日本語版への序文 異文化同士の出会いは、すんなりとした直線的なプロセスではない。また、完全に客観的な出来事でもない。したがって、事実や日付や目に見えるデータを集めてみても、ただそれだけでは、その出会いの歴史を書物にまとめあげることはできない。むしろ、それまでお互いに相手の存在を知らずにいた相異なふたつの精神世界が出会って、お互いの世界を発見しはじめる場合、ありとあらゆる誤解やとめどもない空想が積みかさねられるものである。双方とも、相手の世界を発見したつもりでいるが、まずほとんどの場合、じつは夢の世界を重ね合わせて見ているにすぎない。そしてこの空想の産物は、理想的な夢のかたちをとることもあれば、悪夢となってあらわれる場合もある。それに応じて、この空想の世界は天の楽園とも、また地獄ともなりうるのである。「異文化間の対話」と呼ばれるものが遅々として進まず、おうおうにして実り少ないものに終わってし