再確認、のためだけど。 情報、という言葉はいろいろな意味を含んでいるから、とりあえずそれをシャノンにならって「不確実性の量を減らすもの」とでも定義しておく。で、それを今度は現在のインターネットで流通している情報の質で2つにおおまかに分類してみる。 時間軸が重要となる情報 テーマ(内容)が重要となる情報 これ以外に、たとえば発信者の個性やキャラクターが重要になる情報、もあるかもしれないけれど、それは上記2つの分類の下にくる属性だからそれほど重要ではないだろう。情報基盤としての図書館で根彰が用いていた用法に倣えば、前者をフローとしての情報、後者をストックとしての情報

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    kozai 2007/01/09
  • エディターシップ - 雑記帳

    書籍名:エディターシップ 出版:みすず書房 著者:外山滋比古 出版年月:1975年2月 ISBN:4480080066 「エディターシップ」は初版が1975年に、新装版が1994年に出ているけれど、既に絶版となっている模様。現在入手可能な方法としては、『外山滋比古著作集〈4〉エディターシップ』にこの書籍の内容が収録されている。3年前に書いた読後録をリサイクル。 例えば矢野直明の『情報編集の技術 (岩波アクティブ新書)』では、インターネットの普及が編集者という職の一般化(mass amateurization)を引き起こすから、これまで編集という作業に関わったことのない人たちも編集の技術が必要であるとして、編集における具体的な手法について解説している。また、大塚英志も『戦後民主主義のリハビリテーション―論壇でぼくは何を語ったか (文芸シリーズ)』の中で以下のように述べている。 インターネット

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    kozai 2006/10/14
  • ギートステイトに足りないもの - 雑記帳

    東浩紀氏のギートステイトについては、8月のコミケでハンドブックを購入してその内容についていろいろと考えていたのだけど、どうも腑に落ちないところがある。 端的に言ってしまうと、ギートステイトの未来像の中では、世界観や設定こそ未来なのだろうけど(グーグルやアマゾンがまだ存在していることはとりあえず置いておくとして)、その中に住む人々の思考様式は今のままなのである。社会や環境、技術の在り方は容易に人の考え方を変える。それは表面的なものに過ぎないのかもしれないし、社会全体を根底から揺るがす深刻なものかもしれない。けれど、そのことがものの見方を今のそれとは全く違うものに変えてしまう可能性は十分にありうる。 たとえば写真。今、カメラと言ったら大抵の人は携帯電話に内蔵されているカメラを想像するだろう。だけれど、しばらく前、フィルムカメラが全盛期だったころは写真を撮ることそれ自体が貴重な「イベント」だった

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    kozai 2006/10/10
  • ライティング スペース―電子テキスト時代のエクリチュール - 雑記帳

    id:bookscannerの記事には、紙媒体の書籍のアーカイブと、ネット上における電子的なアーカイブの違いについていろいろと書いてある。どうしても、図書館アーカイブ、というと、如何にして書籍を電子化(スキャン)して、それを電子媒体(磁気テープ、ハードディスク、CD-ROM、DVD-ROM、etc)に保存するのか、という「保管」の面に話題が集中してしまう。アーカイビングと著作権の問題についても、どうやって著作権者から許諾を得るか、といった問題ばかりが語られる。でも、電子化された図書館は、単に紙媒体の書籍を保管する図書館が、電子化(スキャン)された書籍を保管する図書館に変わる「だけ」、なのだろうか。そもそも、私達が前提としている図書館、書籍、出版の在り方それ自体が、電子化によって変わってしまうのではないか。 以前、NY TimesのScan This Book!という記事についてエントリを

    ライティング スペース―電子テキスト時代のエクリチュール - 雑記帳
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    kozai 2006/10/02
  • 努力 - 雑記帳

    努力は必ず報われるなんて思っちゃいけない。 報われない努力はこの世に幾らでもある。でも、 努力することを止めちゃいけない。 当時、その先生がこの通りに言ったかどうかはもう覚えていない。でも、その趣旨はこんな感じだった。 この言葉を聞いたのは、私が小学校高学年の時だった。過度の平等主義が蔓延している日の公立小学校にあって、こんな言葉を発することのできたこの先生は偉大な人だったんだな、と今になって思う。まだ世間とは何かなんて微塵も分かっていなかった小学生時代の自分が聞いた言葉を今でも忘れないで覚えているのは、報われない努力がその後それこそ数え切れないくらいあったからだ。で、今日またふとこの言葉を思い出したから、忘れないようにここにこうして記している。努力は必ず報われるなんて思っちゃいけない。でも、努力することを止めちゃいけない。

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    kozai 2006/09/17
  • 00年代の格差ゲーム - 雑記帳

    『ノイマンの夢・近代の欲望―情報化社会を解体する (講談社選書メチエ)』(→読書録)と『不平等社会日―さよなら総中流 (中公新書)』を繋ぐための、とでも言えるかもしれない。この2冊は全く違うトピックを扱っているから、何故著者はこんなにも関連性の無い領域に手を出したのだろう、と疑問に思った読者は結構多いと思う。特に、『不平等社会日―さよなら総中流 (中公新書)』は著者の想像を遥かに超えるかたちで売れてしまったから、この著者が不平等論者であるかのような印象を持たれてしまっている嫌いがあるのかもしれない。確かに表面的に見れば、情報化社会と不平等社会日というテーマには何の関連性も無いように見える。が、佐藤俊樹が問題視しているのは、そのような表面的な問題ではない。彼が問題視しているのは、言葉の使われ方。「情報化」や「不平等」という言葉は、あまりにも「分かりやすい」が故に誤解を招き易い言葉であ

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    kozai 2006/09/01
  • 理系が耕し、文系が整地、理系が作物を育て、文系がそれを刈取る。 - 雑記帳

    理系が耕し、文系が整地、理系が作物を育て、文系がそれを刈取る。 以前とある人に言われたこの言葉を聞いて、私は理系や文系を分けて論じることが不毛に思えてしまったのを覚えている。このような営みを重視できなければ、世の中の在り方も変わっていかないのではないか、とも思う。

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    kozai 2006/08/27
  • デジタルを哲学する―時代のテンポに翻弄される“私” - 雑記帳

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    kozai 2006/08/13
  • 歴史とは何か - 雑記帳

    後半は抽象論が多くなってしまい理解し難くなっているけれど、歴史を学ぶ人にとっての必読書的存在、というか名著。印象に残った部分を抜き書き。 歴史家と事実 著者は19世紀における歴史認識を以下のようにまとめている。 一八三〇年代、ランケは道徳主義的歴史に対して正当な抗議を試み、歴史家の仕事は「ただ当の事実を示すだけである」と申しましたが、この必ずしも深くないアフォリズムは目覚しい成功を収めたものであります。約一世紀の間、ドイツ、イギリス、いや、フランスの歴史家たちさえ、「当の事実」という魔法の言葉を呪文のように唱えながら進軍して参りました。そして、この呪文も、大部分の呪文と同じように、自分で考えるという面倒な義務から歴史家たちを免かれさせるように作られたものでありました。科学としての歴史ということを熱心に主張する実証主義者たちは、その強大な影響力に物を言わせて、この事実崇拝を助長しました。

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    kozai 2006/08/06
  • 本はどのように消えてゆくのか - 雑記帳

    とコンピューター』の次に出版されたで、その後1993年から1996年までに書かれたエッセイを纏めてある。『とコンピューター』のテーマがDTPだとしたら、『はどのように消えてゆくのか』のテーマはインターネット。日でホームページが広まり始めたその当時の空気が伝わってくる内容で、一編集者が見た日におけるインターネットの発展過程の年代記みたいなものとしても読めるかもしれない。気になった文章をメモ。 パソコン通信で対話できるか たしかに、だれでも書くことができるデジタル・ネットワークの世界では、作家も官僚も先生も、そうじて書くことのプロ - 文書をつくり、それを効果的に利用することの専門家が、これまでどおりのふるまい方をつづけるのはむずかしいかもしれない。 その生きにくさを専門家がすすんで経験し、他方、非専門家の側もそのことによって、たんに受け身ではない自分のあり方を発見してゆく。そこ

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    kozai 2006/08/06
  • ディジタル著作権 - 雑記帳

    プロシューマーというカテゴリに直で繋げてしまうのは議論の飛躍に見えたり(コンテンツの消費というトレンド自体は変化していない。変わったのは消費の方法。ただしプロシューマーをあくまで「積極的な消費者」と位置づけるなら話は別)人格権指向型著作者に対する考え方に疑問はあるものの、著作権問題を俯瞰するには格好の一冊。やはり方式主義の方が利便性が高い。現行著作権法の問題として、「継承と批判」がビルトインできないこと(5.2)、表現/内容(6.2)、複製(利用)/使用(6.3)の二分法が適用し難くなっている、などが挙げられている。 以下、項目ごとにまとめた。 著作権像の見例 p3より。以下の考え方を前提に、このでは議論が進められる。 著作者は、自分の著作物の表現を複製する人から、その対価を徴収できる。 著作者は、自分の著作物の表現を無断複製する人に、制裁を与えることができる。 公衆は、著作者に(1)

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    kozai 2006/08/03
  • 別冊 本とコンピュータ 5 - 読書は変わったか? - 雑記帳

    以前読んだ『読書は変わったか? (別冊・とコンピュータ)』のまとめ。2003年3月16日に作成したものを若干修正して気になった部分をピックアップ。 はじめに 加藤典洋 が売れなくなった、読まれなくなった、というのが前回の探求の出発点だったのですが、わたしについて言うなら、今回、遅まきながら勉強してみると、読書の変貌というこの現象が、その背後に、冊子の形状をした書物の登場から、その消滅へ、あるいはそれに変わる新しい書物の形状の登場へという、数千年単位の文明史的な変貌を控えているのではないか、という戦慄に似たものを感じる瞬間がありました。……いまわたしたちの目の前で進行しているのは単に「が読まれなくなった」ということであるより、「読書という人間の経験が変わろうとしている」ということではないのだろうか。今回、カメラが一段と引いているわけが、ここにあります。(p7-8) を読まなくなったの

    別冊 本とコンピュータ 5 - 読書は変わったか? - 雑記帳
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    kozai 2006/07/30
  • 本を読む本 - 雑記帳

    外山滋比古つながりで読んだ読書術の。「読書とは何か」について考えるときにとても参考になる一冊。読書には「情報を得るための読書と理解を得るための読書がある」(p19)と著者は定義し、特に後者の読書法について詳細に解説を行っている。参考になった部分をメモ。 読書のレベル まず、著者は読書には4つのレベルがあると述べる(p26)。第一のレベルは「初級読書」で、それは「読み書きのまったくできない子供が初歩の読み書きの技術を習得するためのもの」(p27)で、「このレベルの問題は「その文は何を述べているか」ということである」(p27)。第二のレベルは「点検読書」。この読書の目的は、「与えられた時間内にできるだけ内容をしっかり把握することにある」(p28)。このレベルでの問題は、「そのは何について書いたものであるか」(p28-29)である。その他にも、の構成、部分分け、種類についても理解する必要が

    本を読む本 - 雑記帳
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    kozai 2006/07/24
  • Promises to Keep, INTRODUCTION - 雑記帳

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    kozai 2006/07/23
    P13
  • 「である」ことと「する」こと(『日本の思想』に収録) - 雑記帳

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    kozai 2006/07/17