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etcに関するmegyumiのブックマーク (204)

  • http://yaplog.jp/nico_star7777/archive/785

  • オープニングナレーション辞典

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  • オーバーパンツ:女の子の常識 「変質者怖い」3、4歳から?ファッション:MSN毎日インタラクティブ

  • 検索あそび「モボ・モガ」 - matakimika@hatenadiary.jp

    XBOX Live がメンテナンス中で夜中あまりに暇だったので、ひさびさに自アンみて、ところどころ自アンらしい枯れたおもしろさなど散見してニヤニヤして、しかし全体的にはうわーなんかおれのいまの感受性は自アン見る周期じゃなかったわーということを確認したのだが、ところでなにかの箱で「モボ」「モガ」という単語を見かけて懐かしかった。べつにその用語自体がなつかしいということではなく、自アンでその文字列を見かけるという状況への既視感のほうだ。以前にも見たんだよな自アン+で確か。たぶんどうでもいいなにかの拍子にふとどっかの暇人の脳から転がり落ちたフレーズだ。同じひとが投票したんだろうか。 モボ・ボガっていうのはモダンボーイ・モダンガールの略語だというところまでは知っているんだけど、それ以上のことは知らんので、せっかくの機会だから検索。Google で上から順に。時代語だけあって、適当に検索するだけでも

    検索あそび「モボ・モガ」 - matakimika@hatenadiary.jp
  • 他人事関連 - matakimika@hatenadiary.jp

    毎回話のオチが「ダメだ」「できない」「死にたい」みたいなかんじになる若いひとが居て、このひとはこのワンパターンというかループからの脱出がなかなかできないでいるんだなと思っていたが、たぶんその捉え方はちょっと違うんだよなと思った。 彼が陥っている状況は、ようするに最強に強まった自意識がすべての行動の邪魔をしている、というオタにはありがちのドツボなのだが、たぶん順番が逆だった。「できないという状況」が自然になるように、何度かなにかにつまづいていくうちに、(無意識に?)状況を正当化したのだ。つまり、自意識が強すぎれば、なにかができなくても不自然ではないという判断から、彼の自意識は強まったのではないか。 彼はいま不満足な状態に居るわけだが、同時に極めて安定しているともいえる。強すぎる自意識と行動面での失敗が、いかにもそれらしく一致しているからだ。安定しているので、何度でも同じループに戻ってくる。た

    他人事関連 - matakimika@hatenadiary.jp
    megyumi
    megyumi 2007/03/29
    >「できないという状況」が自然になるように、何度かなにかにつまづいていくうちに、(無意識に?)状況を正当化した
  • 機能集約関連 - matakimika@hatenadiary.jp

    自販機の前で鍵を出したり、家の前で小銭を出したり、バスカードのかわりにクレジットカードを出したり、会社の前でキャッシュカードを出したり、とんちんかんが深刻化している。けどこれよく考えてみると仕方のない部分もあって、ようするになんでもかんでも財布に入れすぎているので「とにかく財布出せばどうにかなる」までで思考が停止してしまって、そこからさきの指先の分配が杜撰になっているのだ。こういうの一種のモラルハザードっていうのか(ちなみにモラルハザードというのはシステムのせいでモラルが崩壊することではなく、システムが強化された結果としての慢心からトラブルを呼び込んでしまうことだ、確か)。金銭関連は小銭と札とキャッシュカードとクレジットカード、鍵関連はカード入れに会社のカードキーと小銭入れに家の鍵(おれはキーホルダーを使わないひとだ)、移動関連は地下鉄のカードと Suica とバスカードと、あと緊急連絡用

    機能集約関連 - matakimika@hatenadiary.jp
  • おれの人文系・似非人文系鑑定基準 - matakimika@hatenadiary.jp

    漠然と人文系・似非人文系といってみるが、優劣とか正当性とかについての意図はない。あと、もちろんおれに人文系的な素養はないので、門外漢からの視線として。 なんかふつうの話に人文系っぽいジャーゴンを混ぜてこねくりまわすのは似非人文系のひと。 人文系の話題を身体的な用語で説明するのがトゥルー人文系のひと(「脱臼」「捻挫」など)。 「ふつうそういうのは脱臼しないだろ」というようなもの(パラダイムとか)が脱臼していると、人文系っぽい。 実際には、専門語使わなくても簡潔に語れる話題に専門語を混ぜて話を冗長に(ややこしく)してしまっているひとは似非っぽくて(カタカナ営業語を乱発する政治家のひととかサラリーマンのひととか)、専門語抜きでは冗長になって合意を得るまでに時間のかかりすぎる問題を、専門語を適切に織り交ぜることで手短に提示できるひとが物っぽいっていうような、わりと基的な話だろうか(つまり専門的

    おれの人文系・似非人文系鑑定基準 - matakimika@hatenadiary.jp
  • ホタル族 - matakimika@hatenadiary.jp

    夜中公園で煙草吸いつつ星を見ているとき、まあ冬だったらとりあえずオリオン座を探す。ほかにわかる星座はカシオペヤくらいだ。聖闘士星矢もアニメはチョロチョロ見てたけど大してハマらなかったので星座よくわからん。いや聖闘士星矢で星座に詳しくなるっていうのは、たとえるなら新世紀エヴァンゲリオンで死海文書に詳しくなるというくらい筋違いの話か。どうでもいい。脱線した。 星座とかいって関連付けているけど別に個別の星に特別因果関係があるわけでもない。あるやつもあるだろうがないやつのほうが多いだろう。そもそもが肉眼で見えている星の大概は恒星だから、かなりのスケールまでは個別の好き勝手な存在といえるだろう。距離も大きさも全然違ったりするはずだ。たまたま地球から見ると近い方角に見えてる一群を脳内で線で結んで楽しんでいるという。これはネットとかでもよくやっていることだろう。○○界隈といったところで個別のひとたちには

    ホタル族 - matakimika@hatenadiary.jp
  • Vending Machine Optimization - matakimika@hatenadiary.jp

    80 年代末というか、缶ジュースが 100 円から 110 円になって以降、「200 円入れて 110 円のジュースを買ったとき、ジュースの缶と 90 円のお釣りのどちらを取るのが最適か」はひとつのテーマだったといってよい。90 年代後半に 110 円は 120 円になったが、それは 100 円から 110 円への変化と比べれば小さかった。コインひとつでジュースが買える様式の崩壊と、小銭ジャラジャラいわしてジュースを買わざるをえない状況下での変化では扱いが違う。 なにも考えていないときにはジュースを先に取る。ジュースを買うモードというのは「ジュースを飲みたい」が最優先になっている状態だからだ。後ろにひとがつかえていない場合なら、まずジュースを取ってあけて一口飲んで、プハーとやったあとにお釣りを取り出す、というくらいの勢いでジュース優先。 まず考えたのが効率。ジュースを先に取る場合とコインを

    Vending Machine Optimization - matakimika@hatenadiary.jp
  • 虚をつく練習 - matakimika@hatenadiary.jp

    オタというかおれの話だが、全般的に他人の虚を衝くのが苦手だ。好きでもない。理由のあたりを掘っていくといろいろ自分バトルができておもしろいのだが、まあそれは置いといて、最近わりとこの苦手で好きでもない「虚をつく」のトレーニングをやってみている。 バスに乗る なるべく前の座席に座る 自分が降りるバス停が近くなる 「次降ります」ブザーの間合いバトル発生 誰がブザーを押すのかバトルの間合い読みは、ただでさえむずかしい。競技化してもいいんじゃないかと思う。ただしそこには「機械仕掛けと人類の美意識の融合を数値化する」みたいな曖昧な感覚が絡んでくるので、なんだろうか、オリンピックでいうなら冬季向けの競技といえるだろうか。前の停留所でドアが閉まった瞬間に早押しするのはフライング、未熟である。次の停留所のアナウンス直後にもコンフリクトが生じるが、ここでの抜け駆けもまた不粋。停留所間の中間距離を過ぎ、行程の

    虚をつく練習 - matakimika@hatenadiary.jp
  • 嗜好は複数あるといい - matakimika@hatenadiary.jp

    たとえばおれは基的に仕事しているときと遊んでいるときでは聴く音楽をなるべく分けるようにしている。職場で聴く音楽と家で聴いたら、家にいながら仕事しているような気分になるし、通勤中の音楽を XBOX 360 の勝手 BGM 機能で再生していると、ゲームしてるのに通勤しているような気分になって微妙。音楽を聴きつつ聞き流しつつなにかをやりつつまたはなにもしなかったりとか、音楽は五感のうち一感しか占有せず、残りの四感は周辺情報を絶えず収集してしまうため、なにをやっているのにせよ状況から乖離してその気分だけを取り出すのはむずかしいし、むずかしいというのは日常的にこなせないということなので、暮らしの中では無理筋。 お茶のペットボトルにしても、家で飲むのは株式会社伊藤園の「お〜いお茶」(http://www.itoen.co.jp/oiocha/)で職場で飲むのはサントリー株式会社の「伊右衛門」(htt

    嗜好は複数あるといい - matakimika@hatenadiary.jp
  • また君か。@d.hatena: オタファッションとしての作務衣雑感

    滅びつつあるオタ様式を、時流に沿わず自ら踏襲するという意味での個人的保護に比較的熱心なおれとしては(たとえばおれが日記でひとの名前に執拗に「氏」をつけるのは、「そのほうがオタっぽいであろうから」との判断からであり、これは往年のオタ同士が会話上で「○○氏が…」みたいな言い方をしていたという記憶に依拠している)、作務衣オタについてもメモしておかねばなるまい。けどいざキーボードに向かってみると案外書くことがなかった。なんだか単に「むかしは居たよね」で終わってしまう。 もうちょっと無理矢理書こうと努力してみると、まあとにかく「オタクにとってファッションというのは機能である」ということだ。これはオタファッション系のサイト群でもよく言われていることであるし、おれもそれに同意する。似たような「むかしはけっこう見たけどいまは全然見かけないオタファッション定番」としてカメラマンジャケットがあり、案外作務衣と

    また君か。@d.hatena: オタファッションとしての作務衣雑感
  • 階段一段とばし関連 - matakimika@hatenadiary.jp

    先日の日記(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060611#p3)に微妙に関連して。 幼稚園とかの頃は体が小さかったので、大人向けに設計された階段を上がるのがけっこうきつかった。一段一段えいやあと上がっていったような覚えが。もっと小さい頃には歩いて昇ることを放棄して、両腕も使って安定性を確保しなければ上がれなかった。降りるときは、手すり…には手が届かないので手すりを支えている柱に掴まること必須。小学校に上がると、小学校の階段は子供用に多少段の高さが低くなっていることもあり、昇り降りで苦労することはあまりなくなった(←高校の頃母校を再訪問したとき、段差が低すぎて転びそうになった)。けどたまに駆け上がってる途中でつんのめったり、ひさこぞうを角にぶつけたり、駆け下りてる途中で滑って転げ落ちたりしていた。まあたまにだ。失敗を繰り返して人間は転ばないようになる。当

    階段一段とばし関連 - matakimika@hatenadiary.jp
  • バーチャルとバーチャルの融合 - matakimika@hatenadiary.jp

    http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20060530/ganime.htm GA. ニメが画ニメとなって復活するという。多少の痛みを伴ってでも開拓していかねばならない分野であろうから、今後もいろいろな会社がいろんなアプローチでチャレンジしてゆくだろう。 それと関係ないがついでなのでリアルとバーチャルの融合の話を書いておく。90 年代にはマルチメディアがインタクティブでオンデマンドだからすごいだろう的なフレーズによってリアルとバーチャルが融合されたりしたものだった。未来の海賊たちとかがやってきてマカロニほうれん荘であるとかチキチキマシンだとかを猛レースしたりとかして純朴なデジタルキッズたちの財布から札束を強奪していたゴッサムセンチュリー。その行為はまさしく海賊的であったからいまさら文句のつけようもない。3DO における「インタラクティブと名の付くタイ

    バーチャルとバーチャルの融合 - matakimika@hatenadiary.jp
  • また君か。@d.hatena-往年のコミュニケーション強者たちの凋落

    「昔はよかった」を翻訳すると「昔は(おれにとって都合が)よかった」であり、読んでいて切ない。

    また君か。@d.hatena-往年のコミュニケーション強者たちの凋落
  • また君か。@d.hatena - 「愛してる」の奇妙さ

    「愛してる」っていう言い方はへんだよなと思っている。なんとなくアダルトな台詞っぽい用例が多いのに、「愛」で「してる」っていうつなぎの印象が幼稚だ。つながらないだろそこは。幼稚だからたのしいっていうニュアンスってことでいいのかなと思うのだが、大真面目にも言われる台詞ではある。真面目に幼稚ってのはなんなのか。ではなんだったらいいのかというと、「愛してる」より「愛している」は一段階戻った表現だな、それに対象を付け加えると「君を愛している」…の場合「を」が「と」だったら意味は通りやすくはなる気がする、さらに通りやすくするため愛を恋愛に置き換えて、つまり…「君と恋愛している」…わけではないんだよな、正確には「君と恋愛の時空感覚を共有したいと願っている」という話だろう、だったら「君と恋愛したい」…「君を愛したい」…いやもうちょっと基に立ち返ると「君が愛しい」だよな…、うーん、どのレベルまで引き戻すの

    また君か。@d.hatena - 「愛してる」の奇妙さ
  • 貧乏の食卓 - matakimika@hatenadiary.jp

    金がない中で生き続けるには金のかからない事をする必要があり、また現代というのは健康な暮らしを金で買う時代なので、無教養で不器用な貧乏人は不健康かつ貧相な生活を強いられる。いや強いられているわけではない。そういう暮らししか選べないよう生きてきたのはおれ自身だ。だからそれを嘆こうとは思わない。けどもってる飯の味気なさは厳然としており、それがわからないほど追い詰められてもいない。 というわけでカップラーメンとレンジごはんを買ってきてこれにて一日分と定めてみたが(←製作と片付けの手間と掛かる値段の、咄嗟におもいつく中ではそこそこの妥協点)、どうにもこれがい応えなくて困る。加熱したごはんの容器とお湯を入れたカップを持ってみた感触でいえば、これだけぶんの質量がおなかに入ればそれなりに満腹感を得られるはずであると思えるのだが、モソモソってみたあとで感じるこの不満足感は拭いがたい。これまで真面目

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  • 場に溜まる思考 - matakimika@hatenadiary.jp

    おれの場合ひまになっても、きっかけさえ探せれば、毎日毎時さまざまに妄想して悶々とできるので当分退屈しない。だがそうやって妄想するというのは退屈のありさまそのものともいえるかもしれないので、やはり退屈はしていることになるかもしれない。 そうやった妄想のことを、おれはすぐに忘れてしまう。忘れるというか思い出せなくなる。「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」と銭婆も言っていた。忘れたわけではなかった証拠に、同じ場所で同じことしてる最中、以前そこで展開した妄想があたりまえのように継続されることがある。たまたま立ち寄った駅の立ちい飯屋とか、滅多に行かないイベントの喫煙所とか、普段立ち寄らない近所の喫茶店の奥側の席に座った瞬間とか。なにも違和感がないので意識していないとその事態の特異さに気付かないが、いま考えてることが数ヶ月間隔くらいで合計五分くらい続いてるシリーズだったりする。こう

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  • ペルソナを使い分けすぎるのも考えもの - matakimika@hatenadiary.jp

    公的な飲み会の予定を前日に確認するまで、その日時がモロに私的な飲み会の参加予定とバッティングしていることに気付かなかった。ボンクラの現代病だ。 現代社会において、ふつうのひとの大半は複数のペルソナを使い分けて生活している。大雑把にいえば公的なペルソナをいくつかと、私的なペルソナがいくつかとか、そんなかんじ。会社や学校での顔、通勤経路上での顔、飲み屋での顔、生産者としての顔と消費者としての顔、先生の顔と生徒の顔、先輩の顔と後輩の顔、友人と話す顔、同僚と話す顔、部活や趣味のサークルでの顔、コミュニティごとの顔、家族との顔、自分だけの顔、寝てるときの顔、大人としての顔、子供としての顔、このような複合状況は日常化しているので、使い分けを気にする必要はほとんどない、このような場合の現代社会観は N64 版ゼルダの伝説みたいなもので、ペルソナは場の記憶とごちゃまぜに整頓されていて、様々な時空においてひ

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  • 快眠のためのスーパープレイビデオ - matakimika@hatenadiary.jp

    体調自体が悪いというのもあるが、最近どうも寝つきが悪いので困る。寝ても夜中頭痛くなって起きたりとか。夜半に脳が半覚醒状態に入るというのは昼間あたまつかってない反動かな、それはちょっとまずいんじゃないかと思いつつ、ともあれまずは当面の寝つきの悪さを解消する必要がある。 というようなことを考えながら NGM を見ると、 NGM:もう弾幕すら快楽じゃない自分へ http://ngm.web.infoseek.co.jp/2005_03_01_archive.html#111029672331661784 CAVE「虫姫さま」の、いい具合の弾幕避け動画が紹介されていたのでそれダウンロードして眺めて寝た。縦画面を横に倒したムービーで、画面の 90 度回転がモニタの可動方向と逆だったのでデスクトップで見るのはめんどくさく、布団にくるまって蓑虫の真似をしながらノート PC を横に倒して見た。うむ、やはり

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