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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (35)

  • 国家による暴力の論理への抵抗を - Arisanのノート

    さる24日日曜日、大阪市内で行われた「朝鮮学校ええじゃないか!春のモア・パレード」に参加した。 これは、朝鮮学校への「高校無償化」適用や、自治体補助金の再開・復活を求めて、行われた集会とパレード(デモ)で、朝鮮学校の学生や関係者、それを支援する人たちなど2000人近くが参加して行われたもの。 パレードは扇町公園を出発して西梅田公園の解散というコースであったが、まずその終盤近くに起きた出来事について書く。 僕は全体の前の方の隊列に居たのだが、西梅田公園に入るとすぐに、大音量のスピーカーで「朝鮮人」を口汚く罵倒する車が何台か(はじめは2台、その後他にも現れたようだ)公園横の道路に現れ、公園内は騒然となった。 この日は、御堂筋で「日韓断交」を趣旨にしているらしい排外主義団体のデモ行進が行われ、さらに夕方からは梅田のJR大阪駅前で街宣が行われる予定だった。それらに参加するのであろう人々によるパレー

    国家による暴力の論理への抵抗を - Arisanのノート
  • ノルウェーの事件に寄せて - Arisanのノート

    予想されたことではあるが、日でもこういう論調が幅を利かせてるようだ。 ノルウェーでのテロ事件と日 http://news.livedoor.com/article/detail/5738369/ ブレイビグ容疑者が敵視したイスラムは、生活規範として信仰者の日常生活行動を規定する面がある。また、外国人移民が有する同郷・同民族などの連帯意識により、国家内に別の国家のような移民地域ができることがある。このため、EU諸国内では、オランダの自由党をはじめ右派政党の台頭が見られ始めている。ブレイビグ容疑者はこのような右派思想の活動家であり、犯行目的は移民排斥だとも伝えられている。 もちろん、その目的を爆弾テロと銃乱射という方法で追って達成できるわけではない。しかし、この衝撃的な事件によって、外国人移民問題が抱える(1)宗教と民主主義の関係、(2)多文化主義の矛盾など、問題の質ともいえる要素につい

    ノルウェーの事件に寄せて - Arisanのノート
  • 闘いの場はどこか - Arisanのノート

    以前、エジプトでの革命(民主化)について、人々は侮蔑されていることに対して怒ったのだろうと書いたけど、今の日で起きてることを思うと、それに似た感想を持つ。 大災害により、分かっているだけで2万5千人以上の死者・行方不明者が報告されている。また、45万人と言われる人たちが避難所で暮らし、生存さえ危ぶまれるような毎日を過ごしている。人災としか言い様のない原発の事故は、まったく終息する気配がない。 こんな状態なのに、世論やマスコミは、死んでしまった人たち、被害のさなかにある人たちの現実を置き去りにして、「頑張れ、ニッポン」というような空言を繰り替えしている。 この空言に示されているのは、被害を受けた主体である死者や被災者たちの存在の重さから逃れて、これまで通りの経済生活を、その差別的な面や格差を容認し拡大する面を改めることもなく、素知らぬ顔で継続していきたいという、権力者や大衆の浅ましい願望だ

    闘いの場はどこか - Arisanのノート
  • 犠牲に供されるもの - Arisanのノート

    原発での給水作業やその他の作業はすすめられており、このまま最悪の状況の回避がもたらされるのであれば、そのこと自体は、喜ばしいとしか言いようがない。決して「最悪の状況」がもたらされてはならない。そう思う。 もちろん、作業によって死傷したり被曝している人たちの存在は、無視も正当化も美化もされてはならない事実として、目の前にある。 何度も繰り返すが、原発の存在は、それが「正常」に稼動している日常から、こうした現場の労働者や周辺住民の「犠牲」のうえにしか成立しないものであると思う。まして、このような大事故が起これば、なおさらそのことが露呈する。 最も基的なことを言えば、「想定」では自然などの現実には対処できない部分が残る。その現実が起きたとき、「想定外だった」と言ってすませるには、核エネルギーはあまりにも破壊的でありすぎるのだ。異常が起きたときに制御できないような力を、われわれは利用しようとして

    犠牲に供されるもの - Arisanのノート
  • 東京都知事選について - Arisanのノート

    東京都知事選について、「ひどい候補者ばかり名前があがって、最悪だ」という声を聞く。 そのことが、日の民主主義の現状のひどさを示している、と評論する声も多い。 ぼくは、それはちょっと違うと思う。 どんなひどい人間でも、法の規定に反さない限り選挙に立ってしまうのは、民主制をとっているからには、基的に仕方がない。 民主主義というのは、そういう致命的な欠点をもっているのだ。 だから他の道をとることも可能だが、ぼくは無根拠に民主制の方を選ぶ。 フランスでも、極右政党の党首が大統領選に出たことはあった。 日と違うのは、有権者が彼を当選させないために団結した、ということである。 サルコジやベルルスコーニやブッシュのようなひどい人間が指導者になることもある。 日と違うのは、彼らに反対するデモが、しばしば大都市の街路を埋め尽くす、ということである。 都知事選をめぐる状況がひどいのは、「ひどい候補者ば

    東京都知事選について - Arisanのノート
  • 最悪のこと - Arisanのノート

    リビア情勢に関して、「軍隊が自国の国民を殺害するなんて最悪だ」ということを言う人が居る。 しかし、「自国の国民を」は余計だろう。自国民であっても、自国民以外でも、殺害・虐殺は常に最悪だ。 軍隊が自国民を殺すことよりも、自国民以外(他国の市民でも、他の国籍を持つ自国の市民でも)を殺すことの方が「最悪さ」が軽い、なんてことは絶対にない。 「カダフィの軍隊」が自国の民衆を殺すことも、「ブッシュやオバマの軍隊」が他国の民衆を殺すことも、まったく同じに「酷い」のである。 こんなことは当たり前のことだ。 でも、これが当たり前のことだとは教えられず、思っていてもそのように発言しにくい社会というものがある。それは、徴兵制を敷いているなど、国民と軍隊が一体化し、「われらの軍隊」という意識によって国が成立しているような社会である。 たとえば日の隣国の韓国がそうであり、この国では光州事件以来、きまって述べられ

    最悪のこと - Arisanのノート
  • 私たちによる解放を待っている者 - Arisanのノート

    エジプトの情勢をめぐるこれまでのニュースのなかで、もっとも不快な印象を受けたもののひとつは、イギリスのブレア元首相が、『エジプトの変革と民主主義には賛成だが、われわれがマネージする必要があるだろう』と言った、というものだ。 まったく、アメリカやイギリスが自分たちの権益確保のために余計な手出し、口出しをしなければ、そして暴力的な仕方で成立したイスラエルという国を暴力的なままに維持し続けるためにムバラク政権のようなものを支え続けなければ、中東の政治はもっと早く民衆が自ら決めるものになっていただろう。また、現在反米を標榜する国も、もっと民主的な仕方でそれを行うことができただろう。 「変革と民主主義」が実現できないそもそもの原因を自分たちが作ってきたのに、民衆がその間接的な支配から脱してやっと自立と解放を実現しそうになると、支配力を維持し続けるために、「われわれがマネージする必要」なるものを臆面も

    私たちによる解放を待っている者 - Arisanのノート
  • 愚かな拒絶 - Arisanのノート

    あまりのことに、何を言ったらいいのか分からなかったが、ともかく意見だけ載せておく。 http://mainichi.jp/select/today/news/20110205k0000m010075000c.html?inb=tw 高木義明文部科学相は4日、北朝鮮による韓国砲撃で停止された朝鮮学校の授業料無償化適用審査について、「当面は再開しない」との意向を明らかにした。審査停止に対する東京朝鮮学園の異議申し立てに回答した。 審査を再開しない理由について文科相は「昨年11月23日の北朝鮮による砲撃は、我が国を含む北東アジア地域全体の平和と安全を損なうもので、不測の事態に備え万全の態勢を整えていく必要がある」と説明している。 異議申し立ては行政不服審査法に基づいて1月17日に文科省に提出されており、同法で定められた停止理由の開示期限が6日に迫っていた。学校側へはファクスと郵送で通知したという

    愚かな拒絶 - Arisanのノート
  • 認められたい日本人 - Arisanのノート

    李忠成選手の日国籍取得や、「李」という名前でプレーを行っているということなどについては、人の選択なので、ぼくには何も言いようがない。ぼく自身は、こういう種類の選択を、これまでの人生で行ったことも強いられたこともないからだ。 ただ、国籍の選択であるとか、民族名を名乗って仕事や生活を続けるという選択において、特定の人たちに、過剰で不当な現実的・心理的負担をかけることをやめない、この社会と国家を、その成人国民として腹立たしくも恥ずかしくも思う、ということだけである。 この記事のなかでは、 『李』という名前で出ても日本代表で活躍できること、希望を見せられることをゴールという結果で示したかったんです。 という李選手の言葉が紹介されているが、どんな名前で出ても代表選手として活躍でき、希望を見出せたり見せられたりするというようなことは、来当たり前のことであり、そんな当たり前の社会をぼくたちが作って

    認められたい日本人 - Arisanのノート
  • 杉田俊介氏における「敵対性」と「倫理」について - Arisanのノート

    フェミニズムはだれのもの?』に収められた森岡正博氏と杉田俊介氏の対談「草系男子と性暴力」を読んでの感想。 フェミニズムはだれのもの?―フリーターズフリー対談集 作者: フリーターズフリー出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2010/04メディア: 単行購入: 3人 クリック: 199回この商品を含むブログ (11件) を見る この対談の中で、たとえば森岡氏が次のように述べていることは、たしかにとても重要だと思う。 これは、森岡氏がかつて、田中美津を論じたなかで、はじめは『(自分は)この社会のなかで「男」として生きることそれ自体』には強い痛みを感じることはないと思い、そのように書いていたが、数年の沈黙の後に、『「男」に固有の性の痛みと苦悩は「ある」』のであり、『むしろそれを無痛化してスルーしうると思い込めたこと、そこにこそ、無自覚な男の暴力の真の源泉があったのではないか』(以上、杉田

    杉田俊介氏における「敵対性」と「倫理」について - Arisanのノート
  • 『差別感情の哲学』を批判する - Arisanのノート

    差別感情の哲学 作者: 中島義道出版社/メーカー: 講談社発売日: 2009/05/15メディア: 単行 クリック: 77回この商品を含むブログ (21件) を見る 久しぶりに、読んでて卒倒しそうなほど腹が立った。 書いてあることは、普段身近でよく耳にする意見と重なるところがあるので、この機会にちゃんと批判を書いておきたい。 基的なスタンスへの批判 著者の基的なスタンスは、次のようなところに示されている。 私の疑問は、「心」に限定される。制度上の差別は撤廃してしかるべきであろう。差別的発言も(少なくとも)制限されるべきである。しかし、差別撲滅運動が人間の心に潜む悪意まで徹底的に刈り込むことを目標にするのだとしたら、誰もが差別感情を抱かなくなることを到達点とみなすのだとすれば、直感的にそれは違うのではないかと思う。(p9) しかし、現代日社会においていかに差別に対する社会的制裁が厳し

    『差別感情の哲学』を批判する - Arisanのノート
  • 排外デモが意味するもの - Arisanのノート

    http://d.hatena.ne.jp/free_antifa/20101207/1291739195 http://d.hatena.ne.jp/free_antifa/20101209/1291872075 この出来事については、すでに幾人かの人によって、言われるべきことが言われていると思う。 しかし、この映像を見ても、また文章を読んでも、なかには 『在特会によるデモは、一応法的に認められた「表現」で、それを「妨害」しようとした青年を警察が捕まえ、デモをしていた側を捕まえないのは、警察の建前としてはやむを得ないところだ』 という風に思う人が居るかもしれない(実は、私も当初はそう思っていた)ので、念のために書いておきたい。 この排外主義のデモというのは、今の日においては、市民の自由な表現行動というようなものではなく、国家暴力の一形態だと思う(こうした「デモ」が、それ自体で暴力である

    排外デモが意味するもの - Arisanのノート
  • 正しい「反日」 - Arisanのノート

    神奈川・松沢知事、朝鮮学校視察へ…補助金支出で 「反日教育していたら出せぬ」 http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20101110-OYT8T00544.htm 東京、大阪だけじゃなくて、神奈川でもこんなひどい人が知事をやってるんですね。 文科省でさえ審査基準に教育内容を含んでないのに、「反日教育」なんていう曖昧かつ恣意的な概念を持ち出して補助金を打ち切り、子どもたちが受ける教育を選択する自由を侵害しようとは、恐れ入った態度だ。 これで民主主義だの自由だのを標榜してるんだから。 朝鮮学校は、戦後の法制度のなかで日の学校のような保障を得られてこなかったから、日が朝鮮を支配して今日の状況の元を作ったという経緯も考慮して、各自治体が補助金を出してきたのだろう。来なら、補助金のような制度を用いないでも、はじめからきちんと制度の中で立場が認められて、保障が

    正しい「反日」 - Arisanのノート
  • 憂鬱な判決 - Arisanのノート

    耳かき店員ら殺害被告に無期懲役 裁判員裁判、死刑回避http://www.asahi.com/national/update/1101/TKY201011010293.html 念のために書いておくが、私は死刑制度に反対だし、無期懲役ということにも疑問を持っている。 また、「遺族の気持ちを考えれば」という言い方があるが、それを実際の処罰、とりわけ死刑に結びつけるのは、その心情を尊重すればこそ、するべきではないことだという気がする。そのことも含めて、「処罰感情」という主語の分からない(遺族のなのか、大衆一般のなのか、誰のなのか)言葉を使うこと自体が、感情というものの安売りだと思う。 だから、今回の判決そのものに不満があるわけではない。 「死刑か無期か」という二択そのものをよしとしないので、「この判決でよかった」とは言えないが、それでも死刑判決が出なかったことは、良かったとは思う。 あれほど事

    憂鬱な判決 - Arisanのノート
  • 「政治的正しさ」を超える? - Arisanのノート

    単純なことやけど、この表題の意味が分からん。 http://mainichi.jp/enta/art/news/20101020dde018040023000c.html政治的正しさ」を超える、というのは、どういうことだろう? 政治的に正しいものが何かという考えは立場によって違うから、その相違を超えたところに見出される「高貴さ」という価値に拠り所を求めよう、ということだろうか。 しかし、「正しさ」そのものを超える、というからには、それは「高貴さ」に比べて「正しさ」の価値が低く見つもられている、ということになるだろう。 私は、立場(何が政治的に正しいかという主観)の違う人同士が、ある目的のためにその都度手を組んだり組まなかったり、ということはあっていいと思う。 もちろん、そこで譲れないものはある。 だから、「右翼と左翼が手を組んで」というようなことはどうもにわかに信じられない。 だが、私

    「政治的正しさ」を超える? - Arisanのノート
  • デモと暴力 - Arisanのノート

    中国:「当に自発的?」反日デモに冷ややかな声』 http://mainichi.jp/select/world/news/20101018k0000m030054000c.html中国:綿陽でも大規模デモ 一部暴徒化、日料理店襲撃』 http://mainichi.jp/select/world/asia/news/20101018k0000m030092000c.html 反日デモが起きると、これは「官製デモ」だと囁かれているというような伝聞調の記事が書かれる。しっかりした取材にもとづく記事ではなく、こういう風聞があるという、トピックスのような内容である。 漠然と『一部の市民は嫌気を感じている』と書くだけでも曖昧な感じのする文章だが、それに『ようだ』という語尾が付くので、非常に曖昧模糊とした報道だ。 そして、その説明で収まりのつかない事態が生じると、「当局も想定してなかった」だ

    デモと暴力 - Arisanのノート
    makamaka_at_donzoko
    makamaka_at_donzoko 2010/10/19
    "暴力(対抗的な暴力)への憎悪","は、その憎悪や怒りが社会的に横領されず、私たち自身のものとして捉えられるなら、絶対にとは言いきれないが、その暴力を","生み出した事情",""への怒りにつながることがありうる"
  • 蔑視的なデモと蔑視的なマスコミ - Arisanのノート

    こちらの記事に便乗して書く。 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20101017/p1 東京で、中国に抗議する、右派による3000人ぐらいのデモがあったそうで、これがマスコミでほとんど取り上げられなかったことが一部で話題になっている。 日のマスコミではデモというもの、とりわけ政治的な色が濃いとみなされるデモの扱いが異様なほどに低いことは分かっているので、この「スルー」には、とりあえずそれほどの違和感はない。 実際たとえば、イラクでの戦争(攻撃)が始まる前に行われた大規模なデモ(当時はパレードという言い方もされたが)も、非常に小さい扱いしかされなかった。 なぜ低い扱いしかされないのかということは、よく分からないけど、終戦直後とか安保闘争の時とか、わりあいマスコミに好意的に扱われた時期もあるようにも見えるけど、それでも基的には国の体制とか天皇制とか(そういったものの

    蔑視的なデモと蔑視的なマスコミ - Arisanのノート
    makamaka_at_donzoko
    makamaka_at_donzoko 2010/10/19
    "デモが整然と行われたことを自賛する人もいるらしいが、そういう発想こそ、デモのような民衆的行為に対する蔑視的・(自己)抑圧的な考えの表れだと思う"
  • 領土について - Arisanのノート

    このところの尖閣諸島や北方四島をめぐる問題に関して、前原外相の強硬な態度・発言が、また注目を集めている。 以前その前原が、北海道に行った時、北方領土問題について「ロシアは北方四島を不法占拠している」という発言を行ったことがあった。 ずっとこの言葉がひっかかっていたのだが、今回調べてみると、元々麻生元首相の発した言葉なのだった。 http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009101701000221.html ニュースになるほどだから、やはり異様な、強い響きとして受け取られた表現だろう。 ロシアが北方四島を領有している事実をどう考えるかではなく、とくに「不法占拠」という表現が用いられたことが耳目を引いたのである。 「不法占拠」ということは、相手の行為を法の名によって断罪しているわけだ。 自分と相手とを共通に裁ける法があり、その法に適っているか否かを判定する権限・能

    領土について - Arisanのノート
    makamaka_at_donzoko
    makamaka_at_donzoko 2010/10/01
    "所有にまつわる歴史的な後ろめたさの否認と、生活の不安定さの解消への欲望とを、常に自覚している必要"
  • 警官の孤独 - Arisanのノート

    以前にも書いたことがあると思うが、テレビ時代劇の『鬼平犯科帳』シリーズが好きである。 今でも時々新作が放映されたり映画になったりするし、毎週、20年ほど前に放映されたものを再放送してるのを、よく見ている。 このシリーズの特徴のひとつは、蟹江敬三や梶芽衣子、それに先代の江戸家八などが演じる「密偵」たちの存在感だ。 彼らは、元盗賊だったが、「鬼平」(中村吉右衛門)に捕まったり関わりを持ち、その人柄に感化されて、今ではその手下となって働いているのである。 いわゆる「お上の犬」と呼ばれる立場になり、かつての仲間たちを裏切るようなことをする仕事である。 無論最終的には、元の仲間たちを裏切って「お役目」を果たすのだが、そこに至るまでに毎回いくらかの逡巡や苦悶が描かれる。ここにこのシリーズの、魅力のひとつがある。 それに関して特に興味深いのは、その際に、結局彼らがそうした最後の決断をする決め手になるの

    警官の孤独 - Arisanのノート
    makamaka_at_donzoko
    makamaka_at_donzoko 2010/08/13
    "屈折した、孤独な、「権力の犬」こそ、われわれを魅惑する存在なのだ"
  • 親日派問題について - Arisanのノート

    先週だったと思うが、NHKスペシャルで植民地朝鮮の独立運動期のいわゆる「親日派」のことを扱っていた。 この番組は、李光洙など有名な人の話だったが、韓国での親日派問題というと、前の盧武鉉大統領の時に、(広義の)この問題の真相究明のための委員会や、財産没収に関する法律などが出来て、日でもそのことがかなり話題になったと思う。 ぼくも、よく知っている人から、知人の韓国人のおばあさんが、この法律のために財産を没収されて悲しい目にあった、というようなことを聞かされ、中国文化大革命のときの逸話なども思い出し、それが「ひどい話である」と言われると、たしかにそのように思わざるをえなかった。 しかし、あらためて考えてみると、その人が先祖代々(といっても植民地期以降だろうが)蓄積してきた財産というのが、なんらかの不正義にもとづいて積み上げられたものであるならば、その何割かを国が没収して他の多くの人々のために

    親日派問題について - Arisanのノート