ブックマーク / essa.hatenablog.com (8)

  • 「結果の平等」と「変化の不平等」

    今日の読売新聞で、2008年の論壇を「『新自由主義』崩落の年」と総括していた。 これらの危機や問題には共通の根があることを、今や私たちは知っている。小さな政府を志向し、社会の隅々までを市場化し、すべてを個人の能力に帰していく「新自由主義」である。2008年は、リーマンショックでその根が掘り出され、ここ20〜30年ほど世界を席巻してきたこの思想が、もはや従来のような力を持ち得ないことを明確にした年だったといえる。 確かに、「新自由主義」に否定的な言説は広まっていると思うけど、「新自由主義」以前に回帰せよという主張がほとんどであるように思える。少なくとも、世界が変化していく中で、日がどう変わるべきかを示すようなビジョンは見あたらない。 特に、価値観の多様化を前提として社会が変化していく方法としては、市場や自由競争に代わるものは無いと思う。 「新自由主義」における市場化は、各自が萎縮することな

    「結果の平等」と「変化の不平等」
    leva
    leva 2008/12/14
    反新自由主義の帰結が変化の不平等を招くという話、名文 / 少し乱暴に「富の分配方法に関する変化の不平等」と解釈するけど、新自由主義を採るなら富の総量がどうあるべきかについても、もっと語られるべきかと
  • パフォーマンスアートとしての「装甲車付き聖火リレー」 - アンカテ

    今日は、まず、チベットリンクから。 警備態勢は、まず聖火ランナーの周りを48台の装甲車が囲み、その周りを100人の警察官がローラースケートを履いて走ります。そして、その外側を消防隊員100人が走ります。最後に、一番外側を合計65台の白バイ隊が走るという、総勢400人を超す警備態勢で臨みます。 つうかコレ護衛っていうよりフランス国家の抗議行動だろw 聖火リレーで装甲車ってww 他にも、この過剰な警備はフランス当局の嫌がらせではないかというレスがいくつかあった。 どうしても必要なレベルだったのかどうか、意図的に過剰な警備をしたのかはわからないが、結果として「装甲車と警察官400人に囲まれて走る聖火」が、見事なパフォーマンスアートになってしまったのは確かだと思う。 ただ、このパフォーマンスアートのテーマを「固く守ることで、かえってそこなわれてしまうもの」と見ると、そのアイロニーの射程は、北京五輪

    パフォーマンスアートとしての「装甲車付き聖火リレー」 - アンカテ
    leva
    leva 2008/04/08
    自分を柔らかくする=目の前にある手段を絶対化せず、目的は何か、それを達成するためにはどういった戦術を執るのが一番確実かを再検討し、またその思考方法を血肉化すること。と理解しました。
  • 「みんな力 - ウェブを味方にする技術」書評 - アンカテ

    みんな力―ウェブを味方にする技術 このは、簡単に言えば「炎上しないように企業がネットでモノを売るにはどうしたらいいか」というである。 ただそれだけのなのだが、ただそれだけのことをきちんと書くのはけっこう深い思索が必要である。単に、表面的な情報や浅薄なノウハウをかき集めているなんか見てたら、それこそまっさきに炎上する。筋が通ったを読むべきである。 メディア論の学者、マーシャル・マクルーハンの有名な言葉に「テクノロジーやメディアは人間の身体の拡張である」というものがある。彼は、自転車は人間の足が拡張したもの、ラジオは耳が拡張したものである、と述べている。しかし、私は正確には、マスメディアは人間の拡張ではない、と思う。 マスメディアは「制度」を作り出し、情報における「上と下」を生む装置だ。情報を入手し、それをどう「ばらまく」か、を主機能とするシステムだ。それは「上」からの大量な情報の流

    「みんな力 - ウェブを味方にする技術」書評 - アンカテ
    leva
    leva 2007/06/27
    思想の使い方。思想(メディア論や消費社会論など)の大御所を口寄せしつつ、小ネタも適度に混ぜるって展開の方法は個人的に好きだな(てかessaさんのやり口に似てる?)。いっぺん読んでみよ。
  • 「公」というものを制御不能であるけど善なるものとして認識する - アンカテ

    アレントは、人間の活動領域を「公的領域」と「私的領域」に分け、現代社会の問題を「私的領域」による「公的領域」の侵蝕であるととらえた。 「私的領域」とは、人間の生存に必要な生産活動を行う場ということである。アレントはアテネの都市国家における「家」を「私的領域」の代表としたが、現代に生きる我々は企業をイメージするのがいいと思う。生産活動にはエンジニアリングと指揮命令系統が必要である。この中では、人間は命じられた通りに言いつけられた仕事を確実にこなさなくてはならない。 「公的領域」とは政治の場であるが、政治エンジニアリングや指揮命令系統ではなく、対等な立場の人間同士の議論によって行うべきだというのがアレントの主張である。人間同士の議論には、必然的に予測できない部分があって、エンジニアリングによって事前にシステムを決定することはできない。そこには別の方法論が必要であり、指揮命令系統ではなく個々の

    「公」というものを制御不能であるけど善なるものとして認識する - アンカテ
    leva
    leva 2007/06/19
    うーん、イマイチわかった感じがしないが、制御不可能な環境管理(主体は管理下にいる人全員)=公がネットという手段を通じてプライベートを侵蝕しつつ拡大しているのだと理解しておこう。
  • 権威主義と全体主義に挟まれて絶望しない為には - アンカテ

    先週の週末に、たまたま近くの図書館にあったハンナ・アーレントの過去と未来の間を読んだんですが、さっぱりわかりませんでした(泣き笑い)。何言ってんのかわかんなくて半分くらい飛ばしていて、読んだというより眺めたという方が近いくらいなんですが、なんか、このオバサン、根性入ってるなあということだけはヒシヒシと感じました。意味わかんないけど、迫力というか凄みのある文章なんですね。 その中で、ひとつだけわかったのが「全体主義と権威主義は違う」という話。我々は民主主義を基準にして考えるので「民主主義でないもの」は全部ひとまとめに考えがちなんですが、ナチスドイツに代表される全体主義と権威主義は全然違う。 例えばナベツネさんの言動を見てると、アーレントの言う「権威主義」の意味がよくわかります。全体主義も権威主義も、上の人が何かを押しつけてくることは同じですが、「権威」というものは下を縛るだけでなくて、上に立

    権威主義と全体主義に挟まれて絶望しない為には - アンカテ
    leva
    leva 2007/01/30
    全体主義は「民主主義以外のそれらの一つ」ではなく「権威の崩壊によって民主主義の可能性と危うさを同時に開花させ」たものであるということ
  • 内定者に情報断食のススメ - アンカテ

    会社の内定式で何か話せと言われたので、思いついたアイディアを書いてみます。実際にこの通り話すかどうかは、これから考えます。 経験とは変化への備えみなさん、内定、おめでとうございます。 今みなさんは、長い大変な就職活動を終えて、ホッとされていると思います。同時に、社会人としての一歩を踏み出すということで、緊張と不安を感じていらっしゃるかもしれません。 みなさんは、半年後から、この会社で我々と一緒に仕事をすることになるわけですが、学生と社会人の違いをさまざまな面で感じて、その差をどう埋めていけばいいのか、不安を感じるのは当然だと思います。 学生と社会人には大きな違いがたくさんあるわけですが、その中で、特に一気に埋めることができない決定的な違いの一つは、「社会経験」の有無です。それはよく言われることですが、では「社会経験」があることの意味とは、具体的に何だと思いますか。 もちろん、これも人によっ

    内定者に情報断食のススメ - アンカテ
    leva
    leva 2007/01/30
    こちらは変化の話。
  • わかることから書き始めてわからなくなるまで書く - アンカテ

    ちょっと前に気がついたのだが、ブログを書くコツは「わかることから書き始めてわからなくなるまで書く」ということではないかと思う。 当然、人に読んでもらうためには、嘘やデタラメではよくないので、自分が良く知っていることを書くべきだ。しかし、知っていることだけ書いていたら、読んでいる人のタメにはなっても自分は面白くない。書いていて面白いのは、自分にもよくわかってないことを書くことで、その方が後で読んで面白い文章になることが多い。 私は、常にそういう矛盾の中でブログを書いているのだけど、それを長年続けているうちに自然と出来あがってきたパターンのひとつが、「わかることから書き始めてわからなくなるまで書く」だ。 私が書くことは、自分が知っていることと知らないことの境界線上にあることが大半だが、知らないことを書くと失敗するので、その境界線の内側から書き始める。だけど、自分の志向はわからないことに向いてい

    わかることから書き始めてわからなくなるまで書く - アンカテ
    leva
    leva 2006/12/30
    アンカテを150%面白く読めそう。バックボーンあってこそ、こういう書き方(考え方)も活きるなぁ。てか、ペンローズ読んでみよ
  • 「WEB進化論」的ネット経済とベーシックインカム - アンカテ

    P-navi info : 残業400時間で、会社に「ひきこもり」 動画版週刊はてな 我ながらすごい組合せだけど、この二つの事例、「労働」と「自己実現」の関係において、対極的であり同時に共通性を持っている。 対極的であるのは、「自己実現」と「企業の価値」の関係だ。 「残業400時間」企業においては、自己実現(どころか健全な私生活)は、企業の価値を高めることと絶対に両立しないものとされている。それに対し、「はてな」においては、自己実現そのものが企業の価値と直結している。id:reikonさんに呼ばれて自分が開発したサービスの新機能をアピールする社員たちや、同好会的なノリで入る笑い声そのものが、無味乾燥なプレスリリースよりずっと効果的に、自社の市場における価値を表現している。その「表現」そのものが「はてな」の企業としての価値だ。これが無ければ「はてな」はアクセスを稼げず金を稼げない。 共通性は

    「WEB進化論」的ネット経済とベーシックインカム - アンカテ
    leva
    leva 2006/04/14
    労働における「自己実現」と「企業の価値」の関係
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