ブックマーク / parupuntenobu.hatenablog.jp (47)

  • 淡路島幻の○○飛行場【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    淡路島の飛行場 現在、淡路島には民間飛行場を含めた空港は存在していません。 が、現在は関西空港を発着する航空機の主要ルートになっており、管制塔の交信をネットで聞いていた時も、「アワジ」という声が頻発していました。 空を見上げると時折、我が家の真上を飛行機が飛んでいることもあります。 そもそも、関西空港は淡路島に作る計画もあったという話を聞いたことがあります。 が、淡路島に関空ができたらできたで、市街地から遠すぎて利用者は不便極まりなかったろう。 実際に島に住むと感じます。 そんな淡路島にかつて、空港が存在していた…知っている人は島民でもあまりいません。 さもありなん、存在した期間は戦争中、それも1年にも満たなかったから。 軍事機密-その名は○○ 戦争一色となり日常生活も緊迫の度を増した昭和18年(1943)、陸軍より、阪神地区防空用に淡路島に飛行場を建設せよという命令が下されました。 翌年

    淡路島幻の○○飛行場【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2019/05/25
    のぶさんの目線で疑似体験させてもらいました。ただの田畑なのに、見え方が全く変わりますね。
  • 台湾と後藤新平ー発見されたデスマスク - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    日2019年4月11日、台湾歴史を塗り替える大発見がありました。 www.nippon.com 後藤新平のデスマスク台湾で発見されたというニュースです。 (写真:Wikipediaより) 後藤新平(1857-1929)といえば、医者にして政治家、東京市長や満鉄総裁などを歴任し、関東大震災で崩壊した東京を復興させた責任者として、現在の東京の骨格を作った人物として非常に有名な人物です。 後藤の経歴と残したお仕事の数々は、書き出すとWikipedia先生の項目一つ分になってしまうので、気になる方は、Wikipedia先生の記事をどうぞ。 この記事を読む半分以上の人は、こんな疑問が浮かぶことでしょう。 「後藤新平と台湾って何か関係あるの?」 そう思った人は、台湾歴史、特に後藤が現在の台湾にも影響を与えていることを知らないということ。 台湾に興味がない人はさておき、なんで後藤のデスマスクが台

    台湾と後藤新平ー発見されたデスマスク - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2019/05/05
    BEのぶさんの記事。李登輝以外に知らなかった台湾の人が生き生きと紹介されている。BEのぶさんの記事はいつも知らなかった(でも知っておくとタメになる)話ばかりですね。
  • 大阪の「中華街」 後編ー川口を歩く - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    時間が空いてしまいましたが、以前、大阪市西区の川口に戦前、「中華街」があったことを記事にまとめました。 parupuntenobu.hatenablog.jp 前編はその歴史の概要を書きましたが、今回はフィールドワークと実際に川口を歩いてみました。その繁栄は空襲で灰と化したと言われていますが、もしかして、カケラでも残っているかもしれない、そんなわずかな期待を込めて。 周辺の中華料理屋 川口を歩く 唯一の行桟の遺構? 隠れた川口の生き証人? 周辺の中華料理屋 川口を南側から歩いてみると、何軒かの中華料理屋が目に入りました。 川口周辺には、中華料理屋がいくつか存在しているのですが、そろって川口華商たちの故郷である北京(華北)料理…。 訪問したのが正月で閉店していたため話は聞けなかったですが、「大阪DEEP案内」さんによると、中華街にあったという中華料理屋の子孫とのこと。 前編では、 「川口中華

    大阪の「中華街」 後編ー川口を歩く - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2019/04/01
    ペンディングされた問題、気になりますね。確かに領事館に聞くのは勇気が(+αも?)要りますね。
  • 大阪の「中華街」 前編ー川口華商の興亡 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    大阪中華学校 大阪にあった「チャイナタウン」 川口中華街の特徴 行桟 ある輸出品と、ある企業 戦争に消えた川口華商と中国人町 大阪中華学校 大阪市浪速区大国町。ここにある学校があります。 中華学校です。 中華料理専門学校ではありません。在阪華僑のための学校です。 大阪中華学校…関西で「中華」だと神戸が真っ先に連想されるせいか、大阪となると少し違和感があるかもしれません。事実、そこには有名な中華街中華学校が存在するのだから。 しかし、大阪中華学校がある以上、一定の需要と歴史があるはず。 そんなことを考えながら周囲を散策してみたのですが、チャイナタウンのような雰囲気は微塵も感じません。 では、何故ここに…というかなぜ大阪中華学校が存在しているのか。 その歴史を掘ってみると、戦禍に消えたある地域の、忘却された歴史が浮かび上がります。 大阪にあった「チャイナタウン」 大阪は、安政五年(

    大阪の「中華街」 前編ー川口華商の興亡 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2019/04/01
    由来が本当かどうかは別として、タイガー、象印がこのようなところに出てくるとは!と驚きました。
  • 二・二六事件秘話 渡辺錠太郎-一兵卒が大将になった話 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    一兵卒が将軍にまでなった人物として、三国志が誇る知勇兼備の武将、呂蒙がいます。 三国志の故事成語『呉下の阿蒙にあらず』 - 昭和考古学とブログエッセイの旅 が、中国史を紐解くと、皇帝にまでなった男だけでも、漢の劉邦や明の朱元璋など、自称皇帝(太平天国とか)や短命王朝も入れると何人いるのやら。 日では、立身出世の象徴として 豊臣秀吉がすぐに思いつきます。 幼少期がボカされ不明な部分も多いのですが(たぶん農民出身でしょう)、秀吉だけでなく、当時の戦国大名は3代さかのぼれば経歴が怪しい人ばかり。 狸親父も暴れん坊将軍も、先祖を辿れば住所不定のルンペ…おっと、徳|||美術館から抗議のメールが来たようだ。 「部下として仕えるなら、信長・秀吉・家康の誰がいいか」 昔からよく言われることですが、私は「天下を取るまでの羽柴秀吉」一択。統一後は海外へ船出し、高砂国と貿易しようかしら。 ○○王に、俺はなる!

    二・二六事件秘話 渡辺錠太郎-一兵卒が大将になった話 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2019/02/28
    渡辺和子氏のお父さんであったことは知っていましたが、こんな経歴があったとは!またBEのぶさんに教えてもらわなければ知ることのない歴史を知ることができました。
  • 妹尾知之-ある海軍軍人の一生 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    半年前、岸和田市にある「きしわだ自然資料館」という場所に行ってきました。島流しの前は岸和田市民だった私にとっては、数年ぶりの岸和田の地でした。 自然科学の展示が中心の岸和田市立の施設ですが、この時の用事は自然科学にあらず。 あるご縁で施設の方と出会い、戦前の阪和電鉄や南海電鉄の資料を業務半分でコレクションしてらっしゃると聞き、ご好意でそれを見せていただくことになりました。 こんなのや、 (戦前の南海鉄道浜寺海水浴場のパンフ。昭和11or12年) こんなの、 そして、幻の阪和電鉄ミッキー(オレンジバージョン)まで。見たこともない貴重なコレクションの山盛り。 私のブログを見て訪問者の予習をしてくれたそうですが、こりゃただの好奇心ちゃうなと手持ち資料のほとんどを持ってきてくれました。有り難いことです。 そんなことは知らない人、来館前は、 「1時間くらいで見終わるっしょ~フフフン」 と軽い気持ち

    妹尾知之-ある海軍軍人の一生 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2019/02/03
    知らなかった人をご紹介いただくと、リアルな存在として感じられるようになりますね。妹尾氏の軍歴の深読みなどは興味津々で読んでしまいました。
  • 【追悼】天牛堺書店に捧げる鎮魂歌 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    明けましておめでとうございます! …ってもう1月も終わってしまいます(いつの話やねん)。お待たせして申し訳ないですが、遅れながらも新年明け第一号の投稿となります。 今年第一号のブログ記事なので、少しは縁起の良い話題を…といきたかったのですが、初っ端からBad Newsをお送りしなければなりません。 といっても私にとってBadなNewsなだけで、読者の皆さんにとっては、人によってはかすりすらしません。 以前、こんな記事を書いたことがあります。 parupuntenobu.hatenablog.jp 私の知を育んでくれた、大阪は堺市の天牛堺書店津久野店が閉店になっていたという記事です。 これだけでも十分ショッキングなニュースだったのですが、この記事を書いていた当時の私はまだ知りませんでした、これはただの序章に過ぎなかったことを。 日さらにショッキングなニュースが、Twitterのタイムライン

    【追悼】天牛堺書店に捧げる鎮魂歌 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2019/02/01
    新刊本と古本のハイブリッド書店、それも昔から。すごいお店だったのですね。地元にあったら通い詰めていただろうなあと思いました。のぶさんにとって本当に思いが残るお店なのだろうなと思いました。残念です。
  • トーチカからの思考 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    人は、「一所懸命」「一心不乱」というように、「一」が大好き。一つのことを極めることを美学とします。ただし、それが生理的に合わない人もいます。それが私なのですが。 しかし、あくまで「」は中国語。他の外国語はすべて「愛人」です。実用としての英語は、「愛人以上以下」といったところでしょうか。 「外国語を一つ覚えることは、もう一つの目を作ることだ」 と誰かが言ったそうですが、「浮気」で視野が広がり、回り回って「」の肥やしとなって彼女がより綺麗になる。こんな良い「浮気」はありません。ただし人間世界でやっちゃダメよ。 私の「愛人」の一つに、ロシア語があります。もう年齢が年齢なので、いまさらロシア語ペラペラになろうなんて思いません。読み書きができればそれで良し。それと脳の防腐剤として。外国語の勉強は、上述したとおり「もう一つの目を養う」ためでも、「脳の防腐剤」でも目的な自由。「ペラペラ」

    トーチカからの思考 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2019/01/05
    こうやって1つ1つ体験とともに深く理解が進んでいかれるのだなあと僭越ながら思いました。
  • 【昭和考古学】飛田墓をたずねて - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    以前、「BS歴史館」という歴史番組がNHKで放送されていました。歴史好きとしては見逃せない番組だったのですが、偶然見たときのお題が大塩平八郎でした。 それをボケーっと見ているうちに、 「お?」 と琴線に触れるもんがありました。 大塩平八郎の乱の詳細はWikipedia先生に任せるとして、大塩は乱が失敗した後、40日ほど逃亡していました。が、最後は隠れ家を追っ手に見つかり、持ってた火薬に火を放って壮絶な爆死。 その屍は当然バラバラになったものの、執念の縫合により乱に参加した同志とともに磔になったそうです。 九州は松浦藩の藩主、松浦静山が大塩平八郎の乱に興味を持ち、早馬で仕入れた情報をもとにして作った「甲子夜話」という詳細な記録があります。上の写真はその中に書かれた、鳶田での大塩平八郎以下の磔の図で、赤丸が大塩です。 ここで私のアンテナが反応しました。 「鳶田?」 鳶田、今のJR新今宮駅の南側

    【昭和考古学】飛田墓をたずねて - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2019/01/05
    鳶田と飛田の違いがよくわかりました。知らなかったら安易に関連づけて覚えてしまいそうですね。飛田新地の北西角、気になりますね・・・。
  • あなたの知らない「外行語」の世界 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    「最近の日語は乱れている!!」 という声をよく聞きます。20年前も、10年前も、そして今も(笑) 特によく聞かれるのが、。 「カタカナ語が多い」 ということ。特に最近は英語の氾濫で日古来のことばが滅んでしまうのではないか・・・そう声高に主張します。 別にカタカナ語は今に始まったことではありません。 明治時代の学生の話し言葉を忠実に描いた「当世書生気質(かたぎ)」には、こんな会話があります。 「我輩のウォッチではまだテンミニッツ位あるから急いで行きよったら大丈夫じゃろう」 お前はルー大柴かと突っ込みたくなりますが、当時はこういう英語ドイツ語混じり会話がインテリの間で流行していました。 だから、そんなに神経質にならなくても言葉は自然に駆逐されるものだし、仮にカタカナ語に駆逐されたとしても、文書として残るので滅びはしません。 日語は、外来語を柔軟に受け入れるソフトな言語に入ります。英語

    あなたの知らない「外行語」の世界 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2018/10/13
    台湾で「二次元」「痛車」「魔改造」「黒歴史」「ネ申」が通用すること自体驚きでした。言葉の流入の前提には、実際の文化交流があるのですね。
  • 今は亡きゲーム会社を偲ぶ - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    私の自分史は、ゲームと共にあり。ゲームをすれば寝を忘れ時間を忘れ、そして我を忘れたゲーム少年でもありました。 現在ゲームをやることはほとんどないですが、たまにレトロなゲームが置いてあるゲーセンなどに行くと、やはり時間を忘れ夢中になっています。 こんな有様なので、プレステなどゲーム機を買うと途端に生活に支障が出てしまうのは明白。「やらない」というより「封印中」と表現した方が正解です。 そのきっかけは、やはりファミコンでしょう。 ファミコンの発売日も、スーパーマリオの発売日も覚えている、さらに初代ドラクエの発売日にお札を手に持ちおもちゃ屋へ走った世代。 我が人生、ファミコンと共にあり。そういう意味では、私の人生、いや日の子供数千万人の人生を狂わせたファミコンの罪は深い。 今まで市場で販売されたゲームの種類は、それこそ神のみぞ知るの数量になります。自分ではかなりの数のゲームをやったつもりです

    今は亡きゲーム会社を偲ぶ - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2018/10/07
    懐かしすぎて心が震えます。
  • 台南で慰安婦像設置…おっとちょっと待て! - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    ブログの管理人ページを見ていると、ある記事へのアクセスが爆伸びしていました。 parupuntenobu.hatenablog.jp 約1年前に書いた記事ですが、書いた人も忘れていたような古いものが何故今ごろ・・・と不思議に思ったと同時に、 「台湾で何かあったな」 というカンが働きました。 そこで調べてみたところ、こんな記事が。 中国語はこちら news.ltn.com.tw 日語はこちら。 www.sankei.com 台湾は南部にある、「台湾の京都」と呼ばれている古都台南で、慰安婦像が建てられたというニュースが舞い込んできました。 また国民党か、懲りないな(笑 そう、「またか」というのは、国民党が慰安婦カードを使ってくるのは初めてではないからなのです。 台南慰安婦像の背景 お前が言うな 台湾人の反応 国民党の焦り 台南慰安婦像の背景 慰安婦とくれば韓国というイメージが強いですが、実

    台南で慰安婦像設置…おっとちょっと待て! - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2018/08/16
    今まで読んだ台湾情勢の解説の中で一番分かりやすかったです。台湾の色んな立場の人の心情にまで遡って、しかもかみくだいて・・・。本当に分かりやすい!です。
  • 映画『太陽の墓場』に見る釜ヶ崎@鉄道編 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    以前、昭和35年(1960)に大島渚監督によって撮られた『太陽の墓場』という映画の話を書きました。 parupuntenobu.hatenablog.jp 今回はその続きなのですが、すぐに続きを書こうという意思だけは持ち続けた結果、かなりの月日が経ってしまいました。当はすぐ後にアップしようかと。 しかし、忘れていたわけではありません。亀のようなスローペースながら、徐々に堀を埋めていっていたのです。 そして今回、やっと書き終えました。 が、鉄道編と銘打ったように内容が超マニアックになってしまったので、少し「濃度」を調整した上で今回の公開です。 それでも、ここからは鉄分と大阪史濃度の濃い、マニアックな話となります。 マニアックな話に興味がない方は、ここでお引取りいただいても大丈夫です。でも、できれば読んでね(笑 なお、少し時間を置いてしまったので、キャストなどのおさらいは上のリンク先をどうぞ

    映画『太陽の墓場』に見る釜ヶ崎@鉄道編 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2018/08/10
    窓の数で解析してしまうとは!見る力のある人が見たら色んなものごとが見えてしまうのですね。
  • ブログエッセイという名の、ただの屁理屈 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    7月上旬、西日を襲った「西日豪雨」は、40年以上関西人をやっている私も経験したことがないような、とてつもない量の大雨でした。 ニュースでやっていたかはわかりませんが、あの豪雨のちょうど80年前の1938年7月、神戸市内が水没した「阪神大水害」という災害が発生しました。これは戦争の空襲、阪神淡路大震災と並ぶ「神戸三大災害」の一つとして歴史に残っているのですが、そのジャスト80年後にこの豪雨、歴史を知っている人は何の因果なのだろうかと思ったはず。 いや、「大雨」、よく言われる「バケツをひっくり返したような雨」というだけなら、経験したことはあります。 しかしながら、それが一週間以上も続いたことは、台風を含めて前代未聞でした。 その上、それが過ぎると、今度はまたもや前代未聞の酷暑狂熱。あの大雨は夢まぼろしの如くなり。 実は、明石海峡大橋は神戸→淡路島への水道供給も兼ねていて、昔の淡路島は毎年こ

    ブログエッセイという名の、ただの屁理屈 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2018/07/26
    豪雨の中おつかれさまでした。あの雨の中を敢えて外出しようとする意気込み(強い好奇心?)に驚きました。さすがですね。
  • 中国語の「勉強」 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    中国語という言語は、基的に漢字を使います。 今の情報化時代、 「え、そうなの?」 と目からうろこが落ちる人は、まずいないと思います。 じゃあ、どれくらい漢字を使うの?というと。それがすべて漢字です。漢字アレルギーの人は即死するほど漢字です。 さすがにCDやDVDはそのままですが、それでも「光盤」「数字視頻光盤」という、きちんとした正式名称(?)があります。 漢字の便利なところは、視覚的に意味がわかるということです。これは「表意文字」といい、文字が意味を表すもの。アートというか、象形文字として理解することができます。 その反対として、「表音文字」というものがあります。これは我々が日常ええ使う平仮名や片仮名、アルファベットなどが該当します。 漢字が表意文字であるメリットは、たとえば「文」という文字があると、日人も中国人も「文」が文であると理解し、その認識が一致することです。 たとえば、町並

    中国語の「勉強」 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2018/07/24
    「勉めて強いる」のように訓読みをすると以後はギリギリ意味を追いかけられそうですね。訓読みは漢字の意味や用法をふまえて漢字の1文字1文字を日本語に取り込むすごい技術だなあと思うことしきりです。
  • 中国という目線から感じる、権威主義という罠 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    ブログの書き込みというものは、ある種「放電」です。「放電」ばかりしているといつかはバッテリー切れになるのは必然、そうなれば「充電」も必要です。 気合を入れてブログを始めたものの、すぐやめてしまう人は「放電」と「充電」のバランス不足も原因です。なぜなら、 「ブログの書き方」 などと検索しても、出てくるのは「放電」ばかり。「充電」も重要だよ、バランスを失っちゃダメだよと口を酸っぱくして言っているブログは、私くらいじゃないかと(笑 それはさておき、久しぶりに徹底「充電」しようと、棚にあった以下のを久しぶりに読んでいました。 ユダヤ人の発想 (徳間文庫) 作者: M・トケイヤー,加瀬英明 出版社/メーカー: 徳間書店 発売日: 1994/11 メディア: 文庫 購入: 1人 クリック: 1回 この商品を含むブログを見る ユダヤ5000年の知恵 作者: ラビ・マービントケイヤー,Marvin T

    中国という目線から感じる、権威主義という罠 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2018/07/17
    今は、特にネットをはじめ巷に流通する文章の量が増え、読む時間が限られる傾向が進んでいると感じます。そして文章をよく読まずに判断する傾向も。のぶさんのお話の権威主義が一層進んできているように思います。
  • モダンガール、エアガール…昭和の「尖端ガール」たち - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    昭和初期とはどんな時代か。これは政治・経済・文化・・・人によって切り口が変化します。それが歴史の多様性というもので、見方は一つではありません。 その中でも、社会史・女性史という点という観点から見ると、女性の社会進出が急激に広まった時代という見方があります。 女性は家庭に入り家事をやっていればいい・・・そんな古い価値観にヒビが入り始めたのは1920年代、大正末期のこと。 格的な社会進出が始まったのは昭和初期の5~6年頃ですが、その間接的な証拠に、女性の社会進出をもじった新語が、この時代に雨後の竹の子の如く出現しました。1930年前後の流行語辞典を見てみると、 「○○ガール」 という言葉が山ほどあらわれます。1920年代の辞書には全くなく、明らかにこの時代に生まれた言葉ということを物語っています。 大手を振って社会に出る女性たちを世間は、 「尖端ガール」 と呼んでいました。 「尖端ガール」っ

    モダンガール、エアガール…昭和の「尖端ガール」たち - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2018/07/06
    OLではなく、オフィスガール(OG)が定着していたら、OGの意味が変わっていたかもしれませんね。
  • 懐かしの昭和のテレビ番組ー象印クイズヒントでピント - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    クイズ番組全盛期時代 私のような40代が思い浮かべるクイズ番組と言えば、 ・クイズダービー ・連想ゲーム ・アップダウンクイズ ・クイズ百人に聞きました などなど、挙げていけばキリがありません。うんうんと頷いている人も多いのではないでしょうか。あ、伝説のアメリカ横断ウルトラクイズも忘れちゃダメですね。 『世界まるごとHowマッチ』と『世界一周双六ゲーム』で、海の向こうに「海外」という未知の世界があることを覚え、『ウルトラクイズ』で絶対海外に行ってやる!と決意し、参加資格年齢に達した途端に番組が終わってしまった悲しい思い出。しかし、それらを見ることがなければ、おそらく私は大阪田舎の井の中の蛙で終わっていたことでしょう。 1980~90年台は個性的なクイズ番組花盛り。チャンネル変えてもクイズばかり。でもテレビが楽しかったあの時。日史におけるクイズ番組全盛期ではなかったのではないかと。 そん

    懐かしの昭和のテレビ番組ー象印クイズヒントでピント - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2018/06/18
    全ての説明がスッと頭に入ります。ただただ懐かしい・・・。土居まさるさんの名前は久しぶりに思い出しました。いとこがクイズダービーのボードゲームを持っていて泊まりに行ったときの遊びの定番でした。
  • なぜ中国人は声が大きいのか。そこから考察する彼らの文化的背景 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    中国人はなぜ声が大きいのか 日を訪れる外国人観光客は年々増加の一方です。先日、大学の公開講座で京都へ行ってきたのですが、右を向いても左を向いても外国人だらけ。全国規模で見ればローカル線の叡山電鉄ですら、乗客の半分は外国人な状態。日旅行のリピーターは京都なんてもううんざり、地方都市や日人しか知らない穴場へ逃げている傾向があるのですが、その気持ちはなんだかわからんでもない。 その中でも訪日外国人の四強は韓国中国台湾、香港、総数の7割を占めています。 中国人観光客の数は、2017年で567,149人で総数の約24%を占めていますが、どこの街でも中国人観光客の姿を見ることが多くなりました。 しかし、それによる軋轢も発生しています。 中国人に対しいちばん眉をひそめるのは、「マナーの悪さ」。 列に平気で割り込む、ホテルのドアを開けっ放しにしてどんちゃん騒ぎをする、トイレでもないのにおしっこを

    なぜ中国人は声が大きいのか。そこから考察する彼らの文化的背景 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2018/06/16
    学ばせていただきました。個人としてのウチソトの意識(特にソトでの振る舞い方の意識)は、国としての外交のあり方にも影響を及ぼしているなと感じました。
  • 日本最強のレトロ学生寮、京大吉田寮に潜入!【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    ブログをご覧いただきありがとうございます。 記事は、新ブログに移転の上アップしております。 yonezawakoji.com こちらをご覧いただければと思いますので、宜しくお願い致します。 野良学徒の歴史研究 https://yonezawakoji.com/

    日本最強のレトロ学生寮、京大吉田寮に潜入!【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    mojinosuke
    mojinosuke 2018/06/09
    必要も無いのに足を踏み入れることができるという事実からだけでも、BEのぶさんの吉田寮への愛情を感じます。