一色伸幸 @nobuyukiisshiki 噺家さんが「時そば」を語ると、ずる賢い機転に笑うのではなく、「騙されたおそば屋さんが可哀想」というリアクションが来たりする「いま」。本寸法に拘泥したい気持ちは分かるけど、時代と寝るのが芸能。脚本におけるNGも、その禁忌とどう遊ぶかと楽しんでいくしかないのです。 2023-12-27 10:56:26
「令和」の違和感について、2点ほどブログに書きこのこしておきたい。最初に言っておくと、この新元号をくさす意図はないので、ご安心をというか、ご期待に添えずというか。 なぜ、「令和」は「れいわ」で「りょうわ」じゃないのか まず第一点目に、なぜ、「令和」は「れいわ」で「りょうわ」じゃないのか? 自分も当初疑問に思ったし、ネットでも疑問の声があるわりに、解答がないので、解答を書いておこうと思った。では解答。 「令」の字に「りょう」という読みはありません というのは、ブログっぽい釣り風味なんで、正確に言い直そう。 「令」の字に常用漢字表では「りょう」という読みはありません そう。ないのだ。 日本の政治制度の基本となった「大宝律令」は、「たいほうりつりょう」。これは、小学生でもそう学ぶと思うので、「令」は「りょう」という読みがあるのは知っている人が多い。 しかも、万葉集の時代、奈良時代の漢字は、呉音で
2012年が始まり3週間ほど経ちました。 いろいろ追われて慌ただしくしてたら、すぐに今年も終わってしまいそうなので、備忘の意味も込めて昔の上司からもらった忘れられない言葉をメモしておきたいと思います。 社会人生活では上司に恵まれてきたほうだと思うのですが(もちろん変なひともたくさんいましたが)、その中でも忘れられない上司というのが何人かいます。 「こんな風になりたいな」と思う人から、「尊敬するけどこういう風にはなりたくないな」と思う人までさまざまなのですが、それこそ10年経っても忘れられない言葉をくれた人は、特に印象に残っています。 50代・男性・営業部長 すべての人が、自分のお客様になる可能性があると思って接しなさい これは新卒で入った最初の会社の上司が教えてくれた言葉です。 オフィス内ですれ違う人、飛び込みで営業電話をかけてくる人、どんな人でも、人間相手に商売をしている以上は、巡り巡っ
パッションフルーツ(passion fruit)というと、その鮮烈な南国的な香りから、南国の情熱=パッションというイメージがわくかもしれないけど、この「パッション」の意味は、キリストの受難。知ってる人は知ってるかもしれないけど、知らない人は知らないかもしれないので、知らない人向けに雑談を。 もともと英語の"passion"という言葉には「受難」という意味がある。受難というのは、「受験」が「試験を受ける」みたいに、「苦難を受ける」といった字面の感じがあってそれも間違いではないけど、キリスト教では、イエス・キリストが十字架に至り、こと切れるまでの苦痛を指している。 ちらとウィキペディアを見たら(参照)、「受難(じゅなん、Passion)とは神学用語で、イエス・キリストの裁判と処刑における精神的および肉体的な苦痛のための言葉である」とあったが、裁判の前にも苦しみがある。ゲッセマネ園とか。このあた
高橋源一郎 @takagengen 「午前0時の小説ラジオ・震災篇」・予告1・今夜は、「小説ラジオ」をやります。最近フォローされた方はご存じないかもしれませんが、一つのテーマでの連続ツイートです。長い時には、2時間近く続くので、フォローを解除されてもけっこうです。 2011-03-20 22:03:53 高橋源一郎 @takagengen 「小説ラジオ」・予告2・土曜日は、ぼくが勤めている大学の卒業式がある日でした。しかし、「非常時」のため、卒業式はなくなりました。けれども、その日、学生の3分の2ほどは、少々、着飾って、卒業式のない学校に集まったのでした。行くあてもなく、学内を彷徨する学生たちは難民のようでした。 2011-03-20 22:07:01 高橋源一郎 @takagengen 「小説ラジオ」・予告3・結局、学生たちは、いつしか学内のホールに集まり、予定されたプランのない「卒業式
学力低下問題にはあまり関心はないのだが、今日の読売新聞社説”[読み・書き・計算]「基礎学力向上への指導法を探れ」”(参照)の次の話にはちょっと首を傾げた。 「挙手」を「けんしゅ」と読む(小5)、「奮って」を「奪って」と書く(中3)などの誤答も多かった。 「挙手」を「きょしゅ」と読めたとしてその意味がわかるということではないだろう。その意味がわかるということは、ただ「手を挙げる」と解することに加え、「では、賛成のかたは挙手をお願いします」といった日本語の状況を理解しないといけないはずだ。 というところで、「手を挙げる」と書くべきか、「手を上げる」と書くべきか、をきちんと学校では教えるのだろうか。「手を上げる」と書かせておいて、「挙手」をそれと並行で教えるとしたらそれは矛盾してないか。 とかいいながら「手を挙げる」ではなく「手を上げる」と書くべきだろう。では、「挙手」はどう教えるのか? そうい
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