フェミニズム 29 (2-4)この論争の原点、および名誉毀損について ( macska への反論 1-4) (平成18年1月26日初出) 本来の主題から逃げるな この論争はすでに本来の論点からはずれてしまっている。macska は本論争の当初の主題である「生得的性差と文化的性差の関係いかん」という論点をまともに論ずることができず、枝葉末節な論点に逃げ込んで、そこでフェ理屈をこねまわしている。 第一に、 macska は私が挙げた数々の弊害、とくにアイデンティティーの問題にはまったく触れずに、性同一性障害という言葉に拘泥している。しかし、その問題はもともとたった一つの分類法を macska が持ち出して金科玉条にしたものであり、同じ土俵上でも他の分類法がいくらでもありうるし(それらの分類法も確固としたものではない)、観点が違えばまったく異なる体系の分類法がありうるのである。私があえて mac
フェミニズム 29 (2-3)単なるハッタリ屋 ( macska への反論 1-3) (平成18年1月21日初出) macska がただちに反論を出した。ヒマがないと言うにしては、熱心なことである。よほど負けん気が強いのだろう。しかし中身はごまかしばかりである。読者もいいかげんうんざりしてきていると思うので、簡略に問題点だけを指摘する。 この者が言っているのは、要するにただ一つのこと、私が大げさな言葉でデマゴギーをふりまいた(それを批判されたら、表現を矮小化して当たり前のことを言っているように変えた、だから卑怯だ)ということだけである。具体的には、「洗脳」「性同一性障害」という大げさな表現を使うデマゴーグだと非難している。 私が言わんとした大切な内容からすると枝葉の問題だし、読者の皆さんはうんざりするかもしれないので、すでに本質は分かったという人は、ここから先は読んでいただく必要はない。た
フェミニズム 29 (3) 「双子の症例」と「ジェンダー論」の関係 ── 『ブレンダと呼ばれた少年』の打撃をフェ理屈でごまかす人 ( macska への反論 2 ) (平成18年2月5日初出) はじめに macska とのこれまでの論争は読者を裨益するところが少なかったのではないかと反省した。その主たる原因は macska が単に一つの言葉の意味に固執するだけで、自分が表題に掲げた主題さえ論じないという、まさに木を見て森を見ずの議論を行ったために、内容を深めることができなかったことにある(その論争の総括は改めて論ずる)。 したがって、この論文においては macska に対する批判よりも、主題について解明することを主たる目的にする。その方が、せっかく読んでくださる読者の関心に応えることになろう。 本論文の主題は、フェミニズムの本丸とも言うべき「ジェンダー」論である。すなわち「ジェンダー」論の
フェミニズム 29 (1) 方法論的思考と読解力の欠如 (「牧波」への反論 ) (平成18年1月7日初出) 拙著『家族を蔑む人々 ──フェミニズムへの理論的批判』は多くの注目を集め、各方面で取り上げられている。その一方で批判や攻撃もまた多くなってきた。それだけ風当たりが強いということは、この本がフェミニストにとって大きな打撃となっていることをうかがわせる。 私が本書で指摘したフェミニストに共通の欠陥は次の三点である。 1 方法論的思考ができない。 2 テキストを正確に読むという基本が欠けている。すなわち、相手の言っていることを正しく読んだ上で批判するということができていない。 3 論争において、テクニックにばかり走るので、内容がおろそかになる。 私がせっかく指摘してやったのに、反省もしないし参考にもしないで、依然としてこの三つの欠陥を合わせ持ったままの論が現れた。「牧波昆布郎」と名乗る者の
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