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ブックマーク / crowserpent.hatenablog.com (8)

  • 「非モテ」は如何にしてミソジニーに陥ったのか? - 烏蛇ノート

    非モテ」を自称する人達がその実「モテない」のではなく「恋愛や性を恐怖・嫌悪している」のだ、ということは前回も述べましたが、このことはなかなか理解されにくいことでもあります。 シロクマ氏のこの記事などを見ると、「恋愛の忌避」という視点がすっぽり抜け落ちていることが分かるでしょう。 彼らのモテ/非モテ関連のテキストや議論には、 * 自分がいかに異性を評価するのか(好みの異性含む) * 自分が恋に落ちるのはどういう時か * 恋した時、これから自分は何をするのか * 異性に実際にアプローチするための方法論 といった、能動的に対象に働きかける事に関する議論が滅多にみられないのだ。 「恋愛の忌避」を前提に考えれば、これらは別に不思議なことでもなんでもありません(ハザマ氏によって同様の指摘がされています)。これが分からなかったということは、シロクマ氏には「恋愛の忌避」という発想ができなかったんです。恋

    lotus3000
    lotus3000 2016/04/09
    オタクのミソジニーに対する考察。10年前の記事。
  • 2015-05-31

    フェミニズムが弱者男性を弾圧・抑圧している」という議論とそれへの反論が話題になっています。この議論そのものは以前からみられるものですが、大きく話題になったのはこのまとめからでしょうか。途中までの流れは司馬光氏の記事にまとめられています。 最初のまとめの主題は「生活困窮する高齢男性」ですが、「困窮する高齢男性へのケアの方法論」といった問題はフェミニズム批判している側の主な論点にはなっていないようです。フェミニストであるfont-da氏の「弱者男性のケア」についての記事は、「弱者男性の不満は『ケア役割』の女性が自分に配分されないことではないか」と推測した点が「藁人形論法」であるとして批判されましたが(これが見当違いの推測であることは確かだと思います)、ケアの方法論などについての批判や提案はほとんど見られませんでした。 司馬光氏はフェミニズム批判の内実について次のように述べています。 何故弱者

    2015-05-31
    lotus3000
    lotus3000 2015/06/02
    ”「ある側面における『弱者』の対抗権力の強化が、別の側面からみた『弱者』に対する圧力になる」という問題です。”ちなみにフェミニズムはその過程で生まれた典型的例。
  • 天賦人権説(あるいは自然権)の否定は何が問題なのか? - 烏蛇ノート

    衆議院選挙を間近に控えて、自民党の憲法改正案が話題になっています。 その中で、自民党の参議院議員片山さつき氏の次の発言が特に問題になりました。 国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました! 片山さつき on Twitter これに対し、「天賦人権論の否定なんて言語道断だ」という反応がある一方で、「天賦人権論なんておかしい、片山議員は正しい」という反論も複数出てきました。Twitter上での議論は既にかなりの量に上っています。以下のリストは私の目に付いたTogetterによる議論まとめを列挙したものですが、全部を網羅できてはいません。 自民党が公式に国民の基的人権を否定し、さらに改憲案で日

    天賦人権説(あるいは自然権)の否定は何が問題なのか? - 烏蛇ノート
  • インターネットは、他の何かの代わりじゃない。 - 烏蛇ノート

    このところ、完全にネット上での活動がTwitterに移ってしまって、放置状態が続いている当「烏蛇ノート」ですが、とあるブログの文章に刺激されて久しぶりに書いてみようと思いました。 僕は悲しい。とても悲しい。 インターネットで生じている事実が事実として伝えられない。 岡田有花なる人物の手により、全ての記憶が改変されてゆく。努力とか継続とかいう些細で美しい自己啓発と、インターネットという未来が生んだ魔法のブラックボックスにより、全ての事実は抹殺されてゆく。歴史は書き換えられ、僕達1人1人が真実の心を持って懸命に生きてきたインターネットが汚されてゆく。いや、浄化されて行く。美しいものへと。素晴らしいものへと。小さく儚い、それでいて強い美談へと改変されてゆく。 普通の女子大生は、Google+で「日一」になんかなっちゃいない。 - 真性引き篭もり 「真性引き篭もり」というブログは、ブロゴスフィア

    インターネットは、他の何かの代わりじゃない。 - 烏蛇ノート
  • 性規範と「差別の内面化」 - 烏蛇ノート

    前回の記事を受けてのBLUE PINK氏の記事への返答です。 自分が普通の人間だと思っている人は自分が普通の幸福が得られないことをそう簡単に納得できない。これ自体、他人に暴言吐いたりしない限り悪いことじゃない。 もちろん納得できればちょっとは幸せになれるでしょう。でもそれを普通の幸福を享受する人間から言われたら余計こじれるだけ。じゃあ、てめぇも同じ状況になってみろよ、と。 性規範から自由になれ、っていう前に、まずその規範が与える強迫性を考えるべき。「恋愛男女間が当たり前」という性規範に漏れたゲイなんかに、「男女恋愛に固執するから不幸なんだよ。すなおに今の状態を受け入れることでもっと自由になれるよ」なんていったら怒るだけでしょう。受け入れずらくしてるのは誰なんだよ、と。 規範が与える強迫性というものは確かにあるでしょう。そして、それが「規範に従わなければ社会的承認を与えない」という形でな

    性規範と「差別の内面化」 - 烏蛇ノート
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    lotus3000 2011/09/27
  • 「臆病さ」の背後にみえる「恋愛の規範性」 - 烏蛇ノート

    前回の記事と関連して、転叫院氏が「草系男子」に関する話題に言及しておられる記事が面白いので、ちょっと取り上げてみます。 当のところこの21世紀に起こっているのは、リスクが可視化されたことによって、男性の側に自己防衛する選択肢が与えられた、ということだと思う。 つまり、「異性に対して積極的でない男性」の次の一手は、虚勢を張ったり「自分は優しすぎるから」などとエゴイズムを正当化したりすることではなく、「勇気を持たないのは正しいリスク低減である!」と言うことだと思うのだよね。 男女交際の社会的リスクはまず3点。民事訴訟の対象となるリスク、刑事訴訟の対象となるリスク、社会的信用を失墜させるリスク。これらのリスクが後期近代において可視化されたことにより、「積極的に異性に働きかけない」という形でのリスクヘッジも可能となった。これが欧米とかだと"rule girls"みたいな形で現れる。これは保険や

    「臆病さ」の背後にみえる「恋愛の規範性」 - 烏蛇ノート
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    lotus3000 2011/09/24
  • 「非モテ」の変質と電波男 - 烏蛇ノート

    だいぶ間が空きましたが、前回の続きはひとまず置いて別の話を。 引用は2chのネットウォッチ板からです。 938 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー![sage] 投稿日:2006/01/28(土) 10:48:35 ID:8LkrQ/sV 非モテって言葉の源流はそりゃあ「ろじぱら」あたりのネタ系テキストサイトなんだけど、 少なくとも今のネットは電波男以前からああいうのが人気を得れる時代ではとっくになくなってる。 当時はエロゲレビューとかやってるサイトがネット大衆文化の主流派大人気サイトになれたんだぜ。 そんでその後の非モテ系は細る一方だったじゃん。今とは時代が違いすぎる。 そもそも、ああいう自虐ネタの発達はネットにいるのが男ばっかりだからこそ実は成り立ってた。 2chでも、「ネカマ?」って切り返しが当たり前に通用した世界。 女の音がそのままblogなどで垂れ流され、2chも女率が

    lotus3000
    lotus3000 2011/08/17
  • 「生物学的」という詐術 - 烏蛇ノート

    急遽はてなダイアリーを立ち上げてみました。以下はこちらの記事及びそのコメント欄への反論になります。 極論をすると、「その価値を安易に否定するとひどい副作用をともなうことがあるような性質の価値基準が存在する」ということさえはっきりすれば、それが生物学的要因によるかどうかは比較的どうでもいいんですね。別の原因から、そうなる、という結論でも、ぜんぜんかまわない。そこは比較的枝葉末節な部分なんですよ。 そうであるならば、何故それが「いかにも生物学に基づいて証明されていると誤読させるような」書き方をされるのでしょうか? これが問題なんですよ。 この記事の前提となっている前の記事を参照すると、「人間力と誠実さと知性を兼ね備えた男の方が、お洒落な男よりモテるように『人間の能』は出来ているはずであり、それに反すると『ひどい副作用』を招く」(大意)と述べられています。これはどこをどう読んでも、生物学を論拠

    「生物学的」という詐術 - 烏蛇ノート
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