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ホモフォビアに関するlotus3000のブックマーク (10)

  • オタクたちのホモソーシャルな関係

    気になったニュースや日ごろ思うことをつぶやくブログです。 坂木、gerira、43の三人が執筆します。 今回はジェンダー論第二弾である。イヴ・セジウィックのホモソーシャル理論を用いて、現代のオタクたちのジェンダー意識について論じたい。結論からいうと、オタクたちのジェンダー意識は、ずばりホモソーシャルを体現したものであるといえる。 ホモソーシャルとは、イヴ・セジウィックに提唱された、異性愛男性の友情・同胞愛によって支えられた連帯関係を指す、「ホモフォビア」と「ミソジニー」から成る概念である。セジウィックによれば、古代ギリシアから近代に至るまで西洋はホモソーシャルな社会であったが、ホモソーシャルはホモセクシャル(同性愛)と断絶したものでなく、連続したものであったという。ホモソーシャルな社会は潜在的に同性愛的であった。彼女は、男性が異性愛関係をもつのは男同士の究極的な絆を結ぶためであり、女性は男

  • @hibari_to_sora さんのLOマンガ感想

    tum @tummygrrl どうでも良いけど復習。男性のホモソーシャルな関係というのは女性を媒介にした(媒介にしかしない)男性同士の関係性。従って基的にミソジニー(女性嫌悪)を特徴とする。西洋近代においては同時にこの関係は自らを男性相互のエロティシズムとは無縁だとみなす。つまりホモフォビアをも特徴とする。 tum @tummygrrl ところが男性相互のエロティシズムとは無関係とされてきたホモソーシャルな関係は、実は常にそのようなエロティシズムに開かれている、と指摘したのがセジウィック。従って西洋近代の男性のホモソーシャルな絆は常にホモエロティシズムへの回路を持つが、だからこそ/にもかかわらずこれを否認する。 tum @tummygrrl 言い換えれば、否認すべきホモエロティックな可能性が常に存在するからこそ、これを顕在化させるホモセクシュアリティに敵対的となる。ただしこれは西洋近代ホ

    @hibari_to_sora さんのLOマンガ感想
  • みやきち日記

  • 「ホモフォビアを表明してどこが悪いのか」って、そりゃ、強者にだけ都合がいい序列パターンの維持につながるところだよ - みやきち日記

    大学時代の社会学のノートを整理してたら、Conflict Theory(抗争理論)のところに、こんなことが書いてありました。 階層化→社会的強者(権力がある側)と弱者(権力がない側)の序列のパターン→強者の利益の最大化のため、序列のパターンが維持・強化される 序列のパターンを維持強化するには、そのパターンを正当化する必要性がある 正当化のため、イデオロギーの浸透が図られる 権力側による抑圧(coercion)は物理的な強制ではなく、強者の価値観を弱者にソフトに注入するかたちで行われる これ読んで思い出したのが、アニメ『放浪息子』をめぐるホモフォビックなツイートをめぐるこちらのまとめのこと。 Togetter - 「「放浪息子」をめぐるホモフォビア(同性愛嫌悪)」 この中で、「ゲイは勘弁してください」「さりげなくゲイ臭を出してて恐かった」「なんかホモがいる…なにこれこわい……」などのツイート

    「ホモフォビアを表明してどこが悪いのか」って、そりゃ、強者にだけ都合がいい序列パターンの維持につながるところだよ - みやきち日記
    lotus3000
    lotus3000 2011/01/26
    「権力側による抑圧(coercion)は物理的な強制ではなく、強者の価値観を弱者にソフトに注入するかたちで行われる」
  • 『放浪息子』への嫌悪感の正体 - あままこのブログ

    放浪息子 (1) (BEAM COMIX)posted with amazlet at 11.01.26志村 貴子 エンターブレイン Amazon.co.jp で詳細を見る最近放浪息子というアニメがフジテレビで放送されているそうで、でそれが何か同性愛志向のキャラクターがいるとかでtwitterで反感を呼び、そしてその反感がtogetterで晒し上げられて「ホモフォビア(同性愛嫌悪)」として非難を浴び、そうすると今度はそのtogetterでの晒し上げが「言葉狩りだ!」と別のtwitterアカウントで非難されるという、ややこしい騒動がネットの片隅で起きていました。 「放浪息子」をめぐるホモフォビア(同性愛嫌悪) - Togetter 嫌悪表明問題 - Togetter で、まぁそりゃあ「このキャラクターホモだから嫌い」なんていうのは明確に差別的発言だと思うし、そういう言葉を言っちゃった人たちが

    『放浪息子』への嫌悪感の正体 - あままこのブログ
    lotus3000
    lotus3000 2011/01/26
    むしろ「自分がなにか特別な属性を持たない(何者でもない)」という全否定形でしか語れない、そういう苦しみにこそ、僕は目を向けたいけど、まぁそれは別の問題か。)
  • 「放浪息子」をめぐるホモフォビア(同性愛嫌悪)

    可寝た @tomoyukix 今回のまとめに対する批判の声も多いようだが、基的に私には個々の発言者を糾弾する意図はまったくない。なので、個々の発言者に対して人格攻撃をするのはやめていただきたい。差別とは、個別の発言者の人格とは関係なしに――言い換えれば、「社会的」に――行われるものなのだから。 可寝た @tomoyukix 個別の発言者の「意図」はここではあまり関係がない。問題は、その個別の発言が集合的な力を持つことだ。個別の発言(あるいは「言表」)が撚る集められて、ひとつの「社会的な」文脈(これを「言説」という)を形作るとき、その個別の発言は言説実践を行っている。

    「放浪息子」をめぐるホモフォビア(同性愛嫌悪)
    lotus3000
    lotus3000 2011/01/25
    ひどいと思う反面、感情のつぶやきがかくもカスケード起こすさまが怖い。細かく注意することの難しさをみせつけられる。
  • 「ホモフォビアに対するヘイト・スピーチ」?~瓜田事件をめぐって

    芸能人・瓜田純士によるゲイカップル襲撃事件がネット上で大きな注目を集めています。 瓜田人の態度、そしてブログ運営会社の対応に批難の声が集まる一方で、 「売れない芸能人を晒し上げてバッシングするのは『正義』の名を借りた集団リンチだ」 続きを読む

    「ホモフォビアに対するヘイト・スピーチ」?~瓜田事件をめぐって
  • 暴力について考える | One Voice

    とある俳優が、自身のブログで、ゲイに暴力をふるったことを自慢するかのように書いた文章が、インターネットニュースや個人ブログで問題化され、twitterなどで大きな反響を呼んでいる(知らない人のための説明は下に)。 この問題について、僕もtwitter上で積極的に発言した。そのため、いろいろな反応も受けて、だいぶ消耗している。ということで、少しtwitterは休んでいるが、このことについて感じたことをまとめておきたい(やはり、短い文章では誤解を招きやすいと今回痛感した)。 僕は、彼の書いている内容に正直腹が立ったし、同時に傷つけられたような感覚を覚えた。胸の中に大きな石を抱えてしまったような、とても重い気持ちになった。でも、彼に直接抗議することにはためらう自分がいた。 というのも、ブログ上の文章を読む限り、彼は社会性というものに反発し、暴力に意味を見いだしている人のようだったからだ。むしろ、

    暴力について考える | One Voice
  • 紀伊國屋書店「scripta」−ニッポンのミソジニー

    男の値打ちは何で決まるか 男を見ていると、かれらは女といるよりも、男同士でいることのほうがもっと好きで、気持ちよいのではないか、と思わされることがよくある。女の値打ちは男に選ばれることによって決まる(と考えられている)が、男の値打ちは女に選ばれることによっては決まらない。その点では、異性愛の秩序は男と女にとって、非対称にできている。男の値打ちは何で決まるか? 男同士の世界での、覇権ゲームで決まる(ことになっている)。男に対する最大の評価は、同性の男から、「おぬし、できるな」と賞賛を浴びることではないだろうか。時代劇に出てくるように、刃を交えた好敵手(ライヴァル)から、鍔迫(つばぜ)り合いでにじりよられてこのことばを耳元で囁かれたときの、ぞくぞくするような快感にくらべたら、女からの賞賛などなにほどのものでもない――と思うんじゃないかと、男ではないわたしにはよくわからないが、そう推量するだけの

  • 向坂逸郎とセクシュアルマイノリティ

    とくに、このNo41の私のエッセイを読まれた社会民主党関係者の方からのメールをお待ちしています。向坂逸郎氏と社会党とは深いつながりがありました。そのことに関する私のエッセイです。社会党を継承した社民党は、過去のこの問題から逃げることはできないと思います。また、同様に、社会主義を志している党として、日共産党関係者からのメールもお待ちしています。社会主義運動のなかで、「同性愛を資主義の退廃文化」としてきた過去は、共産党もそこから逃れられてはいないと思います。 この問題を、一緒にまじめに考えていきたいと思っています。 ←宮崎留美子へのメールは、左のロゴをクリックしてください。 東郷健さんの新著、「常識を越えて」(ポット出版)というは、なかなか面白い。でも、このに書かれている内容を、"今の私"が読んだゆえに「助かった」と思っている。もし、私が若かりしころ、自分の頭で考えるのではなく、権

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