元経産官僚・古賀茂明氏の『報道ステーション』(テレビ朝日系)爆弾発言について、本サイト・リテラはこれまで2本の記事を配信したが、さらに続報である。 放送中に一体何が起きていたのか、そして、古賀氏はなぜ発言したのか。テレビ朝日の報道局員は、「報道フロアはもう騒然となってましたよ。報道局幹部は、激怒してましたが、番組のスタッフや局員からは、よく本当のことを言ったという称賛の声や、普通のことを言っただけじゃないかという冷静な声、激論はあってもいい、面白い、視聴率が取れるといった様々な声が出てました。幹部の前では言えませんけどね」と話す。局内も古賀批判一色ではないようだ。 放送から一夜明け、古賀氏が、彼に非常に近い新聞記者に語った内容を我々は独自ルートで入手した(古賀氏本人に確認したところ「ノーコメント」ということだった)。 生々しい証言のため、ほぼ全編を掲載する。 ●あの時、スタジオでいったい何
花粉症患者数は増加の一途をたどり、スギ花粉症だけで1500万人以上、日本の花粉症総人口は2000万人以上、5人に1人は花粉症ともいわれ、今後も増加することが予想されています。 実はこの花粉症、古代エジプトの文献にも登場するため、まったく新しい病気というわけではありませんが、日本においては、1961年にブタクサ花粉症、64年にスギ花粉症、ついでイネ科の花粉症などの報告がされ、その後はスギを中心に猛烈な勢いで花粉症患者が増え続けています。 花粉症は、花粉によって引き起こされるアレルギー疾患で、くしゃみ、鼻水、鼻づまり等のアレルギー性鼻炎や目のかゆみ、流涙などのアレルギー性結膜炎が最も多く見られます。また、まれに喘息やアトピー の症状を併発することがあります。花粉症は日常生活に与える影響などによる社会的損失も大きい疾患です。 花粉症に関連する費用も膨大な額に上ることが推測され、患者にかかる年間医
奥三河の豊根村立富山(とみやま)小中学校で28日、閉校式が行われ、富山地区の住民や卒業生ら約200人が閉校を惜しんだ。 富山地区は合併前「日本一小さな村」で知られた旧富山村。村の活性化と児童生徒の確保のために1985年に山村留学生の受け入れを始めた。中断した時期もあったが、今年度の児童生徒18人のうち11人が県内や埼玉県からの留学生だ。だが、校舎の耐震化や子どもの減少などから142年の歴史に終止符を打つことになった。 新年度、留学生はそれぞれの地元の小中学校に戻る。自然が好きで埼玉県北本市から2年間、留学した小学6年、中村巴南(はな)さん(12)は「閉校がなければもう1年ぐらい通いたかった。みんなと離れるのは寂しいが、地元でも頑張ります」と話していた。 地元の児童生徒も村内の学校だけでなく、4人は他県に通学する。小学6年の安井恵里花さん(12)は新年度から、浜松市立佐久間中学に進学する。「
名古屋市東区の徳川美術館で、日本刀を見に訪れる若い女性が増えている。お目当ては、人気ゲームに登場する脇指(わきざし)「鯰尾藤四郎(なまずおとうしろう)」。ゲームファンの要望で特別公開したところ、2月の入館者数が前年より約3割増えた。 28日には、初心者向けの日本刀講座と交流会をセットにしたイベント「刀剣ファンビギナーズ!」を開催。今月3日夕にフェイスブックで告知すると申し込みが殺到し、翌朝には受け付けを締め切るほどの人気で、参加者100人のうち98人が女性だった。 ゲームは、今年からインターネットで始まった「刀剣乱舞」。日本刀を擬人化したオンラインゲームで、ファンから「鯰尾藤四郎は展示されているか」との問い合わせが同美術館に相次いだ。このため、1月から開催していた「武家のシンボル―武具・刀剣」展で、2月10日から急きょ公開したところ、若い女性たちが詰めかけるようになったという。特別公開の期
長野県の天然記念物で、国内では本州中部の亜高山帯だけに生息するミヤマシロチョウのうち、八ケ岳の個体数が激減しているとみられることが28日、保護団体の調査で分かった。八ケ岳の生息地に当たる茅野市と諏訪郡原村では、昨年確認できた巣が過去10年で最少の計4個となり、今夏、成虫に育つチョウがゼロに近くなる可能性も出ている。 ミヤマシロチョウは環境省と県が絶滅危惧種に指定している。国内では1901(明治34)年に八ケ岳山麓で初めて見つかったとされ、関係者は「近い将来、ミヤマシロチョウが『ふるさと』から消える」と危機感を強めている。 茅野市で保護活動に取り組む「茅野ミヤマシロチョウの会」が昨年9、11月に実施した調査では、約600本の調査木にあった巣は1個。原村の団体「八ケ岳・原村ミヤマシロチョウの会」の昨年12月の調査では村内の巣は3個。ともに調査開始以来最少で、それぞれ45、239個あったピー
立山町の県立山博物館が所蔵する国指定重要文化財「銅像男神立像(だんしんりゅうぞう)」が、「銅像帝釈天立像」に名称変更する。神像とみられていたが、最近の研究で仏像の帝釈天と判明したため。帝釈天の銅像としてはかなり古く、同博物館は「鎌倉時代の立山信仰を知る貴重な手掛かりになる」としている。 博物館によると、これまで像の胸部に刻まれた字を「立山神躰(しんたい)」と読んでいたが、博物館の調査で「立山禅頂(ぜんちょう)」と判読でき、神像ではないことが判明した。表情が厳しく、宝冠をかぶる姿が各地の帝釈天像に似ているため、帝釈天像と結論付けた。博物館が、二年前の企画展で研究成果を発表したところ、文化庁から名称変更の提案があったという。
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