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ブックマーク / www.highriskrevolution.com (4)

  • ウィンドウなしで顔が表示される演出の覚え書き::Colorful Pieces of Game

    超ひさしぶりのまともなブログの更新である。 信じられないぐらい忙しい日々が続いていて、毎日、家に帰るともうメシってビール飲んだら、バッタリ寝てしまうぐらい疲れてしまっていて、ゴールデンウィークも当に寝て過ごしてしまった。自分で信じられないほどだ。 あと、ゲームレジェンドには、ときめきメモリアル20周年を記念して、ムチャなを作りたい。それからFF10のは夏コミには出したい…じゃなくて、だーす、出すって言わないと出来ないw …とまあ、そんな話個人的な事情はともかくとして、イース1・2のバストアップの演出について新しい話を聞いたので、記録代わりに留めておこうというのが、今回のネタだ。 さて。 1989年にイース1・2作っていたとき、僕は山根から右のような画面の演出を提案され、もちろんOKといった。結果、画面上にドドーンと絵が出るって演出が登場することになった。 このウィンドウなしでバスト

    ウィンドウなしで顔が表示される演出の覚え書き::Colorful Pieces of Game
  • ゲーム史について思ったこと::Colorful Pieces of Game

    ハドソンの第3話を書きたいのだけど、決定的なところを誰も彼も覚えてない、って微妙な状況で、状況証拠だけで煮詰めて書いていくのがイヤで、今、この人たちが覚えてなかったらアウツって人たちに聞いてるところだったりする。 ちなみに自分が書いていることは、任天堂もしくはハドソン(現コナミ)が1983年ごろの覚書とか契約書を公開するとか、そのレベルのことをやってくれない限りは、個人の記憶に頼るしかない代物なので全く大変だ。 そして、公開されても日付がわかるだけで、やっぱり個人の記憶に頼らないとどうしようもない部分があるので、ますますまずいのだけどw ところで、ゲーム史に関する格的な研究や記録は日ではほぼない。 これは世界のゲーム史から見たとき、恐ろしく不幸なことだ。 というのも、日アメリカと並んで間違いなく「世界のテレビゲーム」を作り出した国で、歴史的に見ると恐ろしく重要な話が大量にあるはずな

    mgkiller
    mgkiller 2012/02/21
    BASICコンパイラでゲーム作ってた話は記事かインタビューみたいなので読んだ気がする。IOかベーマガあたりだと踏んでるけど/id:bigburn この辺に踏み込めるライターは多根さんぐらいなので頑張ってください。
  • 故・多摩豊氏の名誉のために批判する::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

    mgkiller
    mgkiller 2010/06/12
    こうやって実際現場にいた人がトンデモネタを修正していってくれるのは非常に有り難いよなあ。俺は面倒なのでもうめったにやらんけど。
  • 疑わしい「スーパーマリオ」制作秘話::Colorful Pieces of Game

    自分のTwitterのTLに 宮茂のゲーム哲学(2) ゲーム作りに必要なセンス - 「スーパーマリオ」制作秘話を読んだという感想が何度か流れてきたので、読んだのだが、この制作秘話、どうにも疑わしい。 というか、パックランドを徹底的に分析したという話は、どう考えても僕には信じられないし、眉唾としか思えない。 以下、どうして信じられないのか実体験に基づいた逆算で説明していく。 1985年9月13日、これがスーパーマリオブラザースFC版の発売日だ。 普通、ROMカセットを生産するのは、いまどきの最短2週間で20万枚ぐらいならなんとかなっちゃいますな光学メディアと違い、圧倒的に手間が掛かる。 当時は量産するためにはマスクROMオンリーなので、マスター納品→マスクパターン制作→ROM生産→基板&カートリッジと合体→完成という流れを取る。 上記プロセスは「どれだけ急いでもある程度の量をそろえるなら2

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