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近代史に関するkuroiseisyunのブックマーク (175)

  • 軍艦島アーカイブス - 明治日本の産業革命遺産

    長崎港から南西20kmほどの海上に浮かぶ無人の島「端島」。 わずかな土地に林立した鉄筋コンクリート造の住居群と護岸壁により、その姿が戦艦のようにみえることから「軍艦島」と呼ばれている。 この島には最盛期で5,000人を超える人々が居住し、その人口密度は当時の東京の9倍に達していたという。 いったいどのように軍艦島は誕生し、そして無人化したのか? かつて軍艦島に居住した伊藤千行氏の写真、および4Kカメラやドローンなどで記録した現在の映像を交え、その歴史と魅力に迫る。 写真:伊藤千行、西日新聞社 映像:西日新聞メディアラボ 参考文献:阿久井喜孝 著「軍艦島海上産業都市に住む」 岩波書店 2004年

    軍艦島アーカイブス - 明治日本の産業革命遺産
  • 平岡昭利『アホウドリを追った日本人』(岩波新書) 9点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

    4月11 平岡昭利『アホウドリを追った日人』(岩波新書) 9点 カテゴリ:歴史・宗教9点 台風情報などでよく聞く南大東島。この島は周囲を20メートルほどの断崖絶壁で囲まれた島で、人が上陸することはかなり難しい島でした。ところが、1900年になるとこの断崖をよじ登って島に上陸する人々が現れます。しかも、その人々は沖縄の人々ではなく200キロ以上離れた伊豆諸島の八丈島からやってきた人々でした。 「なぜ八丈島の人々は遠い島の断崖絶壁をよじ登ったのか?」これが著者をとらえた疑問だといいます。 また、日の最東端の南鳥島。台風などが来ればひとたまりもない絶海の孤島ですが、ここにも明治期の日人は進出していきました。 この日人を南洋の孤島へと駆り立てたもの。それこそがこののタイトるにも出てくるアホウドリなのです。 このは、「アホウドリを追った日人」の姿を追うことで、日の「南洋進出」の原動力

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  • 小金井桜の花見インタビュー

    うちからチャリで10分くらいのところに玉川上水がある。ここにかつて東京で一番と評された、お花見スポットがあった。それが「名勝・小金井桜」である。今回は、この小金井桜の昔の花見を知る人のインタビューである。 その前にちょっと小金井桜を説明。 小金井桜とは江戸時代に玉川上水の堤に植えられたおよそ2、000のヤマザクラのこと。当時は歌川広重に浮世絵で描かれるなど多くの文人・歌人に愛された。明治16年には天皇も見に来たほどの見事な桜であり、大正13年には国の名勝にも指定された。昭和初期の観光ブームの時には、西武新宿線の数少ない観光スポットとして臨時駅まで誕生した。それが現在の私の最寄り駅である「花小金井駅」である。 そんな大人気だった小金井桜だが、今は排気ガスと桜の高齢化によって、すっかり廃れてしまい見る影もない。 さて、前置きはこれぐらい。これからは先日、玉川上水沿いの釣り堀で会った8

  • 戦艦武蔵発見で考える海没遺骨とその尊厳

    今まで詳しい海没地点が不明だっただけに、今回の発見と海中の武蔵の威容は、大きな関心を持って迎えられているようです。13日には海中からのライブ中継も行われる予定で、ますます注目を集めそうです。 ところで、戦艦武蔵には未だ1,000名近い乗員の遺体が眠っているとみられています。ライブ探索の中で遺体が発見された場合、その扱いはどうなるのでしょうか。そして、まだ多くが海底に眠る、日の戦没艦船はどうなっているのでしょうか。 海で眠る30万の海没遺骨 戦時中あるいは戦後の混乱の中で土以外(沖縄・硫黄島含む)で命を落とした日人は240万人に及びます。そのうち遺骨が帰還出来たのは半数に留まり、依然として113万柱の遺骨が異国の地、あるいは海の中で眠っています。 終戦から70年を迎える2015年(平成27年)度から10年間、政府は戦没者の遺骨収集の強化期間と位置づけ、調査や収集のための取り組みを行う方

    戦艦武蔵発見で考える海没遺骨とその尊厳
  • インパール作戦はどれほど無謀な作戦だったのか?

    まとめ 日会議のインパール作戦の記述に牟田口廉也中将がツッコム 日会議の文章で不思議がある。以下は全部ウソだってことですね。 ○これはねずきち氏のブログであるが、旧陸軍や陸自OB中心の「偕行」誌に載って、日会議が拡散している。 113875 pv 1281 200 users 183 リンク Wikipedia インパール作戦 インパール作戦(インパールさくせん、日側作戦名:ウ号作戦(ウごうさくせん))とは、1944年(昭和19年)3月に日陸軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。作戦に参加した殆どの日兵が死亡したため、現在では史上最悪の作戦と呼ばれる。 当初より軍内部でも慎重な意見があったものの、牟田口廉也中将の強硬な主張により作戦は決行された。補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦によ

    インパール作戦はどれほど無謀な作戦だったのか?
  • 日本会議のインパール作戦の記述に牟田口廉也中将がツッコム

    会議 誇りある国づくりへ 草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN 私たち地方議員は、かつて幕末の坂龍馬らが幕藩体制を倒幕した草莽の志士のごとく、地方議会から「誇りある国づくり」を提唱し、日を変革する行動者たらんことを期す。(平成17年5月30日~) 1944年-インパール作戦が始まる (中略) こうした酸鼻な敗戦だから、作戦を指導した牟田口中将は戦後あらゆる罵声を浴びせられた。負ければ賊軍は世の習いである。然し、幾らそんな評価をしても失われた生命は帰ってこない。 寧ろ戦争を知らない世代を生きる我々は、歴史を評価するのでなく「何を学ぶか」が大切なことだと思う。インパール作戦は戦争を知らない我々には不思議なことが幾つかある。 その基戦略に反してインドに撃って出ようというインパール作戦は最初に書いたようにその翌年3月である。なぜ、この時期にこういう作戦を立てたのか。 反対していた大

    日本会議のインパール作戦の記述に牟田口廉也中将がツッコム
  • 海外神社(跡地)に関するデータベース 神奈川大学非文字資料研究センター

    戦前、日帝国の「勢力圏」の拡大に伴い、日国および日人によってアジア太平洋地域に多くの海外神社が建てられました。データベースは海外神社及びその跡地に関する、当時の写真・現況写真・図面・地図など非文字資料を中心に収録・整理したものです。 - 2023年6月の修正について - 2021年3月に改訂版を公開しましたが、データベースにバグが発生し、どうしても改善することができませんでした。そのため致し方なく2020年度版で追加したデータを削除し、以前の形(2016年度版)に戻さざるを得なくなりました。 5カ国語の検索に対応 神社名の5カ国語の検索に対応しました。従来の日語表記に加え、英語表記、ハングル表記、簡体字表記、繁体字表記で検索できます。この画面右上の検索欄で使用できます。 5 Language Search Engine : 2016 Revised Edition It is n

  • 目次|鹿島の軌跡|鹿島建設株式会社

    企業では、会社資料の永続的収集・保存と、会社の歴史に関する周知・レファレンスが行われている。それが企業のCSRのひとつでもある。しかし鹿島建設の大切な古い資料の大半は、関東大震災による火災と第二次世界大戦時の空襲で失われてしまった。昭和41年、鹿島建設130年史製作のために、役員・社員、OB、物故者遺族などに呼びかけて大規模な資料収集を行った。「鹿島の軌跡」は、そのとき集められた歴史資料を元に、金も道具もない中で、知恵だけは有り余っていた時代の先人たちの軌跡をたどる企画である。 台湾の中南部に位置する阿里山森林鉄道は、阿里山の森林経営に伴う木材搬出のために明治後期に作られた。嘉義・阿里山間65.6km(竣工時)、高低差2,186mの路線である。今では世界三大山岳鉄道の一つとして知られ、豊かな自然と固有種に育まれた熱帯、亜熱帯、温帯の三種類の森林生態を見ることができる稀有な存在となっている。

  • 功績便覧とか : A&D 全てが混在するブログ

    2014年11月03日22:51 カテゴリ艦隊これくしょん 功績便覧とか 功績査定評価で調べてくる人がまだ結構多いんだけど、なんとなく自分で調べてみたら半年ほど前に「大東亜戦争功績便覧」という資料から第二次世界大戦における駆逐艦の点数評価を計算してる人がいた。 ツイッターに全駆逐隊の点数が書いてあって興味深い。 せっかくなので、現状艦これに出てくる駆逐艦を点数の高い順に並べて記述してみる。 あくまで未完成らしいけど、参考程度にはなるだろう。 ちなみにツイッターではハッシュタグ「#功績便覧駆逐艦」で検索すると出る。 ※どこかに記述する前にこの資料の皐月について広まりすぎた事に関する記事を読んでください →功績便覧について ※2017年6月時点実装の駆逐艦を掲載(改二実装済みを太字に) 皐月:417or422 時雨:408-α(減点の疑いあり) 磯風:405 雪風:377 五月雨:320 朝雲

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  • 70年前の戦時下における福音派教会の文書(1)「大東亜戦争と我等の覚悟」: 伊那谷牧師の雑考

  • 初代通天閣、こんなんでした 戦前のカラー動画を初確認

    1943年に解体された初代通天閣や空襲で焼失した道頓堀の繁華街など、戦前に撮影された大阪のカラー映像が技術者らの手で復元された。初代通天閣のカラー動画はこれまで知られていないという。 フィルムは当時の愛好家が撮影した計12で、神戸映画資料館(同市長田区)の安井喜雄館長が収集・保存していた。 パリのエッフェル塔と凱旋(がいせん)門を模して12年に完成し、戦時下に火災に遭って解体された初代通天閣や、カラフルな旗やのぼりで彩られた道頓堀の繁華街、心斎橋の大丸やそごうなどの百貨店などが映っている。映像内の映画の題名から、撮影は37年5月ごろと推定されるという。 フィルムは28年にイーストマン・コダック社が開発し、「コダカラー」と呼ばれていた撮影方式で撮られていた。白黒フィルムの表面に、プリズムの役割をする1ミリ当たり22前後の細かい溝が彫られ、映像を青緑赤の3色に分解して記録する仕組みで、通常

    初代通天閣、こんなんでした 戦前のカラー動画を初確認
  • おばあちゃんが捨てようとした箱の中身、史料的価値が高すぎると話題に!!

    コークロッジ @coke_rodge @yukue_yukue @okayama_uchu 鑑定団で金銭的価値を分析してもらうも良し、現代の歴史的価値として資料化の上保存するもまた良し。 でも、おばあちゃん。アッサリ捨てちゃうのは、いくらなんでもマズいっすよw

    おばあちゃんが捨てようとした箱の中身、史料的価値が高すぎると話題に!!
  • 牧義之『伏字の文化史』読書メモ - みちくさのみち(旧)

    牧義之『伏字の文化史:検閲・文学・出版』(2014.12、森話社) 版元HPはこちら(書影あり)。 ある特定の時期に、集中的に密度の高い研究成果が相次いで発表されるジャンルというものがある。例えば00年代後半から10年代にかけて急速に活発化した検閲研究は、そのような分野の一つだろう。若手研究者によるこの分野の研究蓄積が書であり、刊行が待ち遠しいだった。 著者のHPはこちら 検閲研究は、国内の図書・雑誌出版だけでなく、映画や、海外の事例まで入れるとかなりの数にのぼる。 さて、書の課題は「戦前・戦中期の検閲体制下における、伏字の文化記号としての意義と役割、そして文学作品への影響に関する実証的な考察である」(p.14)とされる。検閲研究のなかで書がどういう画期的な意味を持つのか、私的な読書メモとして考えたことを書いておきたい。 検閲制度に関する歴史 書は博士論文を元にしたもので、序章で

    牧義之『伏字の文化史』読書メモ - みちくさのみち(旧)
  • 旧日本軍の偽札用紙見つかる 民間巻き込んだ製造裏付け:朝日新聞デジタル

    静岡市の製紙工場で、孫文などのすかしが入った特殊な用紙が見つかった。明治大学の研究者が確認し、旧陸軍登戸研究所の発注で中華民国の紙幣を偽造するために作った用紙と判断した。戦前に特殊兵器を開発していた同研究所では偽札も作っていたという証言があり、民間企業を巻き込んで偽札が製造されていた実態が浮かび上がった。 明治大学平和教育登戸研究所資料館(川崎市多摩区)が昨年7月、「巴川(ともえがわ)製紙所」(社・東京)の静岡市駿河区にある工場で確認。約30センチ四方279枚がつづられていた。 資料館によると、用紙には中華民国建国の父・孫文の横顔のすかしがあり、絹の繊維がすき込まれていた。当時の中華民国で広く流通していた5円札の特徴だった。北京の歴史的建造物「天壇」のすかしが入った紙もつづられており、これも当時の別の5円札の特徴という。すかしの出来や絹の繊維の密度などを点検した形跡もあった。 記されてい

    旧日本軍の偽札用紙見つかる 民間巻き込んだ製造裏付け:朝日新聞デジタル
  • ばたこさんの、死因別死亡者数からみた戦前戦後の違いなど

    宮城県内某村の死因別死亡者数の帳票をせいりしていたばたこさんが、その中から気づいた、戦前と戦後の災害と疾病の関係について。同じ場所で過酷な災害が重なるのも、ランダム事象の特徴だけど、今は護岸工事など昔より対策がされて未然に防がれることも多いので、頻度は少ないのかも。

    ばたこさんの、死因別死亡者数からみた戦前戦後の違いなど
  • 多田井喜生『昭和の迷走──「第二満州国」に憑かれて』 - ものろぎや・そりてえる

    多田井喜生『昭和の迷走──「第二満州国」に憑かれて』(筑摩選書、2014年) 戦争遂行に必要な条件は軍事、外交、財政。日中国大陸での侵略戦争を進めるにあたって財政面ではどのように資金調達を行っていたのか。書によれば、朝鮮銀行の創案した「預け合」という錬金術的なからくりが活用されていたという。「“預け合”とは、日円勘定で朝鮮銀行に振り込まれる華北の軍事費を、朝鮮銀行が現地に設立した中国連合準備銀行との預け合契約によって連銀券を調達して現地軍に支出し、手元に残る日円は国債購入に回して国庫に還流させる仕組み」である(15頁)。 このからくりを使えば好きなだけお金を引き出すことができる。それは同時に、現地経済でハイパーインフレを引き起こすことでもある。日経済へもたらされる経済的混乱は相当なものになるはずだが、「明治期に大陸に渡って通貨戦争を繰り広げた日円は、土→朝鮮・台湾→満州・北

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  • くだらない悲劇 空母「グローリアス」の沈没 後篇 : 那珂川の背後に国土なし!

    (承前) 6.ガイ・ドイリー=ヒューズという男 戦争への予感が高まる1939年6月15日、「グローリアス」乗組員総員による心からの見送りを受けて、ラムリー・リスター艦長は退任していった。彼は艦隊航空隊の空軍から海軍への移管という難しい時期に艦を大過なくまとめた有能さと穏やかで明朗な人柄で誰からも好かれた男であった。リスターは翌年イタリア海軍を一撃で一時的な壊滅に追い込んだタラント港夜襲を指揮して一躍英雄となり、戦中は空母戦隊の指揮官としてさまざまな戦域で活躍することになる。 士官たちはリスターの後任の着任を不安な面持ちで待っていた。その男は航空畑の人間ではないためほとんどの士官にはなじみがなく、第一次大戦の英雄、有能だが気難しく仕えがたい男、そのような断片的な評判が漏れ伝わってくるだけであった。リスターが実に仕事のしやすい上司であった分、後任者にその様な評判があることは気がかりな点である。

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  • Japan City Plans - Perry-Castañeda Map Collection - UT Library Online

    Japan City Plans 1:12,500 U.S. Army Map Service, 1945-1946 List of map images in this collection: Akashi (5.0 MB) Akita (4.4 MB) Aomori (3.6 MB) Asahikawa (4.3 MB) Chiba (3.0 MB) Chofu (3.5 MB) Denen-Chofu (5.0 MB) Denen-Chofu [verso] Administrative Unit Names (1.3 MB) Fujimiya (2.9 MB) Fukui (4.0 MB) Fukushima (3.7 MB) Fushiki (4.1 MB) Gifu (5.6 MB) Habu (4.5 MB) Hachinohe 1:20,000 (2.7 MB) Hagi

  • シルクロード日誌5《文化遺産としての「ナボイ劇場」建設の“真実”》その1 | シルクロード日誌

    シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。

    シルクロード日誌5《文化遺産としての「ナボイ劇場」建設の“真実”》その1 | シルクロード日誌
  • 廃墟化したコンクリート船「武智丸」を見に行く

    第二次世界大戦中、物資不足のために作られた「コンクリート製の船」というものがあったらしい。 その「コンクリート製の船」が広島県にいくつか現存しているという。