桐野夏生の新作『日没』は、時代と激しく摩擦する一冊である。舞台はおそらく近未来の表現が「不自由」になってしまった日本、主人公は女性エンタメ作家、彼女が「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会」(ブンリン)から召喚状を受け、携帯電話すら通じない作家収容所に入れられ“療養”が始まる……。 それだけを記すと、権力との対峙を描いた社会派小説だと思うかもしれない。しかし、この小説の真価は「対峙」にはない。全篇を通して鋭く問われるのは、誰が表現を不自由にしていくのか、誰が、綺麗で、正しく、美しい言葉だけが広がる社会を欲望しているのか、である。果たして、その答えは――。 現実が小説に追いついてきた 《最初に作家の収容所という構想を思いつきました。そこから収容所や全体主義を描いた小説を読んだり、資料を集めたりしていました。連載は2016年から始まりましたが、そのときから時代に追いつかれているかもしれないと思
![正しくないものを絶対許さない人々と国家…これは「日本の近未来」なのか(石戸 諭) @gendai_biz](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/c9cbbdeaf4fda37d324acfa26143eaec55ca323a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fgendai-m.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F8%2F1%2F1200m%2Fimg_81b63e1f602c5d746d3d954bd8c13a4c34039.jpg)