登山家の栗城史多さんは、世界最高峰のエベレスト登頂に幾度となく挑戦し、凍傷で手指を9本失い、最後は2018年に滑落死した。栗城さんは入山料だけで数百万円という費用をどのように工面していたのか。本人に取材した河野啓さんの著書『デス・ゾーン』(集英社文庫)よりお届けしよう――。 政財界の要人の名刺は「レアカード」 ヒマラヤは春(4月、5月)か秋(9月、10月)に登るのが一般的である。夏は気温こそ緩むが雨季なので、雪の日や雪崩が多い。冬は気温が下がり、ジェット・ストリームが吹き荒れる。いずれも登山には不向きだ。 必然的に、栗城さんが日本にいるのは夏と冬になる。 栗城さんの事務所は、札幌の中心部から車で15分ほどの好立地にあった。学校の校舎のような横長の形をした古い鉄筋4階建ての2階に入っていた。札幌市がクリエイターやベンチャー企業を支援するために出資した財団法人が管理するビルだった。2DKで家賃