朝刊を開いたら、一面の下の書籍広告がぜんぶ坂本龍馬関係の書籍だった。 書店に行っても坂本龍馬関係の本ばかりがずらりと並んでいる。 私たちの国では、システムや価値観のシフトが時代の趨勢としてやみがたいという「雰囲気」になると、ひとびとは幕末に眼を向ける。 地殻変動的な激動に対応した「成功例」として、私たちが帰趨的に参照できるものを明治維新のほかに持たないからである。 日本人がある程度明確な「国家プラン」をもって集団的に思考し、行動した経験は維新前夜だけである。 それはアメリカ人が社会的激動に遭遇するたびに「建国の父たち」を想起するのと似た心理機制なのかも知れない。 司馬遼太郎によると、坂本龍馬の名前はひとにぎりの旧志士たちのあいだでこそ知られていたが、明治中期にはもうほとんど忘れ去られていた。 それが国民的な知名度を得たのは、日露戦争前夜の1904年、皇后の夢枕に白衣の武士が立ち、来るべき戦
関曠野氏のホームページhttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/4041/seki/bn.htmlに注目すべき洞察を目にした。 以前から、明治維新前後の歴史について、よく理解できないことがあったのだが、そのうちいくつかについて理解する手がかりが得られるかもしれない。 ここから2)に対してもおのずから答えが出てくる。中華帝国の儒教モデルでしか政治支配の正統化をできなかった日本のエリートたちは、明治以後、中国に成り代わって、新たにアジア帝国の盟主になろうとしたのである。彼らは現実の脅威から国を救ったのではなく、脅かされた己れの世界イメージを救うために、自国民や周辺国民を犠牲にしたわけだ。アヘン戦争以後、中華帝国に代わり得る秩序モデルを示しえなかったことが、その後の悲劇を生んだのである。彼らの行動が想像的な意味を求めるものであり、自分を納得させるために自分から幻
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