大雑把な説明です、できればご自身で調べた方が良いと思います。 江戸幕府は重農政策をとっていましたので、基本米が収入です、ただ、米で物々交換はできないので、現金化をしました。 そのために米の価格の安定を第一に考えましたが、不作豊作によって相場が乱れたので、商人たち(札差)などが権力を握るようになりました。 農民の年貢に関しては、検見法(けみほう、田を視察してその年の収穫量を見込んで毎年ごとに年貢率を決定する)を採用していましたが、年によって収入が大きく変動するリスクがありました。 なので、江戸中期ごろになると、定免法(じょうめんほう、豊作・不作にかかわらず一定の年貢率による徴収方法)がとられるようになりました。 ちなみにこれは藩ごとになり、幕府が各藩に上米させたのは一回きりだった記憶があります、またこれも税金としてではなく、幕府の財政再建のための献納という意味合いが強いものだった記憶がありま
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