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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (76)

  • 『カルト資本主義』 - Arisanのノート

    カルト資主義 (文春文庫) 作者: 斎藤貴男出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2000/06メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 111回この商品を含むブログ (34件) を見る 斎藤貴男のこのが単行として出版されたのは、1997年のことらしい。その後、2000年になって、この文庫版が文春文庫から出た。 そのあとがきでも、すでに気配のあったことが書かれているが、日という国全体がすっかりカルト化してしまったとしか思えない今になって読むと、何とも言えない気持ちになるである。 以下、簡単に内容と感想をメモ。 導入部の第一章では、当時日を代表する世界的企業だったソニーの、超能力への関心が語られている。 次の第二章のなかに、当時流行していたいわゆるニューサイエンスに関して、その起源が、量子力学における、「客観性の否定」、観測者の重要性の強調、主体と客体の不可分性の主張、などの事柄

    『カルト資本主義』 - Arisanのノート
    lotus3000
    lotus3000 2018/12/20
  • 『ネオリベラリズムの精神分析』 - Arisanのノート

    ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書) 作者: 樫村愛子出版社/メーカー: 光文社発売日: 2007/08メディア: 新書購入: 7人 クリック: 172回この商品を含むブログ (80件) を見る この(特に前半)では、一般にたいていは批判的な意味をこめて「ネオリベラリズム」という言葉で語られる現在の社会のあり方が、「再帰性」と「恒常性」という二つの概念をキーワードにして論じられている。 「再帰性」というのは、書中では 自分自身を意識的に対象化し、メタレベルから反省的視点に立って自己を再構築していくこと。自律性をもって新しさを自ら生み出していくこと(p14) と定義されている。 一読して分かるように、「より高い再帰性を目指す」ということは、別にそれ自体が悪いことというわけではない。 では、無条件にいいことか、と聞かれると微妙だが、われわれは概ね「再帰

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  • 『大逆事件 死と生の群像』 - Arisanのノート

    きわめて重要な著作。いまの日を生きるうえで是非とも読むべきをあげろと言われたら、僕はノーマ・フィールドの『天皇の逝く国で』と並んで、この書物を推す。 大逆事件――死と生の群像 作者: 田中伸尚出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/05/29メディア: 単行 クリック: 16回この商品を含むブログ (8件) を見る このを読んでもっとも衝撃的だったのは、「大逆事件」と呼ばれる、日国家(政治・司法・マスコミ・民衆)による巨大な謀略事件が、決して、明治に起きた過去の出来事ではなく、現在進行中の事象であるという事実だ。 明治の末に起きた「大逆事件」とは、その質としては、社会主義思想の殲滅と、天皇を中心として戦争を行ないつづける国家体制の確立を主目的として、ほぼ全て警察・検察側の筋書きに沿って「共同謀議」がでっち上げられ、ほとんどがまったくの無実である26人が逮捕され、そのうち

    『大逆事件 死と生の群像』 - Arisanのノート
  • マンハイムのファシズム分析・その2 - Arisanのノート

    変革期における人間と社会―現代社会構造の研究 作者: カールマンハイム,Karl Mannheim,福武直出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1962/08/21メディア: 単行購入: 1人 クリック: 3回この商品を含むブログ (1件) を見る 先日書いたように、『イデオロギーとユートピア』ではマンハイムは主にイタリアのファシズムについて論じているわけだが、自身が1933年にナチスに追われてイギリスに亡命するなど、ドイツでのファシズムの高まりを前にして、考えを社会変革の実際的な方向へと大きく進めていかざるをえなくなった。 書『変革期における人間と社会』には、マンハイムのそうした論考が集められている。 ここでは、特にファシズムに関わる論述を何箇所か見てみよう。 社会の或る集団や階層が潜在的な非合理的衝動によって活気づけられるものであることは、われわれの常に知るところであるが、近年に

    マンハイムのファシズム分析・その2 - Arisanのノート
  • マンハイムのファシズム分析・その1 - Arisanのノート

    イデオロギーとユートピア (中公クラシックス) 作者: カールマンハイム,Karl Mannheim,高橋徹,徳永恂出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2006/02メディア: 新書購入: 1人 クリック: 34回この商品を含むブログ (12件) を見る この『イデオロギーとユートピア』というは、カール・マンハイムの著作の中でもっとも有名なものだろうが、いま大きな書店に行ってもすぐに手にすることの出来るマンハイムのは、これだけではないかと思う。 指摘されるように、実践的な面で小さからぬ限界があるとはいえ、現代社会の分析においてこれだけ卓越した仕事をした人のが、あまり読まれていないというのは、良くないことだと思う。是非、復権してほしいものだ。 なかでも、ファシズムについての彼の分析は、以下に書くように、驚倒するほどの鋭さと先見性に満ちていて、必読のものである。 このでファシズム

    マンハイムのファシズム分析・その1 - Arisanのノート
    lotus3000
    lotus3000 2015/07/22
    カール・マンハイムのファシズム論。これはかつてのアカデミズムと教養主義のなにが無力だったかにヒントになりそう。
  • 『不穏なるものたちの存在論』 - Arisanのノート

    [rakuten:booxstore:11491834:detail] 現代韓国のすぐれた思想家であり実践家である李珍景さんが書いたこのは、訳者の影剛さんから献してもらって、私には難しいところもあったが、たいへん大きな刺激を受けながら読んだ。 以下に書いた文章は、最後にかなり長い批判の部分を含むことになったとはいえ、それだけ多くのことを考えさせる力をもった書物だということを、明かしてもいるのである。そのことを、はじめに断っておきたい。 まず第一章では、書名になっている「不穏性」という概念について語られる。 「不穏なるものたち」は、資主義社会のシステムや(「自我」や「家族」や「体制」のような)規定の制度のなかで安定して生きている者たちに、不安と「反感的共感」を引き起こす。ここで例としてあげられるのは、大規模な組織力を持たなかったにも関わらず社会全体に「不穏な」効果(影響)をもたらした

    『不穏なるものたちの存在論』 - Arisanのノート
    lotus3000
    lotus3000 2015/06/01
    ”不穏なるものたちの存在論 人間ですらないもの、卑しいもの、取るに足らないものたちの価値と意味/李珍景/影本剛”
  • 養子と天皇 - Arisanのノート

    前回のエントリーだが、アップしたあとになってから、初めから終りまで「養子」というテーマをめぐって書いていたことに気がついた。 柄谷が『遊動論』のなかで書いていた「双系制」というのは、父系や母系に対置される用語で、平たくいえば、「家」という場を存続させることを第一義とし、そのための手段として養子をもらったり、婿養子をとったりすることを当然と考えるような、家族観だといえよう。これは、「血統」(一般的には父系)の正統的な存続を第一義とする家族観とは、異なるものだと考えられるのである。 柄谷は、この双系制を日の社会や文化の重要な制度的特徴だと考えているわけだ。 また、この双系制を強調していた頃の柄谷の著作では、漢字かな混用文における、漢字・カタカナ・ひらがなの使い分けによる対象の「区別」が、それに通じる日文化の特徴として語られていた。つまり、島国である日では、外来の文物を導入するにあたって、

    養子と天皇 - Arisanのノート
    lotus3000
    lotus3000 2015/05/31
    天皇制再考。場の思想の暗黒面。きっと前近代までは個の思想にすると脆かったんだろうな。
  • スターリンの「一国社会主義理論」 - Arisanのノート

    スターリン―政治的伝記 作者: I.ドイッチャー,上原和夫出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1984/07メディア: 単行この商品を含むブログを見る年末から体に不調があって、正月休みは遠出をせず、このを読んでいた。 それで、「第一巻」「第二巻」と分かれている「第一巻」の方を、三が日の間に読み終わった。 ちょっとメモ的に書いておく。 先に書いたように、著者のドイッチャーは「スターリンはなぜ成功したのか」という問いを立てているのだが、書の前半でスターリンが権力の中枢を握るようになった大きな理由としてあげられているのは、革命後のソ連の政治機構が、動乱のなかで革命を守護するという必要から、次第に独裁色を強め、巨大な官僚的機構にならざるを得なかったという背景である。 革命を救うため、党は独立心と批判精神と勇気を持つ革命家の自由な集まりでなくなってしまった。党の大部分はますます強力になって

    スターリンの「一国社会主義理論」 - Arisanのノート
  • 『権力への意志』 - Arisanのノート

    今年はニーチェを重点的に読むということを決めていて、つい最近も、ちくま学芸文庫の『権力への意志』を、えっちらおっちら読んでいた。 簡単に感想を書いておこう。 実は、その直前にマキアヴェリの『君主論』(中公クラシックス)を、これも初めて読んだ。その後でニーチェを読むと、彼がマキアヴェリからいかに多大な影響を受けたかということが、よく分かった。ニーチェの思想のなかで最も鮮烈な部分は、すべてマキアヴェリの影響であり、しかもマキアヴェリの力強さには達していないのではないか、そう思えるほどだ。 とは言っても、ニーチェの思想には大きな魅力がある。それはもちろん、ヨーロッパを支配するキリスト教道徳への挑戦であり、それを根幹として、「真理への信仰」や、自由主義、民主主義などの欺瞞性を告発し、解体していったことである。つまりは、それらが結局、「権力への意志」に根ざしているのだということを暴露した。 ちょうど

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  • スターリンを支えた世代 - Arisanのノート

    スターリン―政治的伝記 作者: I.ドイッチャー,上原和夫出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1984/07メディア: 単行この商品を含むブログを見る 引き続き、ドイッチャーの『スターリン』を読んでいく。 ところで今日、大型書店に行って岩波新書の棚を見てたら、この著者の『非ユダヤ的ユダヤ人』があった。いまだに読まれてるんだな。岩波新書の「ユダヤ人」関連では、このと、サルトルの『ユダヤ人』だけは、ずっとある。どちらも、日当によく読まれた時期というのは、僕は知らないんだけど。 ドイッチャーの代表作のトロツキー三部作は、あの小沢一郎も若い頃に読んだというぐらいだから、日でも左翼を中心に広く読まれた著者だったのだろうが。 さて、こののなかでドイッチャーはこんな問いを立てている。 スターリンは、その(革命後の)恐怖政治の故に、フランス革命時のロベスピエールに比されることが多い。だが

    スターリンを支えた世代 - Arisanのノート
    lotus3000
    lotus3000 2014/03/04
    スターリンを支えた世代。
  • 久野収のファシズム論・その1 - Arisanのノート

    最近、哲学者久野収が残したファシズム関連の文章をいくつか読んだ。 安倍政権が議会で絶対多数を握ってしまった今になってこんなことを書くのに、どれほどの意味があるか分からないのだが、ともかくそのなかで、とくに印象に残ったことを書いておきたい。 読んだものの一つは、岩波現代文庫の『久野収セレクション』に入っている、「ファシズムの価値意識」という1957年の論考。 久野収セレクション (岩波現代文庫) 作者: 久野収,佐高信出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/05/15メディア: 文庫 クリック: 1回この商品を含むブログ (1件) を見る 久野は後に、ライヒの『階級意識とは何か』を翻訳することになるのだが、ここではそのライヒなどの分析を援用しながら、ドイツのファシズムを考察している。 前半に書いてあることは、なぜ社会民主党や共産党のような左翼勢力が大衆を味方につけることが出来ず、ナチ

    久野収のファシズム論・その1 - Arisanのノート
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    lotus3000 2014/03/04
    このあるプロレスファンの洞察は素晴らしい。多分これ左右同時に発生している部分があるのではないのか。
  • 非歴史的な態度 - Arisanのノート

    風知草:グローバルの壁=山田孝男 http://mainichi.jp/opinion/news/20130520ddm003070103000c.html この記事を読むと、今回の一連の橋下発言に対する内外からの抗議・批判が、日政治家や大衆のなかに、どのような反応を生じさせたかがよく分る。 それは、『「慰安婦」制度は必要だった』という橋下の発言内容を「口にするべきではない真実」として内輪で密かに共有することによって、強者(アメリカ)への従属という処世上の要請と、新自由主義的な社会に適合した狭小で排他的な国民的自己意識(プライド)の確保という欲求との、両立を図ろうとする退行的な態度である。 端的に言ってしまえば、この社会の大勢が今回の出来事から学んだのは、こういう姑息な逃げ道を作ることだけだったのだ。 安倍首相は橋下発言に関して、「自分たちの立場とは違う」というようなことを言ったが、そ

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    lotus3000 2013/05/22
  • 宮沢賢治『毒もみのすきな署長さん』 - Arisanのノート

    宮沢賢治全集〈6〉 (ちくま文庫) 作者: 宮沢賢治出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 1986/05/01メディア: 文庫 クリック: 14回この商品を含むブログ (7件) を見る 宮沢賢治の童話のなかでも、この作品は語られることが少ない。 ちょっと変わった話である。 西域か中央アジアのあたりを彷彿とさせるプハラという国(町)には、次のような法律があった。 「火薬を使って鳥をとってはなりません、 毒もみをして魚をとってはなりません。」 毒もみというのは、木の皮と木炭を混ぜたものを水中にもみだすことで、これをやると魚はみな毒を飲んで死んでしまい、水面に腹を出して浮かんでくるのである。 そこで、この漁法を取り締まることが、この土地の警察の重要な職務になっていた。 ところが、この町に新任の警察署長がやってきてから間もなく、この町の河で毒もみを使って漁をするものがあらわれる。 はじめ署長は熱心

  • 国家による暴力の論理への抵抗を - Arisanのノート

    さる24日日曜日、大阪市内で行われた「朝鮮学校ええじゃないか!春のモア・パレード」に参加した。 これは、朝鮮学校への「高校無償化」適用や、自治体補助金の再開・復活を求めて、行われた集会とパレード(デモ)で、朝鮮学校の学生や関係者、それを支援する人たちなど2000人近くが参加して行われたもの。 パレードは扇町公園を出発して西梅田公園の解散というコースであったが、まずその終盤近くに起きた出来事について書く。 僕は全体の前の方の隊列に居たのだが、西梅田公園に入るとすぐに、大音量のスピーカーで「朝鮮人」を口汚く罵倒する車が何台か(はじめは2台、その後他にも現れたようだ)公園横の道路に現れ、公園内は騒然となった。 この日は、御堂筋で「日韓断交」を趣旨にしているらしい排外主義団体のデモ行進が行われ、さらに夕方からは梅田のJR大阪駅前で街宣が行われる予定だった。それらに参加するのであろう人々によるパレー

    国家による暴力の論理への抵抗を - Arisanのノート
  • 鶴橋の排外デモ・水路を開く者 - Arisanのノート

    自分は行けなかったので、詳細が分からないのだが、24日日曜日に、大阪の鶴橋で在特会によるかなりの規模(100人ぐらいという説もあるが、もっと多かったのかも)の排外デモがあり、それに対する有志による抗議の行動も行われたそうだ。 抗議行動に参加した方たちには、心から賞賛とお礼の言葉を送りたい。 この日のデモでは、「朝鮮人」という言葉が大声で連呼され、ゴキブリ殺せとか、死ねとかいうような絶叫がそれに重ねて繰り返されてたらしい。 ヘイトスピーチとか言葉の暴力といった言い方さえふさわしくないような、直接的な憎悪と脅迫の撒き散らしである。 最近は東京の新大久保でも、同様の在特会など排外主義者によるデモが、毎週だか毎月だか行われていて、やはり「朝鮮人を殺せ」だとか「ガス室に送れ」だのというシュプレヒコールやプラカードが掲げられ、コリアタウンの営業にも大きな支障が出ていると聞いていたが、東京に比べるとこう

    鶴橋の排外デモ・水路を開く者 - Arisanのノート
  • 軍事と日常 - Arisanのノート

    数日前の記事になるが、これはやはり考えさせられる内容だった。 広島・海自隊員死亡:「自分は意識飛んだ」元同僚証言 相手16人に教官「手抜くな」 http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2008/10/18/20081018dde041040032000c.html 教官の言葉や「訓練」の実態、それに死亡者を出した今回の場合、武道経験があまりない隊員にこのような「訓練」を課したという事実のひどさに、あらためて衝撃を受けるが、それ以上に、同様の経験をして怪我をしたという「元同僚」の次のような言葉。 一方で「集団暴行・リンチ」などと報道されていることに違和感があるという。「部隊の特性上、課程を終えた同期生たちは日々、『死』を覚悟して生きていくことになる。一般の人には分かってもらえないかもしれないが、同期生らが去っていく私に真剣に付き合ってくれてう

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  • 大阪の弾圧行為に救援を - Arisanのノート

    すでにご存知の方が多いと思うが、13日火曜日の午後、大阪市でまた、原発・瓦礫拡散反対運動に関わる不当逮捕があった。今回は、四人が一挙に逮捕された。 大阪市がごり押しを進めてきたあげく、おざなりのように開いた「住民説明会」の直前の出来事である。 http://occupyosaka.net/archives/55 逮捕された四人は、いずれも運動のなかで重要な役割を果していた人たちであり、また大勢居た現場の人たちの中から、上司らしい警官が「こいつと、こいつ」と指差している姿が動画に収められていることから判断しても、不退去や公務執行妨害を口実にした「狙い撃ち」の計画的弾圧だったことは明らかだと思われる。 http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-973.html http://www.ustream.tv/recorded/26960730 http://w

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    lotus3000 2012/11/15
  • AKBじゃんけん大会に見る、我らの競争と戦争 - Arisanのノート

    ちょうど尖閣諸島に中国の大船団が来るというガセネタで日中が浮き足立ってる頃であったが、テレビで3時間の生中継、田原総一郎氏を解説者に招いてAKBの大じゃんけん大会をやっていた。 ぼくはAKBの番組はよく見てる方だと思うが、さすがにこの企画はちょっと空恐ろしいものを感じた(「総選挙」とかも大嫌いである)ので、ツイッター(@yousaymale)でつぶやいたりもしながら、その空恐ろしさの中味を考えてみた。 以下二つが、呟いたこと。 AKBのじゃんけん大会って、凄いなあ。「努力など無意味で、結果は偶然でしか決まらない」という非人間的な現実を、全身全霊で肯定する姿勢の賛美。その理由は、国家や社会がそれを望んでるからだろう。個人の意志や営為の全否定。「デモの暴徒化」などより、こっちの方がはるかに戦争に近いと思う。 昨日書いたAKBのじゃんけん大会。要は、一生懸命努力(献身)することは絶対に要請され

    AKBじゃんけん大会に見る、我らの競争と戦争 - Arisanのノート
  • 犠牲に供されるもの - Arisanのノート

    原発での給水作業やその他の作業はすすめられており、このまま最悪の状況の回避がもたらされるのであれば、そのこと自体は、喜ばしいとしか言いようがない。決して「最悪の状況」がもたらされてはならない。そう思う。 もちろん、作業によって死傷したり被曝している人たちの存在は、無視も正当化も美化もされてはならない事実として、目の前にある。 何度も繰り返すが、原発の存在は、それが「正常」に稼動している日常から、こうした現場の労働者や周辺住民の「犠牲」のうえにしか成立しないものであると思う。まして、このような大事故が起これば、なおさらそのことが露呈する。 最も基的なことを言えば、「想定」では自然などの現実には対処できない部分が残る。その現実が起きたとき、「想定外だった」と言ってすませるには、核エネルギーはあまりにも破壊的でありすぎるのだ。異常が起きたときに制御できないような力を、われわれは利用しようとして

    犠牲に供されるもの - Arisanのノート
  • 「憎悪する権利」その他 - Arisanのノート

    きのうのエントリーの内容について、ある方から批判のメールをいただいた。個人的によく知っていて、とても信頼している方である。 ここに内容を詳しく書けないのだが、それは、とくに次の一節に関する批判だった。 抑圧や差別を被っている者には、抑圧してくるマジョリティーの集団や社会一般を憎悪する権利があるのだ。なぜなら、抑圧される側は、「抑圧される集団の一員である」というだけの理由で現に苦しめられているのだから。 この部分は、『越境の時』を読んでいて、自分が一番衝撃を受けた箇所について考えるなかから出てきた文章であり、書くまでにかなり心の揺れがあった。結果としてこう書いたわけだが、いま思うととくに「憎悪する権利」という表現は、あまりよくなかったかもしれない。 というのは、この表現では人が「憎悪」という感情を持つことにポジティブな意味があるかのように思えてしまうからだ。 ぼくが言いたかったのは、追い込ま

    「憎悪する権利」その他 - Arisanのノート
    lotus3000
    lotus3000 2012/09/01
    この問題は考える必要はある。