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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (76)

  • 最近のコメント欄から - Arisanのノート

    このところ、各エントリーのコメント欄に大量の匿名の書き込みが続いていて、すごく困ってます。 ほとんどは、「早く左翼教、文学教を脱して、あなたも現世教の信者に!」といった趣旨の内容で、「間に合ってます」という感じなんですが、いくつかすごく気になったコメントがありました。 それらについて、少し思ったことを書いてみます。 ひとつは、『06年最後のエントリーは、労働運動について考える』と題をつけた昨年12月31日のエントリーのコメント欄から。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20061231/p3 こんなふうに書いてあります。 さっきからさ。”イメージ”だの、”思う”だの あいまいな言葉ばかりつかってるけどさ・・・ 実際に働く人に接したことないの? 働く人たちの組織に接して彼らの意見を じかに肌に触れて感じたことないの? かれらの息遣い感じたこと無いわけ? 彼らの愚痴聞い

    最近のコメント欄から - Arisanのノート
  • 『優生学と人間社会』を読んで - Arisanのノート

    優生学と人間社会 (講談社現代新書) 作者: 米昌平,ぬで島次郎,松原洋子,市野川容孝出版社/メーカー: 講談社発売日: 2000/07/19メディア: 新書購入: 2人 クリック: 60回この商品を含むブログ (46件) を見る 優生学という言葉をはじめて意識して聞いたのは、数年前のことだと思う。 もちろんこの語自体はもとから知ってはいたが、「戦前のこと」であり、おぞましいことだが過去の話であると思っていて、それが現代に復活しつつあると聞いて(実情は、それどころではないわけだが)、奇異の感を抱いたことを覚えている。 このを読むと、「優生学」の過去と現在についてのそうした思い込みは、まったく誤っていたことが分かる。戦後の日社会においても、ずっと「優生保護法」という名の法律が存在してきただけでなく、優生思想は、根的に否定されることのない考えであり続けてきた。 だが、そればかりではない

    『優生学と人間社会』を読んで - Arisanのノート
  • 『日本の近代化と民衆思想』 - Arisanのノート

    の近代化と民衆思想 (平凡社ライブラリー) 作者: 安丸良夫出版社/メーカー: 平凡社発売日: 1999/10/14メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 67回この商品を含むブログ (23件) を見る今年に入って平凡社ライブラリーから「名著復刊」として新しい刷が発売された書は、もともと、歴史学者安丸良夫が、60年安保の国会議事堂を包囲した闘争に一学生として参加した体験を機縁として、60年代から70年代前半に書き継いだ論考を一冊にまとめたもの(74年出版)である。 「通俗道徳」の利用と日近代の民衆宗教 書の前半ではまず、近世から明治にかけての日の民衆闘争を支えた思想が、近代化や国民精神の形成と表裏をなす「道徳主義」にあったことが強調される。 これは、民衆の道徳主義を、江戸時代からの封建的遺制として否定的にのみ捉える、従来のマルクス主義史学や丸山真男などへの異議を、民衆史という

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  • 橋下的なものをめぐる戦いの内実 - Arisanのノート

    橋下・大阪市長:職員規制条例「政治活動で懲戒免」 罰則に代え http://mainichi.jp/area/news/20120621ddn001010011000c.html これに対し、橋下市長は20日、「閣議決定が『地位から排除すれば足りる』というなら、忠実に従う。(政府は)バカですね。政治活動については原則、懲戒免職にして、ばんばん排除していく」と述べ、7月の臨時議会で「懲戒免職」規定を盛り込んだ条例案を提出する方針を示した。 怖いなあ。 大衆的な人気という事を含めて、実際に大きな政治権力を握っている人間が、公の場で「排除」だのなんだの、それも条例制定を武器にしてそんな暴力的なことを公言し、しかもその言動がまかり通ってしまうという、今のこの社会。 おまけにそれを伝えるメディアの報道はこの通り、別に批判するでもなく、ただ事実を伝えるだけの「客観報道」とかいう奴。その実は、「批判しな

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  • ニコンよ、恥を知れ - Arisanのノート

    こうして詳しく話を聞いてみると、いかに酷い話かがよく分かる。 Fotgazet通信・問われる表現の自由〜ニコンサロン写真展中止事件 http://www.ourplanet-tv.org/?q=node%2F1382 ニコンが、掲示板での書き込みや、もしくはそれ以外の何らかの圧力を受けて自分たちの決定を覆し、写真展を中止にしたというのは間違いないところだと思うが、それを正当化するために、「政治的な表現だから展示させない」と言っているのだという。 自分たちのいわば都合で、一度は自分たちが決定して企画した表現の場を潰しておきながら、その理由をなかなか明らかにしようとせず、司法の場に持ち込まれてやっと表明したと思ったら、まるで「(ニコン自身によって)被害を受けた側」(つまり安世鴻さん)に非があるかのように言い出す。 ここには、「慰安婦」問題が日において周縁化されてきた主たる理由である、日の企

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    lotus3000 2012/06/21
  • 見えないクーデター - Arisanのノート

    生活保護制度に関する冷静な報道と議論を求める緊急声明 http://www.moyai.net/modules/d3blog/details.php?bid=1510 問題の質から外れたところで、人々に積した差別的な感情を煽るような仕方で、特定の「犠牲」(生贄)が選び出されてバッシングされる。 その高揚した、殺伐とした雰囲気を背景にして、積み上げられてきたはずの議論や、制度の来の問題点や、現場でのさまざまな努力、より根的には、人命や憲法の理念や民主主義の手続きといったものが全て蔑ろにされて、なしくずしの制度の改変、いや、人命を尊重するような社会のあり方(それはもちろん、従来からまったく不十分なものではあったのだが)の破壊という暴力が行使される。 これは、周到に計算された、「民心」を利用したクーデターのようなものだ。 こういう反動的な暴力を行使している自民党の議員や、それを容認してい

    見えないクーデター - Arisanのノート
  • 「『靖国』問題」とパターナリズム - Arisanのノート

    Apemanさんのエントリーより。 「期待権」について追記 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080415/p1 当ならば、この件についてはArisanさんの一連の考察(このエントリを中心とした)の問題提起にきちんと答えるかたちで書こうと思ってたのですが。十分な交渉力を持つエージェントである靖国神社はともかくとして、90歳になる高齢者を取材対象とする場合には(パターナリズムに陥る危険性を考えてもなお)取材趣旨の説明にあたって通常以上の注意が払われるべきで、贔屓のひきたおしでその点についての検証を怠るのはよくない、と。 ぼく自身は、この件についてこれまで書いてきたことには(ご指摘のように)、パターナリズム的な面があったかも知れないという反省がある。 それは、以下のような部分に関して。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20080411/p

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    lotus3000 2012/06/13
  • 『思想のドラマトゥルギー』 - Arisanのノート

    思想のドラマトゥルギー (平凡社ライブラリー) 作者: 林達夫,久野収出版社/メーカー: 平凡社発売日: 1993/06/21メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 68回この商品を含むブログ (24件) を見る この長大な対談の根っこになっているのは、冒頭近くに林達夫が語っている、子ども時代の次のようなエピソードだと思う。 林  実は、それには一つのエピソードがあるんです・・・・いま、初めて人に披露するんだが・・・・叔父の家の隣りに貧しい車引きが住んでいてね。そこの一人娘で二級ぐらい上だったかな、実に凛々しい、威厳のある子がいました。苦しい家計のためでしょうか、真冬に足袋もはけない始末で、いつも素足なんだ。叔母は気の毒がっていたが、彼女は少しも悪びれた様子もなく、当り前のことのように甲斐甲斐しく働いている。僕はそれに感動していたんだろうな。ある日、ふと、”僕もう足袋なんかはかん”と宣言

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    lotus3000 2011/12/23
    これは必読。
  • 過ぎ去ろうとしない君が代問題 - Arisanのノート

    題はパクリです(笑)。 7月31日の大阪の反原発サウンドデモの時に起きた、君が代がサウンドデモのスピーカーから流されたことをめぐる議論については、このブログでも意見を書いてきました。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20110807/p1 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20110814/p1 実際に出来事を体験したり、実行に関わった人たちの間で話し合いがなされ、またそれを踏まえて主催側(呼びかけた人たち)からの状況説明や詳しい意見の表明が、ホームページなどでなされるのを待ちたいと思っていたのですが、今になっても、ホームページには次のような非常に短いコメントが出てるだけなのは、大変残念です。 http://osaka-antinukes.tumblr.com/ 7/31に行われましたナツダツゲンパツサウンドデモは、個人の集まりにより運営さ

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    lotus3000 2011/09/21
  • パロディの問題 - Arisanのノート

    7月31日の大阪のサウンドデモでは、DJが君が代を流すということがあったそうで、そこここで議論になっている。 http://www.mojimoji.org/blog/0488 ぼくはこの日はデモに行けなくて、事情がはっきり分からないということもあり、また現場に居た人の間で直接に意見が交わされるだろうからと思って、この件についてはこれまで書かなかった。 だが、どうもひとつ気になることがある。 それは、今回の行動(君が代を流したということ)を擁護する側の意見として、パロディとか、要するに表現の技法なのだからという言い分が出されてることだ。 パロディだからということが、君が代を流していいという理由になるとは思わないが、それとは別に、こういう意見(言い訳)を言う人は、パロディとか表現ということについて、考え方が甘いのではないかと思う。 5月か6月の、やはり大阪のサウンドデモの時だったが、デモが終

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    lotus3000 2011/08/16
  • 再び君が代問題について - Arisanのノート

    まえにも書いた、先月31日の大阪のサウンドデモでの君が代をめぐる問題、主催のホームページに短い声明の文章が載っています。 http://osaka-antinukes.tumblr.com/ これはとりあえずのもので、今後さらに議論が深められていくのだろうと思います。 ここでは、この出来事について、今の自分の考えをちょっと書いてみます。 ぼくはなぜ、君が代(や日の丸)が、自分の参加する(今回は参加できなかったが)脱原発デモで用いられることに反対するか。 まず確認しておきたいのは、君が代や日の丸というのは、それ自体が日という国家の政治的な暴力性(過去の侵略、現在の排除性など)の象徴だということだ。とりわけデモという(政治的な)主張の場において、それを演奏したり掲げたりするということは、その(特殊的な)政治的暴力を、参加者たちが人々に対して突きつけていることになる。 もちろん、立場や考え方に

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    lotus3000 2011/08/15
  • ノルウェーの事件に寄せて - Arisanのノート

    予想されたことではあるが、日でもこういう論調が幅を利かせてるようだ。 ノルウェーでのテロ事件と日 http://news.livedoor.com/article/detail/5738369/ ブレイビグ容疑者が敵視したイスラムは、生活規範として信仰者の日常生活行動を規定する面がある。また、外国人移民が有する同郷・同民族などの連帯意識により、国家内に別の国家のような移民地域ができることがある。このため、EU諸国内では、オランダの自由党をはじめ右派政党の台頭が見られ始めている。ブレイビグ容疑者はこのような右派思想の活動家であり、犯行目的は移民排斥だとも伝えられている。 もちろん、その目的を爆弾テロと銃乱射という方法で追って達成できるわけではない。しかし、この衝撃的な事件によって、外国人移民問題が抱える(1)宗教と民主主義の関係、(2)多文化主義の矛盾など、問題の質ともいえる要素につい

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    lotus3000 2011/07/28
  • 『証言記録 兵士たちの戦争』 - Arisanのノート

    きのうまでNHKの地上波で放映されたこの番組については、以下でも言及されているが、 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080730/p1 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080731/p1 一点だけ、思ったことを書いておく。 このような証言映像を見るとき、そこで語られている証言の内容はもちろん重要だが、言葉では明示されないものを含めた映像と音声の全体から、われわれ視聴者は、多くのものを感じとる。 それは、証言者の沈黙や、表情、身振り、言葉の調子、言い回し、そういったものから伝わってくる何か(そこに現前してはいないもの)の「気配」のようなもの、それを直接に感受するということである。 この番組では、戦場での体験から60年以上を経ても、記憶が毎夜現在の出来事のように回帰してくるという証言、「あれは人間の見る光景ではなかった」という言葉や、

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    lotus3000 2011/06/28
  • ここに本質がある - Arisanのノート

    他にしないといけないことがあるのだが、あまりにひどい話なので、書いておこうと思う。 郡山市のコリアンスクールが危機に  日人のための避難所も設営したのに、校庭汚染除去も支援なし http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201106241409555 念のために書くけど、単に「被ばくを防ぐための支援は普遍的になされるべきであるのに、こんなことでまで差別されるのはひどい」という話ではないですよ。 元々こういう差別がまかり通る非人間的な社会だったから、いま原発事故についても、推進だの維持だのという非人間的な論が主流になってるということです。 つまり、原発事故が起きようが起きまいが、朝鮮学校は国家や社会による排除と差別の暴力にさらされてきたわけであり、事故以後は、その暴力に「放射能」(また、震災のによる被災)という新たな内実が付け加わっただけだと言える。

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    lotus3000 2011/06/28
  • 『北朝鮮へのエクソダス』・その3 - Arisanのノート

    前二回の続き。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070815/p1 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070815/p2 北朝鮮へのエクソダス―「帰国事業」の影をたどる 作者: テッサ・モーリス・スズキ,田代泰子出版社/メーカー: 朝日新聞社発売日: 2007/05/08メディア: 単行購入: 3人 クリック: 50回この商品を含むブログ (25件) を見る 「自由選択」をめぐって これらの物語はどうしても聞かれなければならないし、わたしはその複雑さをそっくり残したまま伝えたい。しかし、書き、引用し、編集し、削除するという行為そのものが、ある種の暴力のように思える。(p305) 前回書いたように、金日成政権にとってはやはり労働力確保の手段として、この「帰国事業」は見なされていた面があると、著者は述べているのだが、それに関する以下の

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    lotus3000 2011/06/22
    「なぜ在日朝鮮人の帰国が、日本政府や官僚、保守派、右派だけでなく、日本の左派にとっても、またマスコミや一般の市民にとっても、当然支持すべきテーマと見なされたのかは、考えなくてはいけないことだろう」
  • 『<佐藤優現象>批判』をめぐって - Arisanのノート

    前回、金光翔さんのことについて書いたが、その論考『<佐藤優現象>批判』について、ちょっと他の場所でやりとりをした。 http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-1.html そのなかで、この論の論調は、左派文化人の批判に集中するあまり「主要な敵」を見失わせるものではないか、といった評を聞いた。 これは、ぼくは違うと思う。 どう違うのかを、書いておかなくてはいけない。 金光翔による批判の意図するところ ぼくの考えでは、逆に金光翔(以下敬称略)は、あの論考で「主要な敵」を明示しようとしたのだ。 あの論考で示唆されていたように、左翼が変質して(もしくは従来の不十分な主張の延長として)、国家による少数者や弱い立場の人の排除、また戦争の遂行に加担するような姿勢を示すなら、そうした変質の構造こそが批判されるべきものであり、「主要な敵」を見えなくさせているものであると

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    lotus3000 2011/06/19
  • 6月5日の大阪のサウンドデモの感想 - Arisanのノート

    6月5日の大阪のサウンドデモ、主催者、参加者のみなさん、お疲れさまでした。 以下のサイトにも映像がアップされてるようですが、一応感想めいたものを書いておくことにします。 http://osaka-antinukes.tumblr.com/ のっけからなんだけど、率直に言って、一番強い印象は、警察のひどい警備。 不当逮捕のあった5月7日の東京のデモの様子を詳しく聞いてたので、この日のサウンドデモ(以前からサウンドデモは警察の目の敵にされてるらしいので)は一応予測はしてたんだけど、それにしても嫌がらせとしか思えない警備の仕方だった。 三つに分けられた隊列の間を出来るだけ離そうとしたり(百メートルぐらい離されて前の隊が見えなくなることもあった)、そうかと思うと各隊列が延びすぎないように、隙間を作らないように強制的に急がせたり、両側から挟みこんでプレッシャーをかけたり、まあやりたい放題やられた感じ

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    lotus3000 2011/06/12
  • 神話を守り続ける者たち - Arisanのノート

    時代の風:原発事故と生肉中毒=東京大教授・坂村健 http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20110522ddm002070092000c.html 世に絶対安全がない以上、やるかやらないか、どこまでコストをかけるかということは、事故想定確率とその被害額を掛けた値と、社会的なものまで含めた経済のてんびんによるしかない。原発について議論するなら、その使用済み燃料処理コストまで含めたライフサイクルコストの不明朗さをむしろ突くべきだ。 この人の言ってることは、前回のエントリーで紹介した文章に比べると、一見まだまともに見えるけど、根的なところで詐術的な事実誤認を示している。 日人が「安全神話」を手放さなかったことが、今回の事故の原因だなんて抽象的なことを書いてるけど、「安全神話」を流通させ押し付けたのは、どこの誰だ。 上に書いてる

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    lotus3000 2011/06/11
  • 『市民社会とは何か』 - Arisanのノート

    市民社会とは何か?基概念の系譜 (平凡社新書) 作者: 植村邦彦出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2010/12/16メディア: 新書購入: 4人 クリック: 80回この商品を含むブログ (33件) を見る 「市民社会」という日語の概念をめぐる混乱の原因を、アリストテレス政治哲学の西洋思想史における受容の歴史にまでさかのぼって詳細に整理、分析。 また後半では、いわゆる講座派以後の、日における「市民社会論」の特異な展開をたどる。 非常に重厚で刺激的な著作である。 (以下は、内容紹介というより読んだ感想を書いてます。内容については、現物に当たってください。お勧めです。) ぼくはこのを読んで、たとえば自由主義(ロック)と共和主義(ルソー)がどういう風に対立するものかが、はじめて腑に落ちた。 自由主義は私的所有の原理にもとづく自由経済社会の思想で、その弊害を批判して自由の制限(譲渡)を唱

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    lotus3000 2011/06/11
  • 「復興」よりも「回復」を - Arisanのノート

    ちょうど年度終りにあたっていた31日には、ぼく個人としても、耳を疑うひどい決定・判決が相次いだ。 雇い止め:非常勤の再雇用を認めず 京大元職員の職業観に言及−−京都地裁 http://mainichi.jp/kansai/archive/news/2011/04/01/20110401ddn012040044000c.html 宮城県朝鮮学校へ補助金打ち切り http://skip.tbc-sendai.co.jp/01news_2/20110331_13396.htm こういうニュースが相次ぐのを目にすると、今回の大災害と原発事故の以前に存在していたこの日社会が、いかにでたらめで矛盾に満ちたものだったかを、あらためて思い出すことになる。 それは、ひとくちに言って、人間の存在をないがしろにする社会であり、端的にいえば差別的な社会ということだ。 もちろん、世界には、他にもっと差別的な社会も

    「復興」よりも「回復」を - Arisanのノート
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    lotus3000 2011/04/04