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2008年2月10日のブックマーク (2件)

  • 「公教育」という言葉の意味から考えてみる - 今日行く審議会

    【主張】君が代訴訟 徹底指導を妨げる判決だ 国旗国歌法は国旗を日の丸、国歌を君が代と規定し、学習指導要領で教員の国旗・国歌の指導義務が定められている。そうした法律に根拠を求めるまでもなく、国旗・国歌の指導は公教育の重要な役割の一つである。 あえて「公教育」という言葉を強調した。ここで使われている「公教育」という言葉の意味を考えると,この問題のおかしな一面が浮き彫りにできると思うからだ。 よく,「嫌なら私立学校の教師に云々」という主張がある。おそらく,http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/121572/tb/などでいくつか見かけることができると思う。けれども,それは「公教育」という言葉を誤解しているから出てくる。 「国旗・国歌の指導は公教育の重要な役割の一つである。」とするなら,「公教育」を行う私立学校はその埒外には置けない

    「公教育」という言葉の意味から考えてみる - 今日行く審議会
  • ブログ「旗旗」 : 「普通の人」というレトリックの本質について by 草加耕助 - 旗旗

    よくネトウヨさんが使うレトリックで「自分は右翼じゃない、普通の人だ」って常套句がありますよね。 左派にはこれを即時的に嘲笑して「どう見たって右翼じゃんw」という人が多いのですが、私は少し違う考えを持っています。 だって、それじゃあ、右翼的な考えをもっている市民は「普通の人」じゃないとでも言うのでしょうか?右翼だって左翼だって、みんな普通の人ですよ。普通の人々がいろんな考えを持って、それが自由で対等にごちゃまぜになって市民社会を構成し、その最大公約数として「普通」が生まれるのです。つまり「いろんな考えを持つ一人一人の人間」を超越したところで、「普通なるもの」が市民社会の外に超然と存在しているわけではありません。 つまりこういう自称「普通の人」の問題点というのは、徹頭徹尾、自分を基準にし、自分と同じ考えや行動をしない人間を「普通ではない」とレッテル貼りして、その考えを考慮する必要は無い、排除

    mojimoji
    mojimoji 2008/02/10
    「批難さるべきは、自分(たち)だけが普通であって、自分と違う傾向を有した人間を「普通」から排除して考えるファッショ的な発想なのです。」