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秀逸と差別に関するkurotokageのブックマーク (8)

  • 不当なルールを守る義理はないので「ルールなんだから当然」は全然当然じゃないだろう、当然。 - 腐男子じゃないけど、ゲイじゃない

    校則大嫌い、のだだです。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090306-00000041-maiall-soci 校則に関しては「社会のルールを学んでるんだから従うべき、破れば当然ペナルティ」という意見が一部で覇権的みたいですが、いかがでしょう。 私は、この校則には問題があると思っています。それは、ジェンダリズムです。 そう、ことは程度問題ではありません。私は別に「校則や規則を破っててもそこまで責めることはないじゃないか、ある程度自由でいいじゃないか」と言いたい訳じゃありません。そんなことはどうでもいいのです。 違うのです、そもそもこんな校則や規則はあってはならないのです。様相を性別で規定する校則規則自体あってはなりません。学校側にそうした権限を与えてはならないのです。与えられてるなら剥奪しなければなりません。だって差別だもの。 丸坊主ももちろんの事

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  • 「非モテ」たちの「カサブタ」としての「学校」批判 - umeten's blog

    また君か。@d.hatena http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070804#p1 ようするにいままで見聞きしたスクールカースト問題は (略) 自称 C クラスのひとたちの一人称がにじみ出すぎていて、それ以外のものには見えないわけだ。 「学校」が必要な人間と、「学校」を必要としない人間がいるということ。 結局、仲間なり「なまか」なりをやりたくて仕方がないために構築される想像の共同体としての「学校」か。 でもって、「学校」派は「学校」の存在を確固たるものにするべく、非「学校」派を(以下ry これはちょっとした、「学校」補完計画だな、とも思える。 あるいはさらに意地悪な目線を加えてみるなら、そこにある欲求はある種「学歴の補完」的な要素をも含んでいるのではないか。 自らの「理想的」な「学校」を構築し、その「在学期間」を自ら延長することによって、「同期の桜」の数

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    恋人と別れて30年が過ぎ、その元恋人の娘と出逢う夜 古い友人であるShellyからメッセージが届いた。「私の娘のAdrienneが日に行くのだけれど、時間取って彼女と会ってくれるかしら?」 Shellyはアメリカ在住の白人女性だ。Shellyと俺との関わり合いは、過去に書いた。こちらを参照のこと。25歳に戻れた夜~ブライアン・…

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    kurotokage
    kurotokage 2006/07/28
    作家と作品は別と思いたいけど作品自体にも問題があるという。安易に川原ファンを公言していた自分が恥ずかしい。
  • + C amp 4 +

    去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。 はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。

  • + C amp 4 +

    去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。 はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。

  • 不十分さについて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    昨日に続いてid:inumashさんの別記事へのコメント。 http://fragments.g.hatena.ne.jp/inumash/20060331#1143813245 より。 僕は単に「正義」や「倫理」をそれほど信用していないだけです。僕は精錬潔白な人間ではないし、悪意や負の感情を抱えている。で、それによって物事を見ること、表現する事の快楽も知っている。 それをクリアさせるのに、「倫理」や「正義」を語るだけでは不十分なのではないか、というのが僕の意見です。「悪意による快楽」に代わるインセンティブを、「倫理」や「正義」によって十分に担保することができるのでしょうか。残念ながら、僕はそうは思えないのですが。 僕はここでinumashさんが前提にしていることに反対しない。僕は正義や倫理を「それほど」信用していないし、それを語るだけで「不十分」だと思うし、悪意による快楽に代わるインセン

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  • ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 - 「わかってもらえるさ」RCサクセション

    今年のアカデミー賞で作品賞ほかにノミネートされている映画『グッドナイト&グッドラック』は、マッカーシー上院議員による「赤狩り」が吹き荒れる50年代を舞台に、政治的な傾向のあるマスコミ関係者が次々と社会主義者と決め付けられて弾圧されるなかで、マッカーシーに敢然と立ち向かったCBSのキャスター、エド・マローの勇気を描いている(詳細)。 しかし、なぜ、今、50年も昔のことを映画に? 製作・脚・出演のジョージ・クルーニーは、赤狩りの恐怖のためにマスコミ関係者が政府批判を避けるようになった50年代が、対テロ戦争の下、マスコミがブッシュ政権を批判しなくなった現在の状況とが似ていると考え、ジャーナリストに当の役割を思い出させるためにマローのことを映画化しようとしたのだ(クルーニーは大学まではキャスター志望)。 この『グッドナイト&グッドラック』のシナリオをクルーニーと共同で執筆したグラント・ヘスロヴ

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  • + C amp 4 +

    去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。 はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。

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