レーン夫妻は2年後、捕虜交換船で帰国したが、出迎えた娘は、痩せこけて廃人のようになった両親を見たとたん気絶したという。 宮沢さんも終戦から2ヵ月後に釈放されたが、極寒の網走刑務所で健康を破壊し尽くされ、昭和22年2月に結核のため27歳の若さで死亡した。 この事件は、軍機法違反の罪名や起訴内容が家族にも知らされずに秘密裁判が行われ、闇から闇へ葬られた。詳しい内容がわかったのは'90年代に地裁判決の全文が見つかってからだ。主な容疑は「宮沢さんが旅先で偶然見かけた根室の海軍飛行場の話を友人のレーン夫妻にした」ことだった。 実は、この根室の海軍飛行場の存在は、昭和6年に米人飛行士リンドバーグが北太平洋航路調査の途中で着陸したとき、新聞で大きく報じられていた。 しかし、公知の事実も当局の一存で重大秘密となる。帝国議会の議員らの不安はことごとく現実のものとなり、「不法の手段でなければ探知・収集できない
