(クリックでモザイク解除) 自称保守界隈が群馬県に対して何を行っていたのか、そして群馬県が何に荷担したのかが浮き彫りになっています。詳細は以下から。 ◆追悼碑の建立から更新不許可の経緯 群馬県高崎市にある県立の都市公園「群馬の森」に建てられている追悼碑「記憶 反省 そして友好」をご存じでしょうか?この追悼碑は第二次世界大戦中に朝鮮半島から強制連行され、強制労働に従事させられる中で死亡した朝鮮人たちを追悼する目的で建立されたもの。 この追悼碑には以下のような碑文が刻まれています。 追悼碑建立にあたって 20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のさなか、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。 21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大