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旭天鵬に関するmohnoのブックマーク (2)

  • 「日本出身」の表現の裏にある旭天鵬の思い/連載2 - 大相撲 : 日刊スポーツ

    琴奨菊が2006年初場所の栃東以来、日出身力士として10年ぶりに優勝した。「日人」でなく、「日出身」と表記するのは理由がある。2012年夏場所で、旭天鵬(現在は引退して大島親方になっている)が優勝したからだ。 1992年にモンゴルから来日した大島親方は2005年に日国籍を取得し、翌年に日人女性と結婚。優勝した時は、日人だった。 旭天鵬が優勝した日を境に、「栃東以来途絶えている日人力士の優勝」の「日人」の部分が、「日出身」「日生まれ」「和製」などに変わった。 琴奨菊が優勝した日、大島親方に聞いた。この言葉の言い回しについてどう思っているのか? 「ちょっと違和感はあるよね。俺が優勝する前は『外国人と日人』だったのが『日生まれ』『日出身者』とかに言い方が変わった。俺は気にしてないけど、聞いたことがない言葉がどんどん出てきたね」 旭天鵬が優勝した直後、所属する友綱部屋に抗

    「日本出身」の表現の裏にある旭天鵬の思い/連載2 - 大相撲 : 日刊スポーツ
    mohno
    mohno 2016/01/26
    日刊スポーツえらい!「旭天鵬が優勝した直後、所属する友綱部屋に抗議の手紙が3通届いた」←今の白鵬にも何かありそうな気がしちゃう。「琴奨菊が話題になって、それで相撲に興味を持つ人が出たらうれしいな」
  • 【大相撲夏場所】旭天鵬、最年長初優勝に男泣き「やめなくてよかった…」 - MSN産経ニュース

    最年長初優勝を決めて引き揚げる西の花道。37歳の男の目から熱いものがあふれ出した。「緊張していたのもあったし、瞬間的に色々なことを思い出したから」。人も想像していなかった平幕Vは、平成13年秋の琴光喜以来。賜杯を抱いて、「いろんな人に支えられて。辞めなくてよかったよ」。 大島親方に誘われ、モンゴル出身力士の第一陣として旭鷲山らと来日したのは20年前。17歳だった。しかし相撲部屋の生活になじめず入門半年で脱走。故郷に帰ってしまった。現地まで連れ戻しに来てくれた師匠の「相撲はモンゴルの時代になる」の説得がなければ、この日はなかった。 昨年名古屋場所では連敗が重なり、一度は「辞めたい」と申し出たが師匠は聞き入れなかった。「家族も『もう良いよ』と言ってくれるかと期待したんだけど誰も言ってくれなかった」と笑う。 親方になるため日国籍は取得済み。大島親方の名字をもらい、太田勝が名である。来なら

    mohno
    mohno 2012/05/20
    おめでとう!
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