2006年08月24日19:50 カテゴリValue 2.0 命の重さに定価はない もしその人が本当に他人の生命も同じ程度に貴重だと思い、かつそれを実行しているとしたら、その人が今まさにそこに生きているという事実そのものが詭弁だということにはならないだろうか? 志村建世のブログ: 加藤周一氏に見る生命観 自分の生命が貴重だという意識は、たいていの人が持っているでしょうが、他人の生命も同じ程度に貴重だという実感を持っている人は、どれくらいいるものでしょうか。「他人」ばかりではない。それが子猫だろうが、社会の周辺の人々だろうが、我々は常にどの命を奪い、どの命を救うかの「値踏み」を強いられる。 私には、本来「市場価格」であるべき「命」を「他人の生命も同じ程度に貴重」というのは、「自分の生命も他人の生命も、たいして貴重ではないと思っている」のと、「値踏みを放棄」しているという点においては変わらぬ詭
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