22年前の名護市活性化市民の会久志支部で集まる多和田真也さん(左から2人目)と知念良和さん(同3人目)ら=1997年12月、名護市豊原 一枚の写真がある。撮影は普天間飛行場の名護市辺野古移設を問う名護市民投票があった1997年12月。名護市豊原にあった市活性化市民の会久志支部の事務所に集う辺野古の青年たちだ。まだ30代前半だった。 名護市民投票で3人は「辺野古の活性化」を掲げ「賛成」への投票を呼び掛けていた。当時の久間章生防衛庁長官ら政府首脳や梶山静六氏ら有力政治家が東京から大挙して来県し、口をそろえて言った。「賛成が勝つように頑張ってくれ」「地元の声を聞きたい。要望を必ず伝える」 あれから22年、全員が50代になった。3人は24日に迫った新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票を「どうでもいい」「そういう気力はない」と冷ややかに見つめる。当時思い描いた辺野古の将来と現実は「全く違う」