去る2月25日、首都高C2内回り小菅-堀切間の拡幅工事が完了し、3車線から4車線に広がった。拡幅延長はわずか600m。多くのみなさまにとっては、「へー、それで?」という話だろうが、首都高研究家たる私にとっては、これは悲願達成であった。 首都高C2の葛西JCT-江北JCTが開通し、常磐道・東北道と湾岸線とが直結されたのは1987年9月。約30年前のことだった。開通直後はスイスイと流れたが、数か月もすると、C2と6号線とか重複する小菅-堀切間(約1km)をネックに、ひどい渋滞が発生するようになった。 なにしろこの区間では、2車線と2車線が合流するのに3車線しかないのだから、幼稚園児でもわかる結末である。当時、首都高速道路公団に、「なぜ合流部が3車線しかないのか?」と質問したところ、「合流部は3車線と内規で決まっています」との答えが返ってきた。 「当初の予想交通量が、3車線で足りたため、必要以上
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