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2006年7月1日のブックマーク (4件)

  • 小説「氷壁」と戦後の登山者

    小説「氷壁」と「松濤明」等 私は、小説『氷壁』から『ザイル事件』と『松濤明』から終戦後の登山者等の生き様を見たくなった。 [氷壁の舞台] 『氷壁』の舞台となった前穂高(3090m)の東壁は、戦前から登られていたが、その当時のルートは、「北壁〜Aフェイス」と「CBAフェイス」しかなかった。 北壁〜Aフェイスは、『改訂日の岩場(白山書房)』に、昭和12年山崎次夫と内山秋人が松高カミンルートを最初に登った。とある。 また『日の岩場(山と渓谷社)』には昭和7年伊藤新一、伊藤収二とある。 CBAフェイスは、昭和6年國塩研二郎、内山秋人氏ら5名が最初に登った。 北壁は無雪期は昭和7年に、積雪期は昭和15年の3月春田和郎、久留健治が初登攀している。 昭和32年になり古川純一と久保田進が開いた右岩稜古川ルートをS36年3月森田昇三、三井利安が、Dフェイスは昭和34年法政大学

  • KATOHDB: 氷壁(井上靖)

    加藤秀俊 著作データベース 氷壁(井上靖) 発行年月: 19580501 掲載  : 新日文学 発行元 : 新日文学会 『氷壁』論                 (「新日文学」1958・5月号) 一年あまり前のことだが、山登りの好きな友人たちのあいだで「ザイルは切れたのか、切つたのか」といつた論議がされているのをきいた。もちろん、当時『朝日新聞』に連載されていた「氷壁」をめぐつての議論である。 私は京都に来てから、「探検家」というあたらしい人種とほんの少しではあるが接触をもつようになり、マナスルだのカラコルムだのの探検報告をきくようにもなつたが、どうも登山や探検にはまであまり欲が湧いてこない。したがつて、友人たちの話をきいても「氷壁」を読む気は起こらなかった。  「氷壁」にかぎらず、だいたい連載小説という形式を私はあまり好かないし、もともと、文学作品への私の接触度はおそ

    maki_lax
    maki_lax 2006/07/01
    氷壁
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    maki_lax 2006/07/01
    氷壁
  • 井上 靖『氷壁』を読む/登山家の誇りをかけた闘い - 馬込文学マラソン

    友と挑んだ厳冬期の岩壁で、魚津恭太(うおづ・きょうた)は友を失った。“切れるはずのないザイル” が切れてしまったのだ。 傷ついた心をぶら下げて、一人、町に戻った魚津を待っていたのは、世間の冷たい視線。“切れるはずのないザイル” が切れたのだから、ザイルが意図的に切られたとの憶測も生まれた。魚津が意図的に切ったとすれば、それは自分だけが助かりたいために友を見殺しにしたことになり、友が意図的に切ったとすれば、友は自殺を図ったことになる。 否。ザイルは岩角でこすれただけで「簡単に」切れてしまったのだ! 魚津は、この事実を伝えるべく奔走する。登山家の誇りをかけた戦いだ。 『氷壁』 について 井上 靖 、49歳の時の作品。昭和30年に起きた 「ナイロンザイル切断事件」を題材にし、伝説的な登山家・松濤 明がモデルになっている。昭和31年11月から翌年8月にかけ「朝日新聞」に連載され、昭和32年10月、

    maki_lax
    maki_lax 2006/07/01
    井上靖、氷壁