大平洋戦争で初の「玉砕」と発表されたことで知られるアッツ島ですが、占領時の島民の運命を本日まで知りませんでしたー一つの文化を破壊した戦争 日本人にはまるで関心を持たれていなかったアリューシャン列島のアッツ島に、日本軍が上陸したのは1942(昭和17)年6月6日から8日にかけてでした。そして戦略拠点としては価値の低いアッツ島、キスカ島占領が当時、大々的に報道されています。こちら、同年6月11日の読売新聞です。 横ぶちぬきの見出しで「米の対日北方攻撃地点破砕」と列島の所要点を確保、とあり、これがアッツ島の上陸占領でした この紙面、実はミッドウェー海戦の報道です。アリューシャン列島攻撃はミッドウェー作戦の牽制作戦として行われたのですが、主作戦たるミッドウェー島攻略・米機動部隊撃滅という2つの目的はいずれも達成できず、逆に日本は主力空母6隻中、この時出撃した4隻全空母と搭載機すべてを失う大敗北。米
