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ブックマーク / tikani-nemuru-m.hatenadiary.org (4)

  • そんなあなたに絶対真理(追記アリ - 地下生活者の手遊び

    似非科学ビリーバーが罵倒されるのは構わないのに歴史修正主義者や差別主義者が罵倒されるのには怒ったり失望したりする人々 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかから引用 まあ、勝手にサヨクに期待して勝手に失望している人々のことなんですが。実例を挙げるとhttp://anond.hatelabo.jp/20080902230106とid:y_arimさんへの人。この人の場合はホームレス差別主義者に対する罵倒を見てはてサに失望しているそうな。そして、それを自分が言うべきことを言わない理由にする始末。なんというかナイーブですよね。 ネット世界では反歴史修正主義や反差別主義や反貧困だとサヨクに分類されるから、その分類を受け入れている私から見れば、こういう人は珍しくはないです。 ただ、こういう非難をする人は(水伝とか育とか血液型占いとかの)似非科学や陰謀論やカルトに対する罵倒がなされているところでは不思議と

    そんなあなたに絶対真理(追記アリ - 地下生活者の手遊び
    kurotokage
    kurotokage 2008/09/29
    “身障者だろうがフェミだろうが、ほとんどは屑にきまってんだろ? 「にんげんだもの」。”全く同意!まずはここから始めないと。
  • ジンケンの自明性には簡単に賛同しない - 地下生活者の手遊び

    「自明」にも「自然」にも賛同できにゃー。と当の当に大切なことには、理由があってはいけない - 過ぎ去ろうとしない過去のブクマコメに書きましたにゃ。その理由を考えていたのだけれど。 1)「自明」と「自然」の区別はけっこう厄介 ナチの優生学は一種の科学史上至上主義であり、「自然の鉄則」の自明性に依拠していたということは重要な論点だと考えますにゃ。 2)「ジンケンは自明」では生命至上主義(vitalism)に対抗できない 特に、脳死や中絶などの生命倫理にからむと、ジンケンは自明だ、ではいろいろと困ったことがでてきますにゃ。特に、宗教を背景にした狂信的生命至上主義者がジンケンの自明性をふりまわすという事態があるのだにゃ。掲示板での中絶論争で、僕は実際にこの手のお方をだいぶ相手にしていますにゃ。 3)「ジンケンは自明」では所有権至上主義に対抗できない 私有財産の不可侵というのはジンケン概念として

    ジンケンの自明性には簡単に賛同しない - 地下生活者の手遊び
    kurotokage
    kurotokage 2008/09/17
    わりと同意できるのだけど、元の流れはどう見てもごねるために人権の是非を持ち出したとしか思えないわけで。
  • 認められた時にだけ自由がありえる(追記アリ) - 地下生活者の手遊び

    風姿花伝の話は後回し。ごめんね>楽しみにしてくれていたヒト なぜ僕が公務の執行を妨害する自由は たいせつだよに我慢がならなかったかを考えてみると、そもそもあの論考で言及されていたのは僕の理解する意味合いにおける「自由」の概念とは何もかかわりのにゃー醜悪な奇形的まがいものをもって「自由」を論じているつもりになっているのを見たからでしょうにゃ。自由がdisられているので腹が立ったんだよにゃ。さらにいえば、lever_buildingのカス理屈は地位に由来する責任もdisっている、つまり自由主義を否定しているにゃ。許しがたい。 しかも、ブクマコメを見るに、lever_buildingのエントリが自由のある側面を論じたものであると考えているお歴々までいるではにゃーか(馬鹿には見えにゃーヒトも多いにゃー)。ちょいびっくりにゃんぜ。 例えばid:CrowClaw は 話のフレームがずれている気がする。

    認められた時にだけ自由がありえる(追記アリ) - 地下生活者の手遊び
    kurotokage
    kurotokage 2008/07/10
    大元のエントリに“わたしにとって可能な範囲で”と書かれてる。 / というか言葉の定義とスタンスと、あとはどこまでを前提のものとするか以外に両者の矛盾は見られないのだけど。 http://tinyurl.com/5eatjl
  • 他者がどこにもいない自由(追記あり) - 地下生活者の手遊び

    公務の執行を妨害する自由は たいせつだよが我慢ならにゃー。ブクマコメントもつけたけど、こちらでも書いておくにゃ。 他人が「めいわく」と感じようが 感じまいが、他人に危害をくわえることになろうが なるまいが、わたしの行動は、わたしにとって可能な範囲で、制約されることなく自由です。 然り、それはそうだろにゃ。現実にすべてのニンゲンを監視することなんざできにゃーのだから。 いっぽう、ほんとうに こわいのは、反対に「ひとをころす自由」を否認するような かんがえかたです。かれらは いうでしょう。「われわれは ひとをころす自由を みとめられていない」と。しかし、あなたの「ひとをころす自由」を みとめないのは、《だれ》(あるいは《なに》)ですか。「法律」でしょうか。それとも、「ケーサツ」でしょうか。 かりに、「ひとをころすのは、法律で ゆるされていないから、自由ではない」と かんがえる ひとが いたと

    他者がどこにもいない自由(追記あり) - 地下生活者の手遊び
    kurotokage
    kurotokage 2008/07/09
    元エントリは、法のみを規範とし「違法でないから問題ない」「違法だから逮捕は当然」「命令に従っただけ」とか言うような、ここで書かれる前提を共有しない人たちに向けて書かれたものでは。自由の意味が違う。
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