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ブックマーク / kananaka.hateblo.jp (16)

  • 火熾す女。 - kananaka's blog

    久々の更新および新年のご挨拶も抜きの失礼を顧みず、2009.11.04『柿編む女』、2010.02,03『醸す女』、2010.11.10『漬ける女』に続く、「〇〇する女」シリーズ第四弾として、今日は我が家の七輪を語ってみたい。 未使用時は古新聞にくるまれ鎮座するその姿に、引越業者に「これ、何ですか?」と奇異な眼差しを向けられたことも数知れず。好奇心旺盛な友人どもには「嫁入り道具」の一言で済ませてきたが、育ての母に譲ってもらって以来、日列島を北から南まで共にしてきたそれは、私の人生において「嫁入り道具」以上の価値をもつ。 四年前(だったか?)の引越貨物+まだあどけなさの残る倉庫番。 問題のブツは矢印の先。 おや、後の都知事のお姿が…^^; 一体いつの古新聞ダ? 「七輪を持ってる」ましてや「フツーに使ってる」と言うと同年代の友人には驚かれるが、使い慣れている身にはなんのことはない、ガスコンロ

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  • なゐふるに記す。 - kananaka's blog

    今週のお題東北地方太平洋沖地震 大地は震え揺らぎ、海は湧きたち、船は互いに打ち合い、家々は崩れ落ち、数々の寺塔はその上に重なり倒れた。王宮の一部は海に呑まれ、裂けた大地は焔を吐くかに見えた。それは、廃墟のいたるところに煙と火焔が現れたからである。 一瞬前に平和に楽しく生きていた六万の人々がいっせいに滅亡していった。この災禍を知覚する感覚も意識も失ってしまった人こそ、最も幸福な人ということができる。火焔は狂いつづけ、同時にこれまで隠れていた乃至はこの変事により解放された罪人の一群が暴れ回った。生き残った不幸な人々は、掠奪、殺戮、あらゆる暴行虐待にさらされた。 そしてこの突発した災厄の広汎にわたる影響について、あらゆる方面からいよいよ多くの詳密な報告が到着するにつけ、他人の不幸によって揺り動かされた人心は、自分自身や自分の家族の者に対する憂慮のためにいっそう悩まされた。まことに、恐怖の悪霊がか

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  • 世界で一番小さな海。 - kananaka's blog

    物語はいつも、呆気ないほど微小なかすり傷から始まるものだ。けれど、それが当にただの<擦り傷>か、あるいは癒えかけた<古傷>の疼きか、それとも真皮に達する新たな<深手>であるか知るのには、少しの時間が必要である。少なくとも私の場合は、そうだった。幼いときから、今になるまでずっと変わらずに。今宵、ここにしたためるエピソードにおいても、それは同じ。深夜の緊急連絡を受けたとき、私は不謹慎にも「あら、終に…」と小さな笑い声すらあげたのだから。 そのとき私は、熊(ぱんだ)柄のダンボールが堆積する深山の奥で草臥れ果て*1、折しも発掘した一冊の句集を読み耽っていた。タイトルは『癌め』(江國 滋、角川書店 (1999/04) )。 作家であり評論家であり俳人でもあった江國は、検診で堂癌の告知を受け、癌センターへ入院。十時間余りの大手術、水一滴飲めぬ苦しさを越え、最期を迎えるまでの半年(187日)間に、

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  • ヌコにもマツタケ。 - kananaka's blog

    庭先でこぼれんばかりに咲き誇るキンモクセイの芳香が、秋の深まりを告げている。そういえば最近、澄み渡る秋の空を見ていない。理由は単純、頭上を木立に覆われたアカマツ林の中、筆者が足元ばかり見て歩いているせいである。 「花より団子」とはよく言ったもの、今年も山の手の我が家にキノコの季節がやってきた。盛夏を過ぎ、朝晩の最低気温が10度を下回り始めれば、山仲間たち(含・筆者)は一斉にそわそわ、「出るだろうか」「出たらしいぞ」の噂が飛び交い始める。何が「出た」かって?―――勿論、キノコの王様・マツタケである。 今年の夏は、気象庁もお墨付きの「異常気象」だった。七月の降水量こそ多かったものの、八月は連日の真夏日を記録。そして、肝心のキノコの生育に影響を及ぼす降水量は平年の三分の一程度しかなかった。近年稀に見るマツタケの凶作年となった昨年と比して、決して楽観できる状況ではない。 ところが待ちかねたシーズン

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    makamaka_at_donzoko
    makamaka_at_donzoko 2010/10/19
    新しい諺の誕生
  • 道在雑草中。 - kananaka's blog

    今週のお題:あの人のブログが読みたい! カモシカが撃たれたらしい。 そんな第一報が飛び込んできたのは、ちょうどお昼時。同僚の畑で採れた茄子と、筆者が山中採取した自生の茗荷入り味噌汁が、職員に配られた時のことだった。 「どこで?」 すかさず返した耳に飛び込んできた地名に、心臓がきゅっと竦んだ。―――「あの仔」かもしれない。 「でも、ニホンカモシカって猟っちゃいけないんじゃ?」 「いや、あの人は(狩猟)許可取ってるから」 ニホンカモシカ(日羚羊、学名:Capricornis crispus)は、日中国地方を除く州、四国、九州の低山帯から亜高山帯にかけて棲息する、日固有種である。日中国交正常化に際し、パンダのお礼として中国へ雌雄1頭ずつが贈られたことでも知られ、宮崎駿の『もののけ姫』に登場する森の神「シシ神*1」のモチーフにもなった。毛皮と角の採取を目的に乱獲され、一時生息数を激減させ

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  • 海の向うの春便り。 - kananaka's blog

    日の主役。柘榴石を想わせる暗紅色が美しい。 以前、筆者が勤務していた職場は、世界各国のべ物が定期的に届く天国だった。春は米国西海岸発のアメリカンチェリーに、ハンガリー産のアカシアハチミツ*1、夏場はマレーシア発の果物の王様・巨大ドリアン、シンガポール発の洋蘭の花束*2、クリスマスはベルギーの某高級チョコレート、ドバイ発ナツメヤシやイチジクのドライフルーツ、それらが社員に行き渡るべく巨大なカートンで幾つも届く*3。どうやら今年も彼の地からの贈り物は無事届いたようで、かつての悪友がお裾分けを兼ねて当家を訪ねてくれたのは、月日を遡ること二カ月前、まだ世間がGWの頃だった。 その頃、筆者はとある事情*4につき、非常に果実に飢えていた。ただでさえ喉を通るものが限られているくせに、嗜好が何故か変遷する。当初はおにぎりならべられた。続いてひたすらレタスサンドの波が来て、お次は来る日も来る日も紅生姜

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  • 結ぶこころ 繋がるいのち。 - kananaka's blog

    今週のお題:○○料理が好き! かつて母が母であった頃、彼女が子供たちのために結んだおむすびは、冷えてなお、ほっこり温(ぬく)かった。行方知れずとなった父母に代って、老いた育ての母が持たせたおむすびは、ほんのり越後の海の味がした。生れて初めて自分で丸めたおむすびは、呆れるほど歪(いびつ)で握りも甘い代物だったけれど、泥団子つくりの名人を小さな料理人へ変えた瞬間となった。田美奈子と同じ病で此の世を去った恋人が、いつか元気になったとき最初にべたいと望んだのも、「おむすび」だった。定番のシャケやタラコを中に詰め、外側をしっかり海苔で包(くる)む、漆黒のおむすび*1だった。 べ終った駅弁の外側を再利用したおむすび弁当。 改札を抜けると、手作りおむすびの店舗が目に入った。大きな切出し窓の向こうで白衣の男性店員が2名、かたち良く飯を結んでゆく。職人的な繊細な指さばきが、店内の視線を集めていた。 ひ

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    makamaka_at_donzoko
    makamaka_at_donzoko 2010/06/17
    けんさんやきとおむすび
  • 贅沢は敵か。 - kananaka日和

    今週のお題:この春、買ったもの、欲しいもの 物欲に見限られて久しい。自分から意識的に距離を置いたというより、欲望の方から拒絶されたような鈍い疎外感がある。投げ込まれたバーゲン広告がどこか空々しく、同僚のバーゲン武勇談に返す相槌は見事なくらいに上滑る。近づく春の気配に沸く*1街を徘徊しても自分のための一軒が見つからず、無駄にくたびれ帰宅する。だから、ますます足が遠のく。獲物あってこそのハンティング、やはりワタシには山がお似合いのようだ。 自分の腕からも金が生みだせることに気づいた十代、二十代は、欲しいものだらけだった。ヴィトンのバッグ、プラダのお財布、シャネルの香水、ティファニーの指輪。あの頃は、それらを手にすることが、自分を少し格上のオトナの女にしてくれると信じて疑わなかった。そんな熱病に浮かされた時代が過ぎれば、そういう一点あるいは全点豪華主義的贅沢さが逆に貧しい気がしてしまって、目に見

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  • 寒牡丹に春の音。 - kananaka's blog

    執務中に銃声が響く職場というのは、勤め先として割と珍しい部類に入るのではなかろうか。そんな県内の鳥獣狩猟期間も先月中旬を目処に幕を閉じ、ようやく職場に平穏が戻った今日この頃(ただし昨今の著しい農業被害抑制のため、今年もニホンジカとイノシシのワナ猟に限って、狩猟期間は三月半ばまで延長された。)。材調達に裏山に出没する私の日課を知り尽くす同僚から「頼むから撃たれないでね」と拝み倒された数か月だったが、こればかりはハンターに気をつけてもらうしかない。あ、猟のある日を事前に連絡頂いたり、誤射防止のための派手な着衣を購入、ハンターが車を乗り付ける定位置のチェック程度の対策はしておりましたので、ご安心を^^; 春は迷うように 臆するように 近づいて。 左は連日採れる旬の材。鮮度が落ちるほどエグミが強くなるため、毎日べ切れる分だけを少量調達している。 日当たりのいい山肌にぽこりぽこり顔を覗かせるフ

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    makamaka_at_donzoko 2010/03/18
    ほぅぅ
  • 続・春になれば苺を摘みに。 - kananaka's blog

    2月17日付はてなブックマークニュース『シロップ煮やジャムはいかが?春の「いちご」をもっと楽しもう』の記事にて、拙エントリ『春になれば苺を摘みに』をご紹介いただいた。実は先のエントリでは、一記事あたりのボリュームを抑えるため、苺ジャムレシピについての公開を先延ばしにしていた*1ため、ご紹介記事のタイトルに添えるよう、これでも精一杯、絶不調の愛機*2に鞭打って、エントリを入力していたりする^^; 先日、開店してまだ間もないコンフィチュール専門店があると聞き及び、さっそく情報提供者と共に足を運んだ。目的はただ一つ、新しいレシピに向けてのアイディア入手。色とりどりの可愛らしい瓶詰めを前に、連れ共々ひとしきり嬌声をあげ、興奮冷めやらぬひと時を過ごした後、ふと「そもそも、コンフィチュールとは何ぞ」の疑問がムラムラ沸き起って来た。さっそく品定め中の連れに疑問をぶつけたところ、「それ、ジャムのオサレな

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  • さみしくなると言ってみる。 - kananaka's blog

    「コイデ」は、ネコである。名に格別の意味はない。「コイデ 03-xxxx-xxxx」と達筆で記された首輪をかけていたので、それがそのまま通称となった。「コイデ」が他所でどう呼ばれていたかは知らない。「コイデ」は色々な家庭に上がり込んでは家人の歓待を欲しいままにする、地域でも有名なアイドルネコだったから、幾つもの源氏名を使い分けていても不思議はないのだ。 もともと「コイデ」は他所(よそ)の家のネコである。正確にいえば、<コイデさん家(ち)のネコ>である。とはいえ、コイデ家においても、固有の名があったわけではない。小さな庭つきの一軒家で晩年を過ごすおんな主(あるじ)であるコイデさんは、たくさんのネコに囲まれて暮らしており、一匹一匹のこまやかなケアにまで手が回らなかった。コイデ家のネコたちは避妊手術を施された後、共通の出自を首元に明記され、あるものは「外ネコ」の道に戻るべく旅に出て、あるものは一

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  • 醸す女。(一部ブクマにお返事を追記) - kananaka's blog

    今週のお題:好きな調味料 ひとり暮らしを始めて以来、味噌仕込みは長く我が家の年中行事だった。昔から味噌作りは「寒仕込み」と言って、雑菌が繁殖しにくい1〜2月、つまり今がちょうど仕込みの時期に当たる*1。待ちに待った仕込みの日には、朝から豆の炊ける香りが家じゅうに立込める。足許に目を落とせば、この日に備えて、よく洗い乾かしておいた年代物の仕込桶や重石が、持ち主ともども期待に満ち満ちて、塩や麹を丹念にまぶされたタネが叩きこまれるのを待ち構えている。手仕込みの味噌は「美味しくて黴ないお味噌」と友人の間でも評判で、たっぷりのお出汁に溶いて頂く味噌汁は「手前味噌」のことばを返上する程に、とびきりの出来栄えであった。 そういえば、生まれて初めて手に入れたキッチンは、ひどく狭かった。ガスコンロは小さな口がひとつあるきりで火力も弱く、電子レンジはもちろん、電気釜さえない。流しは鍋ひとつ洗うにも苦労するほど

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  • 冬物語 雪語り: vol.1 しづかな蒼い雪あかり - kananaka's blog

    今週のお題:雪の日の思い出 「先生は、どちらのご出身ですか?」 昨日までの晴天は何処へやら、今日の東京は一転、雪やみぞれ混じりの生憎の空模様となった。朝のニュースは、予報士たちが口々に「三寒四温」だの「南岸低気圧」だのの解説に忙しい。戸外の冷気から柔らかく遮断されたカフェの一角で、雪の思い出を語り始めた恩師に、思わず尋ねた。 「新潟ですよ」 ワタシと母娘ほども年の差のある先生は、雪片の舞う窓外に向けていた視線を戻し微笑む。 「実際に住んでた期間は、そう長くはないんです。でもね、"ふるさと"と言われて思い出すのは、やはりあの雪国と冬の日海かしら」 関東平野より外の世界で暮らしたことのないワタシにとって、雪国の情景はスクリーンやディスプレイの向うに眺める、遠い世界の出来事に過ぎない。代わりに、辛うじて自分の生活と接点がある海、――「海」という呼称が適切かどうかは甚だ疑問だが――冬の東京湾を、

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    makamaka_at_donzoko
    makamaka_at_donzoko 2010/01/18
    "冬の越後平野"
  • 雪ぶどうのマリアージュ。 - kananaka's blog

    きのこと果物の美味い秋が過ぎ、季節は山眠る師走。来この季節は、ジャム師にとって骨休めの時期である*1。次の格始動の目安は、値を下げた苺、寒さが緩んでボケ始めた林檎が出回る晩冬〜早春。大量のジャム作りに備え、季節を問わず土鍋が登場する我が家でも、そろそろ土鍋が土鍋来の調理器具に復職できる季節となったわけだ。 そんなある日の昼休み、<カモ(またの名をブログの影の功労者・果樹園農家の後継氏*2。)>が<ネギ>を背負ってやって来た――もとい、いらっしゃった。 「冬ぶどうがあるんだっけぇ*3。―――要る?」 「要る!」 いつものごとく、二つ返事で商談は成立。相手も心得たもので、すかさず<ネギ>を差し出て寄こす。いちいち喜びと驚きを隠さない(隠せない)私の反応が、最近彼の娯楽と化しているんだそうだが、そんなモンはジロジロ観察せんでヨロシイ(汗) いそいそ包みを覗き込んでみると、暗紫色に輝く立派

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  • 「クズどもを追い払ってください」 - kananaka's blog

    「男って言うのはな」 「女ってね」 酔ってもいないのに語り始める人がいる。何故だかこちらを諭すように。 「男はプライドが高いんだから立ててあげないと」 「女の幸せは結婚だ」 「男は不器用なんだ」 「女は恋に生きる生き物だ」 ブラウン管の中のキャスターも、当たり前のように言う 「世の男性は必見」 「女性なら誰もが」 そこに語られている「男」って「女」って、誰だ? その人がそう思うのは構わない。企業がマーケティング戦略を立てることは否定しない。けれど、それを何処にも彼処にも応用し、一般化しないで欲しい。「一般化できる」と受け手に錯覚させないで欲しい。刷り込みしないでほしい。 テレビを見ないため最近の事情は知らないが、ひと昔前は主夫あるいは男性看護士を取扱うドラマや映画にさえ、幼い子どもに向かって「男の子でしょ」と、ことばを投げる大人が登場した。それが物語のアンチテーゼやアイロニーとして使われて

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  • 続・山の手レストラン -えむの食卓- - kananaka's blog

    今週のお題:いま無性にべたいもの 霜月に入って最初の週末、私は相も変わらず山にいた。きのこ栽培農家のご主人が昨年亡くなって以来、荒れ放題・伸び放題で放置されていた跡地を好きになさってくださいとの、採集生活者にとって垂涎の依頼が舞込んだためだ。さっそくクマ鈴*1や竹籠など基装備を整え、仲間と山路を辿る。 かつてのきのこ畑は、話に聞く通り荒れ放題だった。落葉に埋もれ、だれにも採取されないまま朽ちていった、ナメコの墓場。 かろうじて溶け残っていたものを採取し(左画像参照。トロトロつややかなぬめり肌が、たまらなくセクシーでしょ?)、お礼を兼ね、一同手分けして付近を清掃する。 持ち帰った獲物は、後日、故人を偲び開かれた酒宴の席で、すみやかにナメコ汁へと姿を変えた。 ご心境如何ばかりかと案じていたが、みんなと共に熱い汁をすすってくださったご家族の笑顔が印象的だった。 帰りの山道で、他にもいくつかの

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    makamaka_at_donzoko
    makamaka_at_donzoko 2009/11/12
    美味しそう。きのこアレルギーの人がいるので、お家でつくることはないだろけど……
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